どうも、この話の続きです。

心配された方も居るかもしれないので、ご説明しておくと、
「来ても追い返すからね!」とケアマネさんに叫んだ日の翌日。

 

オカンは訪問介護のヘルパーさんを追い返すどころか、フツーに連れ立ってスーパーに行ってました!

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ただ、いつもなら買って来てくれる、私の常備品だけは買って来なかった。
・・・嫌がらせのつもりだろうか。

ただ私もあれから、必要最低限の業務連絡以外は、一切クチをきいていないので、なんで買ってこなかったのかは定かではない。

 

えーえー、病人なのは私も同じなんでね。

 

 

 

やいやい言われんでも出来るわ!バカにして!というなら、出来るところまで好きにやればいいと思っている。
 

ケアマネさんも医者も看護師も、一人で対応すればいいのだ。

 

今は気温が上がってきて、血流がマシになる季節だから、そういう強気なことを言うのだ。

 

どうせ秋冬の寒い時期になったら「お母さんはこう仰っているんですけど・・・」と問い合わせが私に入るに決まっているのだから。


冷たい娘やなぁ、と思われても構わない。
だって私が偉そうなのも、優しくないのも、リス🐿️おかんの自業自得、でもあるからだ。

 

  子供は親の持ち物でもアクセサリーでも、まして自分の分身でもないことを理解してから親になれ

 

リス🐿️おかんが、私に対してどんな母親だったか、を語ると、あまりに膨大に恨みつらみが出てしまうので割愛するが、このブログの読者なら🐿️オカンが

 

「世界中が敵になっても、お母さんはあんたの味方だからね」

 

なぁんてタイプでないことは容易に理解できるだろう。
 

うちのリス🐿️オカンから幼少期に得たのは、なにか親が望むことをした時の「報酬」のみ。

だから、この人は心底わたし自身を愛していないんだな、ということなど、小学校低学年で理解していた。

 

例えば、こういうことだ

  • (六歳)「この忙しい時にっ!血ぃ止まったら学校いきや!」と鼻血が止まらなくて泣いている私を一人家に置いて、母はパートに行った
    天井の模様を見上げながら、このまま私は鼻血ブーで死ぬんだ、と思った
     
  • (十五歳)自転車ごと車にはねられて意識不明で病院に担ぎ込まれたとき、目が覚めた私に母は「あんたはもぅ!人に迷惑かけて!」と怒鳴り、信号無視で横断歩道に突っ込んできた運転手の方に平謝りしていた
     
  • (二十代)東京で記者になり、一人暮らしをしていた私が、過労とPTSDのショックでうつ状態になり、睡眠障害と栄養失調でぶっ倒れた時。私の所に来てくれたのはいいが、精神科の先生から「頑張りすぎるのは家庭や家族関係にも問題が・・・」と言われた途端、自分の方がショックを受け、目がイッちゃっている私を見るのが怖くて、一日で逃げ帰ったこと(これは本人が言っているから事実)


とは、思ったが、そこまで期待していなかったのでショックでも無かった。
そんな風に、実のオカンから見ても、怖くて逃げ帰ってしまうような木偶の坊の私を助けてくれたのは東京の友人たちだった。

 

「居ないと淋しい、面白くない」と餌を与え、様子を見守ってくれる友人たちに、私は無償の愛を与えられて少しづつ再生した。
 

私はその時に、実の親からは与えられなかった「人の情」というものを学び、
そしてそれを自分が無条件に受け取ってもいいのだ、という悟りを得たのだ

 

それが

 

「本来の自分のままでも私は価値があるんだ」という自己肯定感の誕生。まみち第一形態から第二形態の進化である。

愛情や情、というものは、ただ一緒にいて、飯を食わせてやれば感じる、というものではない。

 

京都に戻ってから、ガンになった時は近くの幼馴染が手を貸してくれ、心を砕いてくれた。

今もなにかあれば、日本中に散らばっている友人たちが遠くからでも、
声をかけてほしい時(ここが大事よね)に、掛けてくれる。

 

その存在を感じられる時、自分はそうしてもらってもいいのだ、と思える時。

 

やっと人は人を信じたり頼ったり、またはお返しに無償の愛を与えることが出来るのだと、私は思う。

 

それとは逆に思うのは、私の世代に多くいる
 

親の気に入る理想の子ども、社会や会社が求める理想の人間など
求められる人間でなければ、生きている資格がない

この概念を幼い頃から刷り込んだ大人たちは本当に罪が重い

 

ということだ。



とまぁ、なんだかんだ言いつつ、お互いに利益があるので同居は続くし
私は、やるべきことは心身のできる限りは、やる。

 

リス🐿️オカンがいくら嫌がっても、世帯の命や健康にリスクがある行動をした場合は、制限をかける。

 

けれど

ドラマのような理想の親子関係を今更望まれても、応じる義理はない

という意識が働いてしまうのだ。もう十分、子供ん時から親のようにあんたの面倒は見てきたから。

 

血縁だろうが他人様だろうが、都合のいい時だけ甘えて、あとは「私は自由よ、ほっといて」なんて人間はそもそも嫌いだ、と私は公言している。

 

それでも嫌だと言うなら、ほんまに、ほっとく。
グループホームでもなんでも、自分で申し込んで、他人と暮らしてみろと言ってやるつもりだ。

なんせ今の私は、身体も心も無理が効かない第三形態になっているのだから

 

うちのオカンに限らず、年寄とか、現実を見るのが嫌なタイプの人は

「何か問題ないですか?」

「お体の具合はどうですか?」と聞かれると

「大丈夫です、変わりないです」

と、嘘をつく。

 

しかし、一緒に生活してる私には、毎日のように

「あそこが痛い、ここが具合悪い、薬が効いていないような気がする」とぼやく。

そして合わない薬を出されても、真面目に飲み続けて調子を悪くしたりして

処方箋を読み、薬局や訪問看護師やケアマネさんに電話して

薬をやめさせたりするのは私なのだ。

 

 実にめんどくさい・・・
自分の薬を飲むだけでも何種類もあって大変なのに

 

 

でも、リス🐿️おかんは、「薬飲んだ?」とか色々口を出してくるそんな私が鬱陶しいのだ。言わないと、忘れるくせに、だよ?

 

なんてったって、まだら だからねーーー、ということは解っていても

本人が「今はマトモ」なのか「今はファンタジーに行ってます」なのか、こっちには会話したり、行動を見てからじゃないと解んないんだよ。

しかもファンタジーの時の記憶って、無かったりするし。

 

すると、こういうことが起こる。ケアマネさんに体調や行動を聞かれていて

「問題ないです」というのは、あくまでオカンの認識。

 

実際を見ている私が「いや、あんなこともある、こんなこともあった」チクッていたら

立場を無くして腹を立てたのか、オカンがいきなりキレた。

 

そんなずーーーっと前の失敗を、毎回毎回みたいに言わんでもいいやろ!

(いや、つい最近の話なんですけどね)※()内は私の心の声です

誰でも歳とったら出来ひんようになるし、
失敗もするやろ!

(いやいや、あなたのポカは昔からですから)

せやのに、あんたは優しくない!
いっつもバカにして偉そうにしてっ!

(じゃあ、あんたがリードして物事を進ませたことがあるのか?)
長いこと、辛抱して来たけど💢💢

(こっちのセリフじゃ)
 

三人で話していたテーブルを離れ、ピーピー鼻をかむオカンに

「ごめんなさいねぇ、嫌な話ばっかりしてしまいましたねぇ」
ケアマネさんは優しく声をかけてくれた。

 

調子こいたオカンは泣きながら続ける。

どうせ、私をバカにしてるんや、

私が何をしても気に入らへんのや

私なんか、おらんほうがいいと思っているんやろっ!

 

昭和の時代によく聞いた

郵便ポストが高いのも電信柱が高いのも、どうせ私のせいなのよ(>︿<。)

パターンである。


おかんのこの手の「甘えギレ」は、もともと女の子体質のオカンに周期的にあるし、
レビーの傾向が解ってからは、自律神経や鬱傾向として出ているんだと理解はしている。だから私は

 

┐(´д`)┌ヤレヤレ また始まった、へっ

怒れ、怒れ、泣け、泣け!

あなたのストレス解消になるわ

わたしは受け止めませんけど。

とリビングから自室に帰り、二人を放置した。

 

ケアマネさんは、そんなオカンを初めて見るのでオロオロ( ˊ°_°ˋ )

していたが、そこはプロだし。

 

本来、えーかっこしーの日和見主義のオカンは
他所の人から無理難題言われても、自分が我慢してコトを収め

でも、後でぶちぶち言う・・・私の大嫌いな日本人気質を持っている。

 

そんなオカンが、その場で泣き、愚痴るというのは病気がさせている、

ということもあるだろうが、そのケアマネさんに心を許している証拠だ。

 

だから、そーやってケアマネさんとか、デイサに行った時に、
第三者に私の悪口を散々きいてもらって発散すればいいものを、
そこは、えーかっこして言わないのだ。

 

しかし、部屋の向こうからこれが聞こえてきたときには驚いた。

 

もう、来なくていい!

はよ死にたいから来なくていいからね!
ヘルパーさんも看護師さんも、もう受けない

きても追い返すからねっ(>︿<。)

 

 

ふっざけんな!ボケが!
(あ、ボケツッコミのボケですよ?)

 

そーやって私にばっかり頼って来たくせに

 

何度も何度も、家のことで仕事やめざるを得なくなったり

役所だ裁判所だ、行ってしんどい思いしてきたのは私だぞ

 

そのせいでガンになったとは言わないが、未だにしびれとこわばりで

起き抜けは何時間も動けないような身体だから、福祉に、
介護の人たちにお願いしたんじゃないか。

 

介護の人たちは、私一人じゃ、あんたと私の生活を
支えきれないから来てもらっているんだ

あんたが断る話じゃねえわっ!

 

あ、大丈夫ですよ。今のは自室でクッションを殴りながら吠えた心の声だから。

つづく

今日は文字がデカいぞ

なぜなら、やたら私の周辺で
傷んでいる心優しき友人たちに向けて書こうとしたら
この
「ことばを伝えたい」人たちが、
みな文字読むの苦手💦だったり
老眼だからだ😅


まず、今までお利口さんに
正しく生きてきたつもりなのに
何もかもが噛み合わなくなって
何をどうしたらいいか
分からなくなっているキミ。

 過去問の正解をなぞる様な生き方をしていたら、激変する現実の未知の問題で、正解が解らないのは当たり前なのら😮


自分で考えて表現し
行動するたびに頭を打ち
なんで失敗ばっかり😭と
痛い思いをしているキミ。

 失敗せず成功する人は、後に自らの「地力の無さ」に恐怖を抱く。トライ&エラーのトライはレベ上げ。エラーは「まちがい」がハッキリ解る良い経験なんだぞ?


そして

言葉が上手じゃないから

気持ちがうまく伝わらない

と嘆いて、コミュニケーションが怖くなっているキミ


 どれだけ語彙を増やそうが、的確に表現しようが、受け取る側に理解力や想像力がないことも良くある


また、もっと恐ろしいことに

 キミの言うことが解っちゃうと(その人が)困るので、分からないフリをしたり、逆ギレするやつもいるのだ

真摯に向き合うべき相手かどうか、まず考えよ


そしてタイミング

というものも忘れてはいけない


まじめに誠意を持って生きているつもりでも、

何故か出合う環境や、

関わる相手と

ことごとく噛み合わない

上手くいかない

という時期は誰にでもある


それは風向き、タイミングが悪い


そんな時でも、やみくもに頑張るのは、五里霧中の中、体力を使うのと同じ

頭抑えられて猫パンチしてるようなもの


つまりは無駄だ

経験者が言うんだから間違いないꉂ(ˊᗜˋ*)ヶラヶラ


噛み合わない、動けない時は

先ずは自分の心身の傷を癒す


内省し、糾すべきは糾す


その間に自分自身を探求し

自分以外のものも分析し

その経験から次の策を練る




そして月や太陽が出て

自分の姿や、

立ち位置が見えるようになったら現在の自分の居る位置と、

これから行きたい方向を見定め、そこに向かう方法を考える。

 それも解らないなら本でも映画でもアニメでも「物語」を見よ。そして自分が、どの主人公の、何に“萌え・燃え”るのか探せ


それからだ。行動するのは。


年齢も地位も

他の誰かの成功例も関係ない


動くのもキミなら

満足するのも痛い目みるのも

すべてはキミの体感、実感なんだから


 腹くくれよ、近道しようとすんなよ

以上だ