海外ではじめてゲイの人に出会って
大笑いされ、ラニエロさんと一気にうちとけた。
ラニエロさんは、バールの店員さんから
バスの回数券を購入した。
『へぇ~こういう所で回数券が買えるんだ』
流石は地元の人だ。
私はいつも駅の切符売り場か、バス停近くの売店で
1枚づつ購入していたが、回数券なら割安だ。
バールを後にしてラニエロさんから頂いた切符で
バスに乗り込むと、刻印機に誘導して下さった。
イタリアのバスでは車内に数カ所ある自動刻印機に
切符を差し込み「ガチャン」と音がしたら引き出す。
すると切符に日付と時間が刻印される仕組みだ。
運転手さんは特に何も確認しないので
刻印無しでも乗れてしまうのだが、
抜き打ちで検札された時に、切符が無かったり、
あっても刻印が押されていないと無賃乗車とみなされ
多額の罰金を要求されるのだ。
チエコさんと観光しながら歩いて向かった
【ナヴォナ広場】は、バスだとすぐに到着した。
「今日はエピファニアのお祭りなんだ」
とラニエロさんが教えてくださった。
東方の三博士が幼いイエスへの貢物を捧げたと
伝えられる1月6日は、子供達がおもちゃのプレゼントを
もらえるというのが「エピファニア」だそうだ。
『それでチエコさんと来た時も
おもちゃの屋台が多かったんだ・・・』
広場は多くのおもちゃの屋台に囲まれ、カラフルな
風船売りもいて、大勢の家族連れで賑わっていた。
おもちゃの剣を腰にさした男の子、動物の風船を握る子、
中には自分と同じくらいの大きさのぬいぐるみを
抱えている子もいる。
みんなこの日ばかりはお目当てのおもちゃを買ってもらい
嬉しそうな笑顔を浮かべる子供達が、両親と手を繋いで
歩く姿は、とてもほほえましく幸せな気分になった。
この後は【パンテオン】や教会等を見学して
韓国料理の店へ戻った。
まだ夕食には早い時間帯だったからか?
お店の客は私達だけだった。
メニューを渡されたラニエロさんは
「私は解らないので、貴方が決めて」と言って、
全部まかせて下さったのだが・・・
この当時は韓流ブームなんてまだなかったし、
韓国料理について詳しくなかったので、
無難にカルビとロース肉を注文した。
すると韓国人らしき中年女性の店員さんが
「サンチュ?」と言ってきた。
私が「サンチュ?」と聞き返すと、
彼女は両手を包み込むようなジェスチャーをした。
「あっ!葉っぱね。OK」と注文した。
具材を包む葉のことを「サンチュ」ということすら
知識としてなかったくらい韓国料理にうとかった。
続けて彼女は「キムチ」を勧めてきた。
『ラニエロさんはキムチ食べたことないだろうな・・・
まずは、辛いもの大丈夫か聞いてみよう』
「ホット、OK?」(辛いの大丈夫?)
「OK」(大丈夫)
「バット、ベリーベリーホット!」
(でも、とてもとても辛い!)
そう言って首を左右に振った。
「ユーチョイス」(貴方が決めて)
はじめての食体験をさせてあげてたい気持ちもあったが、
『余りの辛さで食べられないのでは?』
と心配してキムチは注文しなかった。
お肉はすぐに運ばれてきて、
目の前でハサミでチョキチョキ切る様子を
ラニエロさんは興味深げに見ていた。
いつもは自分がしている異文化体験・・・
現地の人が異文化体験している様子を
見るのはちょっぴり新鮮な感覚だった。
私が焼いたお肉をタレを付けて
葉に包んで食べるところを見せると、
ラニエロさんも真似をして食べた。
『私が素手で触ったらイヤかな?』
っと思ったが、私が葉で包んだお肉を差し出すと
「グラッッエ」(ありがとう)と食べて下さった。
食事をしながら、私が日本の仕事を退職して
2ヶ月の一人旅をしていることと、
これまでの旅の経緯を説明した。
つたない英語で語る私の話を、
時には質問を交えながら、
ラニエロさんは真摯に聞いて下さった。
「ナポリへも行きたい」と私が言うと、
「ノーノー」と反対された。
「ナポリはマフィアがいるし、
女性が一人で行くなんて危ない」と言うのだ。
「ナポリを見て死ね!」という
イタリアのことわざを知って、
『イタリアの人がそれほど言うなら見てみたい!』
と思った。
他にも『本場のマルゲリータピザが食べたい』等々
理由は多々あり、ナポリには是非行きたいと
思っていたが・・・
『ナポリを見た後で本当に死んでしまっては
何もならない』と思った。
ウィーンの宿でも「女性が一人で行くのは危ない」
と、ハンガリー行きを止められて行かなかった。
今回も地元の人の忠告に従い、ナポリ行きは
残念だが見送ることにした。
「私も支払う」と言ったのだが、
「貴方のお蔭で韓国料理を食べられたから」と、
食事はラニエロさんがご馳走して下さった。
お店を出た後
「はじめての韓国料理はどうでしたか?」と伺うと、
「悪くないが、中華料理のほうが好きだ」と仰った。
『私がもう少し韓国料理を食べ慣れていて、
他にも色々注文できたら・・・』
『ラニエロさんにとってはじめての韓国料理は、
私のせいで余り良い印象では無かったのかも・・・』
と少々反省する部分もあった。
だが何しろこの時は、日本でも韓国料理を
余り食べたことが無い私の、
海外で食べたはじめての韓国焼肉だった。
「グラッッエ」(ありがとうございます)
「プレーゴ」(どういたしまして)
翌日の夜、ラニエロさんのお店に食事に伺う
約束をしてこの日は別れた。