ものすごい一年だったなぁ

 

今日は備忘録です

2023年の自分の振り返りをしてみようと思って書き始めたのですが、とりとめなくそしてかなり長くなってしまいました驚き

 

 

1月 父と一緒に設計でかかわった京都のホテル行くのを口実に京都旅行に行き、

2月 名古屋でブルースリウのピアノコンサートに行き、

3月 フィリピンの語学留学でしりあった友達3人で兵庫の牡蠣を食べに行き、多分この出会いがきっかけで、まさかの9月にインドに行くことになりました

 

4月 大学院に入学し、

5月 東京から来てくれた友達と直島にいき

6月 大学院と会社の仕事の両立に行き詰まり仕事を減らしてもらうことに

7月 論文の中間発表のための準備で心ここにあらず、苦しかったなぁ

8月 その反動で燃え尽きてた気がします

   でも母の誕生日に私が行きたかった箱根の富士屋ホテルに泊まり、数年おくれの古希のお祝いができました。ところがその帰りまさかの車のもらい事故で。。。気持ちはあがったり下がったりのジェットコースター

   事故対応って本当にストレス以外のなにものでもなかった気がするけれど、それでもBLOGでぼそぼそっと書いたら、皆さんにご経験談をお聞きしたり励ましのメッセージをいただいたりして本当に救われました

   どちらかというと、BLOGにはポジティブなことを書きたいと思いがちで、気持ちが落ちると遠ざかりがちなのですが、この時はいつもにましていただいたコメントが本当に嬉しかった

9月 友人のインド一人旅に便乗する形で北インド、ラダックに行ってきました

   全然ここに書いていませんが、パンゴンツォという標高4000mを超えるところにある湖を見に行ってきました

   素晴らしい経験だった

   ただただ、生きていることにここにいることに感謝するような、言葉にできない大きな思いを全身で感じてきました

   そして、最後の2日、首都のデリーにもどり、帰りの便に向かう途中でまさかのアクシデントがあり、あわや飛行機に間に合わないという事態に

   その時にこんなにいい人いるの??(聞いていたインド人の話を全然違うんだけど(笑))というくらい、手を尽くして助けてくれたインド人の青年と仲良くなり、今も連絡を取り合っています

10月 再びブルースリウ、そして再びインドへ

   2月のブルースリウのピアノがあまりにも素晴らしかったので、チケットをとって両親とラフマニノフのピアノ協奏曲2番を聴きに行きました

   2020年だったと思いますが、コロナの暗い気持ちのなか、きっといつかコロナ禍も明ける、そうなったらラフマニノフのピアノ協奏曲2番を生で聴きたい、そう願っていた夢が叶いました。

   そしてその直後、迷いに迷った末、2度目のインドに弾丸で行ってきました

   9月に知り合ったインドの青年のお姉さんの結婚式があるとのこと、せっかくだから参加しないかって誘われるものの、いやいや、国内だってなかなか結婚式に飛行機で行くって大変なのにインドはないでしょう爆笑しかも先月行ったばかりだよ、と全く行く気はなかったのですが、インターネットで調べれば調べるほどインドの結婚式に興味がわいてきてしまって、本当にただ結婚式に参加するだけの為に弾丸で飛びました

 

   そして、それが本当に素晴らしかった

 

   間違いなく行ってよかったです

   普通に考えてありえない判断でしたし、仮に友人がそうしたと聞いたら驚きを隠せないと思います。それでも私だけは行くと決めた自分のことをほめてあげたい

   自分の人生で、この結婚式に参加しないルートと、参加するルート、例えこの人生が2週目だったとしても、きっと参加してほしいって思います

   この話もおいおいどこかで振り返って書きたいと思っています

11月 休職と体調不良

   話は少し前後しますが、2度目のインドに弾丸とはいえ行くことができた理由はもう一つあって、9月インドから帰ってきた後に始まった大学院の後期の授業が科目数が増え、論文も重なり、仕事との両立が限界に来ていました。

   何度か酷い熱を出したりもしましたが、このまま続けていくと仕事も大学院も両方とも中途半端になってしまうことが目に見えていたし、実際8月までの前期の授業も先生にかなり大目にみていただいて、ごまかしごまかしで単位をとったというのが正直なところで、中途半端もいいところでした。それがストレスにもなっていました

   それで10月中旬、会社の締め日に合わせて休職することにしました。

   

   さあ、自分で決めたからには大学院に集中して頑張ろうと腹を括ったつもりでいたのですが、いざ休職して無給となると、毎日の生活費や、会社に払う年金、保険、家賃、税金などが重くのしかかって(わかっていたはずなのに)、節約しようと色々と切り詰めたら、多分精神的な不安がどんどん膨らんでしまってバランスを崩したんだと思います

   体がいうことをきかなくなりました。原因不明の高熱が続き、それが治ったと思ったら酷い眩暈と耳鳴りが続いて11月~12月にかけて、勉強どころではなくなっていました。

12月 実家に帰るのか、それとも。。。そしてブーニンのピアノリサイタル

   1人、体調不良で家に籠っていると考えはよくないことばかり浮かんできてしまいます。例えそれが自分の精神的な未熟さや弱さ、わがままであったとしても、もう無理だな、限界だな、こんなに苦しいのに1人でここにいる必要がどこにあるんだろうかと。

   今まで何度も帰りたいと思ってきた1年半でしたが、今回ばかりは弱音とか愚痴とかそういうれべるではなく、本気で退学、退職して実家に帰ろうと思いました。

   両親にも、もう帰りたい、許してほしいと、子供みたいに言っていました。

   そんな中、随分前にチケットを取っていたブーニンのコンサートのために横浜に帰りました

   失意のどん底、そういう状況だったのでブーニンのピアノの音が1音1音胸に刺さり、足の一部を失いながらピアノに向き続ける姿に涙が溢れました

   母と長いこと話をして、一度とにかく先生と話をしてみようと、少なくともあと1年、修士課程までは頑張って続けてみようと、思い直して岡山に戻りました

   ちょうど、実家に帰っていたその週末に先生からメールが入り、私は退学という2文字が常に頭にあったのに、先生は当たり前のように、今の私の状況を踏まえたうえで今後どういう風に取り組んでいくかという提案が書かれていました

   見捨てられてもおかしくないと思っていたので、本当にありがたかった。

   本当に手のかかる、できの悪い生徒だな、申し訳なさすぎるなと思いながら、嬉しかったです

 

   そんな感じで少しずつ体調も戻り、12月中旬からなんとか遅れを取り戻そうと、日々生活をして今日にいたります。

 

 

本当にこの1年は久しぶりに怒涛の1年でした。

色んなことがありすぎました

 

 

陽の部分だけ拾うとこんな感じでしたが、同じくらいの色濃い陰がありました

 

 

 

昨日の夜、見事な満月を見ました

満月はいろんなことを手放すといいよって教えてもらいましたが、今わたしが一番手放したいのは”完璧主義”

 

いつからか、本当に完璧主義で自分と自分で自分を追い込んでしまいます

昔はそれでもなんとか必死にそれで頑張れていたけれど、今はなかなか思うようにいかない

 

ブログもそうで、自分の中で、いまいちな文しか書けない時、”没”にしがちで、とにかくできれば毎日書いてみよう!なんて

目標を立ててみても、全くうまくいかない。

 

2024年は、今の等身大の自分をもっと受け入れて、中途半端でも、うまく出来ていなくても、とりあえず今はそれでOKに

してあげたいです。

例えば自分の評価で60点でも、40点でも20点でも、なにか始められていたら0点じゃない。

テストの記述問題だって、何かしら書いていたら0点にはならない(なることもあるかもしれないけれど)と、そのくらいの

気持ちで今の自分にできることを精一杯やれたらなぁと思います。

 

あとは人と比べることももう辞める(笑)

本当に素晴らしくて、尊敬でいる友達がいるのは良いことだけど、みんなはこんなに社会に貢献していてお給料もたくさん

もらって、おしゃれもして、美しくて、、、それに引き換えわたしはいったい何をやっているんだろう、と今年何度思ったことか悲しい

そういうの、全部わかっててそれでもやりたくて始めたことばかりなのに、どうして少し上手くいかなくなるとすぐ嫌になっちゃうんだろう。

 

10月に会社を休職して、貯金がどんどん減っていくが本当に恐ろしかったけれど、大学の学生さんの中には1年生から奨学金をとって、卒業時に600万円近くの借金を抱えて社会人になる子もいるんですよね。

もちろん年齢も状況も全く違うし、老後の生活資金を考えたら、私は同じに考えちゃいけないのかもしれないけれど、それでも今はまだ貯金があって、屋根のある暖かい部屋に住むことができて、ある程度食べたいものを食べられて、服を着て、学校に通えて、学ぶことができる

心を不安でざわざわさせて、最初に立てた目標や夢もどうでもよくなってしまうって本末転倒で指差し

 

 

インド人の友達ではないけれど、たとえ豊かじゃなくてもあんなに幸せそうに生きられるなら、私だってそう生きられるはず

 

もっと心を解放して、2024年は、肝っ玉かぁちゃんみたいな私になりたいです

 

いやー、やっぱり本当に2023年はめちゃくちゃでした。大変な一年でした(笑)大変って大きく変わるって書くんだよと誰かに教えてもらいましたが、本当になにか色んなことが大きく変わった一年だった気がします。