そろそろブログを復活させようと思い、重い腰を上げました。誕生日を理由にして😁

以前は、ある団体の県のリーダーをやらせて頂いていたので、その勉強会への参加者を増やさなきゃだったり、自分がこんなこと書いたらいけないかなぁみたいな、どちらかと言うと、読んでいる人を意識した、腹黒い想いを持って書いていた気がします。

今回は、最近思っていること、感じていること、学んだことなど、書きたいことを、自分のために書いていこうかなと思っています。
あ〜、あのころの自分は、こんなこと考えてたんだ…
みたいな感じで、気楽に読めるものがいいなぁおねがい

まぁ、この宣言が、読んでる人を意識してるじゃん!と言われたら、それまで何ですけどねてへぺろ

まっ!月一回(すくなっ😅)以上更新を目標に、のんびりいきます爆笑

9月15日永業塾知覧合宿がありました。
知覧合宿もとても有意義でした。
が!その鹿児島への旅の途中、もう一つ人生において大きな変化の切っ掛けがありました。
霧島神宮での御朱印帳の入手です。

最近よく神社に行ってます。

元々、信さんや永業塾の仲間に喜んでもらおうと、古事記にまつわる神社を調べ、案内したのが、初詣・修学旅行など以外で神社に行った始まりです。

御朱印帳も霧島神宮で信さんが入手し、北海道の和田さん、福岡の坂田さんが入手し、何となく流れで私も入手という、ある意味不謹慎な流れでの入手です。

ただ、神社を巡っていて最近変わったことがあります。

以前は、義務というか、参らなければならないみたいな、どちらかというと行きたいと思って行く場所ではありませんでした。
そのため、当然参拝後も何も感じることがありませんでした。

それが今では、参拝後はしゃんとするというか、腰骨が立つというか、何とも言えぬ気持ちになれます。時間があれば行きたい場所になりました。

自分は神道には無縁の人間だと思っていたのですが、私の根幹にも神道が息づいていたようです。
生まれて初めて、日本人であることを実感している気がします。


ということで、集印巡りを綴っていきます。
まずはスタートの霧島神宮です。

霧島神宮

天孫降臨の瓊瓊杵命が御祭神の神社です。

霧島神宮ご神木

これがご神木。
横の人で大きさが分かりますね。

御朱印帳
こちらが御朱印帳で、

御朱印霧島神宮
御朱印です。

ふと気になったのですが、御朱印はネットにあげても罰当たりじゃないですよね?
この辺りの判断が難しい・・・

先日、リクルート生活を無事終えることが出来ました。
リクルート生活は本当に走り抜けたという表現がぴったりな6年ちょっとでした。

毎年毎年、こんなに濃い1年はない。
毎月毎月、こんなに濃い1ヶ月はない。
と思いながら走り抜けていました。

しかし、今では、もう6年半が過ぎていたんだ・・・
と、ちょっと不思議な感覚に包まれています。


宮崎編集部に初めて足を踏み入れたのは、2006年3月、ホットペッパーのネット版の立ち上げリーダーとしてでした。
編集部に行くと、ホットペッパーのメンバーは連続達成のお祝い旅行に行っていて、誰もいませんでした。
そんな中、自分の分、チームスタッフの分のパソコンのセッティング、備品の準備、机のセッティングなど、全て一人で行っていたのを覚えています。
立ち上げ期間は3か月だったと思いますが、本当に充実していました。

当時、お店の件数は120件~140件ぐらいだったと思います。
リーダー1名、スタッフ2名。その人数で、その件数の初期作成、修正を行う。
リーダーは、他に諸雑務(撮影カメラマンの手配管理、進捗報告など)もあり、半端ない業務量でした。
スタッフのいる間は、原稿作成をほぼスタッフに任せ、リーダー業務に集中し、スタッフが帰ってから、もしくは来る前に、その日終わらなかった原稿を終わらせる。
朝7・8時に出社して、明け方5時・6時に帰る。
家にはシャワーを浴びに帰るだけ、なんてことがしょっちゅうでした。
しかし、その甲斐あって全国トップの成績で立ち上げに成功しました。

そのときに常に意識していたのは、いかにチームの力を最大にするか。
スタッフはそれぞれ得意分野がありました。
極力得意な業務を割り振ることで、チーム効率は格段にあがりました。
常にメンバーの進捗状況には気を配り、残業務量に偏りがないように修正を加える。
そして、スタッフが終えることが出来なかった業務は、極力リーダーが終わらせておく。チームとして終えることが出来なかったのは、リーダーの力量不足と思っていました。

また、スタッフの不満はすぐに吸い上げる。
そして、それが正しいことだと思えば、上司とも喧嘩する。
わざと、スタッフの目の前で上司に怒鳴ったりとかもしてました。

その他にもスタッフのモチベーションには特に気を配っていました。
その甲斐あってか、スタッフは本当に素晴らしい仕事をしてくれました。

たいした原稿作成能力のない私がリーダーで全国トップの成績を収められたのは、間違いなくスタッフの力です。
このときかもしれません、私が個人ではなく、チームにこだわりだしたのは。


そしてそのときの仕事を認めていただき、当時の編集長の大倉さんから一緒に働かないか?と誘いを受けたのです。

そのとき当時の上司からも引き止めていただいたのですが、次の勤務地がぎりぎりまで決まらず対応にちょっと不満を持っていたこと、引き止め方が、リクルートだと◯万以上給料が下がるみたいに言われたことで、リクルートに移ることを決心しました。
そっちへ行っていたら、次の勤務地は大阪だったので、今頃どんな人生を送っていたんだろうと思います。
多分、美咲は存在しなかったでしょうね。


リクルート生活~編集スタッフ編~ につづく。