実は、先月7月の頭に大好きな先輩であり上司であり、大切な大切な人が亡くなりました
1か月経ってもまだ嘘みたいで、気持ちは落ち着いているのですが、こうして書いていると少し涙が目に溜まってきてしまいます
先輩はちょうど私の10歳上で、7月1日のお誕生日で55歳。何も知らないわたしは、Facebookにお誕生日おめでとうと書き込みをしたばかりでした。
6日のお昼、10年ぶりくらいに前の会社の同期の友達から連絡があって「え?どうしたの?久しぶり!」って少し話した後、先輩の訃報を聞きました。
同じ部署で同じプロジェクトに携わり、大きな成功体験をさせてもらった先輩です。
まだ若くて融通が利かなくて猪突猛進、あばれ牛のような私と闘牛士のようにいなしながら導いてくれた先輩。そんなコンビでした。
”会社”という組織での記憶で間違いなく一番忙しく、幸せなときでした。
とても信じられず、言葉にならず、涙も出てこなかった。
会社を辞めて10数年、Facebookや年賀状、InstagramのDMでは連絡を取っていましたが、もう何年も会っていませんでした。
会うチャンスはいくらでもあったけれど、わたしがいつでも会えるって思っていたのと、何かを成してからじゃないと会えないって思いこんで避けていたのかもしれません。
前の会社はとてもいい職場で人間関係もサラリーだってチャンスだって十分以上だった。ただ自分の『挑戦したい』という思いだけで退職したから、プライドというか、意地があったような気がします。
詳しいお話はお聞きしていませんが、今年の4月頃、体調を崩し、5月の連休頃から入院されていたそうです。
それから約2か月なので、本当に急なことだったのだと思います。
なぜあの時、会いに行かなかったんだって大きな後悔もあってしばらくぽっかりと心に穴が開いたというよりは、ものすごく大きな漬物石が心臓の上に乗っているようなそんな毎日でした。
とても受け止めきれませんでした。
転職してからも、時折ご自身がツーリングに行ったときにメッセージをくれて。
またバイクに乗らないか?
バイクを買ったらツーリングに行こう
そんな話もしていました。どうしていつかできるって思ってしまったんだろう。
”仕事が”、”学業が”、”新しい生活が”
もちろん優先順位もあるし、責任もあっただろうけど、東京に帰ったらいつでも会えるなんて、なんて傲慢だったんだろうって思いました。
本当は、今もまだ受け止められているのかわかりませんが、少しずつ後悔や悔しさや悲しみから感謝の気持ちが大きくなってきている気がします。
先輩に出会えて本当に幸せだったこと、かわいがってもらって心から感謝していること
きっと先輩なら、あの時なんで来ねーんだよって笑いながら許してくれてると思う
一生懸命生きるから気が向いたら様子を見に来てほしいし、北海道ツーリングも必ず行くからその時は参加してほしい
ひょっこり出てきても、怖くないからOKむしろ、大歓迎
ふぅ、重たい話ですみません。やっと書けた。
そろそろ1か月だなって思って書きました。
先輩、安らかに
本当にありがとう
飲み会に顔も出さず、しばらく連絡も取っていないのに、私に先輩の訃報を教えてくれた、たくさんの人にも心から感謝しています。
お陰でお通夜に参列させていただくことができました。岡山→立川の5時間超えコースでしたが、行かないという選択肢はなかった。その日には帰れなかったので実家に泊まって朝イチの新幹線で岡山に。
快く送り出してくれた会社の社長にも、本当に感謝しています。
お通夜で、最後に会ったのはいつ?って当時一緒に働いていた仲間が聞いてくれて、その時に初めて涙が出ました。それまでずっと苦しいのに泣けなかったけど、声をあげて泣きました。
なんでこのブログのサブタイトルに”make it count”ってつけたのか覚えていないけれど、本当に今できることを大切にしようって強く強く思います。