『マザーズ・ロザリオ』~ママより愛をこめて~ | 一寸笑閑話

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日常のなかの、考えや、思いつきを書き散らしています。

お久しぶりです🎵(^^)d

『お久しぶりです』が、すっかり挨拶がわりになりつつありますが…(^_^;)

ひょんなことから、市の子育て支援センター主宰の運営サイトの委員になりましたσ( ̄∇ ̄;)

子育て関連の記事をアップすることが指命(笑)なんですが、10人いるなかで、たぶん、私の記事は、最後のほうになるかな。

Facebookを使う、とのことで、新しく登録し、メッセンジャーまで、入れましたが、使い勝手が よくわからず(-_-;)

これから、少しずつ、レクチャーしていただくことに…
つか、Facebook、使いづらい…(  ;∀;)


そんなわけで、一足早いですが、そちらの子育てサイトに ご挨拶がわりに書いてある記事を、こちらに載せておきます。


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『マザーズ・ロザリオ』~ママより愛をこめて~


世の中には、いろんな境遇の人がいますね。

そして、その境遇に、『幸』『不幸』を つい重ねてしまうのが、情というもの。


「いま、しあわせですか??」


ーー答えは、なくてよいのです。

しあわせかどうかよりも、この世に、「自分」という存在を得たことを、何よりも誇りに思って欲しいと思います。


子育てをしているママさんも、
これから子育てに入るママさんも、
もう、子育てが終了したママさんも、
また、子育てでなくとも、ママでなくとも、育児に携わる、すべての人へ、

ひとつまみの、砂糖を。
息抜きの、レモンを。
ささやかな、休み時間を。

このサイトで感じてくれたらいいなあ、と思います。


さて、前置きは、ここまでにしましょう。


            ♪    ♪    ♪


表題に使った『ロザリオ』とは、ラテン語で「バラの花飾り」。
そこから発して、キリスト教カトリックでいうところの「聖母マリアへの祈り」、またその道具をあらわします。
検索すれば 簡単にわかりますから、詳しくは書きませんが、私たちのイメージする「ロザリオ」とは、少し意味が違います。

仏教で使う『数珠』、あれの西洋版といったほうが、分かりやすいでしょうか。

キリスト教にも、大きく分けてカトリックとプロテスタントがありますが、カトリックは神父さん、プロテスタントは牧師さん。

神父さんには、ランクがあり、そのトップがローマ教皇ですが、
牧師さんには、序列がありません。

…と、こちらの話題も、話し出すと尽きないので割愛…(^_^;)


私の子育て歴は14年。
今年、いちばん上の娘が中学2年になります。
真ん中は小5の男の子、
末っ子は幼稚園年長の女の子。

主人は会社員時代の同期生で同い年、でも半年、私の方が誕生日が早い(笑)。
いまは、広島県で単身赴任しています。

滅多に帰ってこれないので、事実上、母子家庭になります。

単身赴任歴は5年、
それまでは、主人について転々と転勤してまわりました。
島根県、広島県、東京都、千葉県、茨城県、埼玉県。
いろんなところに行けたから、とても楽しかったです。

転勤のたびに
『初めまして!これからお世話になります』
と、菓子折りを持って ご近所に挨拶してまわるわけですが、そのたびに、自分のことをイチから話さなきゃなんないのが、苦痛でしたね(苦笑)。

でも、知らない地域にいても、知った地域にいても、子育ては ひとりじゃできないんですよね。

いやいや、もちろん、一人でも立派に育て上げましたよ…というお話とは、また別の意味です。

そういう『ひとり』…いわゆる『女手ひとつ』『男手ひとつ』ではなくて、気持ちの問題です。


みなさんは、何を よりどころにしていますか?


「趣味は、内用と外用の2種類つくりなさい」


私の叔母が、私の結婚当初に言ってくれた言葉です。
家のなかでできるものと、家の外でできるものがあれば、たいていの時間はつぶせるから、ということなんでしょうね。

子育てが始まると、自分の時間は ほとんどなくなります。

出産したばかりだと、赤ちゃんの世話で1日が終わり、いつも おむつ替えと授乳と抱っこで、両手が空く時間もありませんね。
大好きなコーヒーを音楽聴きながらドリップで味わって飲む…なんて時間、私にはなくなりました。
いつも、夜泣きする赤ちゃんを抱っこしながら、横で ぐうぐう寝てる主人を睨みながら、朝が待ち遠しかったなあ。

赤ちゃんが「ほえ~っ」と泣かなくなり、離乳食が始まると、今度は、メニューに悩むようになりました。
いちどにあげる量は、おやつは、昼寝は、水分は、熱は、うんちは…と、付きっきりの完全看護状態でした(笑)。
サイト…といっても、14年前ですから、まだパソコンなんて普及前、『ヤフー』が日本上陸したばかり、検索機能はありませんから、口コミで知ったイベントに出かける…のが、せいぜいでした。

島根県や千葉県、けっこうイベントが盛んで、半分は観光地でもありましたし、お出かけには、困らなかったです。

やがて、ハイハイが始まると、こんどは掃除に手を抜けなくなりました(笑)。
毎日、掃除をして、ゴミ箱なんかは、手の届かない位置に移動させました。
ハイハイの子どもの目は、ほんのわずかな糸屑すらも つまみ上げますから、気が抜けませんでした(^_^;)。
何でも口にもっていって、確かめちゃいますから、へんなものを口にしないよう、いつも見てなきゃなりませんでした(笑)。

つかまり立ちになり、つたい歩きになり、『初めの1歩』ができるようになると、また、行く先々についていくことになり、目が離せませんでした。

出産してからというもの、6時間以上 連続で眠れた日はありません。
誕生日のプレゼントを聞かれて、
「好きなだけ眠れる時間」と、答えたものでした。


生活時間を気にしたり、習い事を考えたり、幼稚園や学校のこと、これからのこと…と、時間は いくらあっても足りませんね。

たまに まだ結婚していない友人から、充実した生活ぶりを聞いて、羨ましく思ったり、
同じ子育て中のママや、よそのお子さんを見ては、自分のとこと比べ、ため息をつく、なあんてことも、あります。


考えたら、人生の半分近くを 子育てで費やしてしまうんじゃないか、
自分は もっと やりたいこともあるのに、身動きがとれない、
働きに行きたいけど、小さい子どもを預けながらの仕事のあてはないし、保育園もお金がかかる…。


第二次大戦後、日本の生活は、大きく変わりました。教育もまた、大きく変わりました。
『カミカゼ』の特攻精神を恐れた諸外国は、「自分を大事にしなさい」と、『アイデンティティー(個性)』の理念を、私たちに拡げました。


そこから 私たちが新しく学びとったものは、『権利』。

幸せになる権利、
楽しむ権利、
自由に生きる権利、
自己主張する権利ー…、


例を挙げたら、キリがありません。
『権利』というもので自分自身をコーティングすることによって、意義を見出だそうとするようになったのです。

結婚しても、働く権利。
子育てしても、楽しむ権利。


いつのまにか、『リア充』を求めるようになったのです。

『リア充』でないと、『しあわせでない』みたいな、そんな感覚、ありませんか?

ほぼ、手を伸ばせば、何でも届く位置にある、恵まれた現代に生きる私たちに、少し足りないものは 何でしょうか?

「~でありたい」という願望だけでなく、
「~であってほしい」という祈り、誰かのために祈る・願うこと、それも大事なことです。

大切な誰かの安寧を祈ることは、脳科学の観点からみても、『しあわせ』に近いようです。

神社で、お寺で、願うことは何ですか??


『大事な人たちが、健康で、元気でいますように』。


ロザリオがなくても、いつも願うことは、同じですね。
そばに、いつも大切な人たちがいて、一緒に過ごせることの『しあわせ』を、心に留めながら、毎日を育んでいきたいものですね。


子育てを、
「いつするの?」
「いまでしょう!!」

せっかくだから、前向きにいきましょう♪(^人^)ノ