ども、まみち🧚‍♀️💫です。

1ヶ月以上、記事を書いてないよ、と

何度もアメブロからお知らせされていましたが

そりゃあそうだろ。


私自身、がんサバイバーで、バセドウ病で、レビーのオカンの介護でヘトヘトなのに

そんな私を長年、支えてくれていた

「ほぼ父」のおっちゃんが、倒れたのは

私も、当人もなかなか受け入れ難い事で



私はオカンとレン太の面倒を見つつ、


 すんごい暴風雨の真っ只中に居たんだから。


その詳しい経緯はマジで

「嘘のようなホントの話」で

普通の人が当たり前に出来ることは、出来ないのに

大逆転や奇跡を起こせる

私の、何度目かの大逆転劇なのだが

それを、ちゃんと書くにはもう少し体力回復してからにしたい。


でも、今日のことは、今日書いておきたかった


本日「仏滅」の日に、出棺、となったはず…

と、いうのは、血縁じゃないと関われない様々な手続きや役所絡みの許可が出ないと、出棺の日が確定しなかったからだ


でも、多分、マテリアルボディは、今日行ったと思う。


私が若い頃、父の日にプレゼントした、メッシュのベルトを着け、入院中に差し入れしたスケッチャーズを履いて。


なんでかってーと、

私が立ち合わないと何も進まない

オカンのヘルパーさんや

訪問看護師さんの訪問などがやっと済んで


部屋に戻って、電気を付けたら


パッとついて、パッと消えた。

それから、全く つかなくなった。

その時ふと、出た言葉が

「あ?おっちゃん、行ったか?」だったからだ


昔の電球のように、段々暗くなったり

チカチカついたり消えたり、なんてこともなく

マジで、いきなりPPKで

蛍光灯の寿命が尽きたのだ


致し方なく、近所の電気屋に蛍光灯を買いに出る


と、梅雨にも関わらず、今日の京都は

珍しく湿度も低く、爽やかで軽やかな、晴れだった


多分これから、おっちゃんは観音さんと一緒に

毒父が私にかけた呪いを祓い


私の頭ん中で、今まで以上に私を甘やかし

護ってくれるはずだ


そう思わせてくれる青空だった


🌳ピロキ🌳作 まみち🧚‍♀️💫の図


ども🙋‍♀️役所と病院が休みだから、連投するまみち🧚‍♀️💫です

私はポケカラというカラオケアプリで

LIVEで歌っていたり

AIと一緒に自作した歌をYouTube他で

発表したりしているんだけど。


いつもポケカラでは、歌を通じて

仲間と楽しむことを主体にしているから

こんな話はしないが


最近ポケカラを「ヤリモク」で使おうとして

間違って私みたいな

音楽ガチ勢にちょっかいかけてくるバカ

がいる。


そもそもSNSはツールであって、

ツール(道具)は使う人によって、良いものにも

悪いものにもなる。


ポケで出会いを求めるのも、実際にトラブルを起こすのも勝手なのだが、私はその場で先制パンチして

「二度と関わるな」と即ブロするから、いーんだけど、優しい人達?は迷惑しているらしい。


しかし、そういう「ヤリモク」が迷惑だから、という理由だけでなく

たまに社会に問題があったり

事故や災害にあって苦しいひとが居る時だから

「歌うのを自粛します」と、いう人を見ると、凄く違和感を感じる


私自身、オカンの介護関連の窓口となり

仏頂面ながら、食事管理や薬の管理もしているし

先日の記事に書いたように

『おっちゃん』がうまく在宅療養になった場合に

どれだけの事がしてやれるのか、なんて事を

包括センターの人達と相談したり、もしている


楽しい気分であるはずが無い


通常で考えたら歌なんか歌えない状況だろう

しかし、だからこそ、歌う


役所や病院が動かないときは

歌えるチャーンスとばかりに、歌う


バセドウ病の具合で、体調的に物理的に

歌えない時は息も絶え絶え、声も出ないので


歌える時は歌っておいた方が、

 胸につかえている重たいものを吐き出せる、からだ

そして自分が過去に経験した暗黒時代には

音楽もエンタメも、果ては

楽しそうにしている人たち皆を憎み

呪ってやろうか、とさえ思った😅


邪気や、病、悩み、苦しみ

そういうものばかりに包まれてしまうと

マジでアストラル体は呼吸が出来なくなるのだ


その状況を経験しているからこそ

  人は闇に飲み込まれるのを避ける為にも歌う、と思っている



古代から、歌は文字よりも先に

文化を継承するものとして、様々な土地で口伝えで「歌い継がれてきた」


最近私が癒されている、ケルト音楽も

牧歌的で美しい音の裏に

実は、背景には様々な苦しみに耐える

民族の哀しみがある


そして言わずと知れた黒人のブルース、ジャズ


山岳地帯のけわしい場に逃れた

インカ帝国の生き残りの民たちがルーツと言われる

フォルクローレ


沖縄やアイヌの、自分達も自然の一部として

生かせて頂く、感謝と祈りを物語って聞かせた

不思議な旋律


 彼らの歌が口承なのは、文字に残すと危険があったからだ


辛く哀しい現実があるからこそ

人は語る、そして歌い踊る

明日も生きなければならないから


それは自然や神々に対する安全への祈りであり

自分たちが「在った」ことを

子孫や、その未来へと繋いでいるのだ


  言葉がなくとも物語は伝わる

ヴァイオリンや、ピアノなど

言葉を乗せていない音でも、

魂のこもったものを聴くと情景が浮かび、音が語り出す


いい音楽からは画がみえ、いい画からは音が聴こえるのだ


祖国ポーランドの悲劇を哀しむショパン


ブラームスの社会や自分に対するフラストレーション


ミューズに愛されながら、現実社会の不遇とのギャップに苦しむモーツァルト


♬*°•*¨*.¸♬︎・.。*・.。*🎹・.。*・.。*🎤.*⋆⸜ ⸝⋆*🎶✩࿐


そういう私だから、音楽をこよなく愛しているし

リスペクトしている


唯一、好きじゃないのは

男の作詞家が「願望」として書いたとしか思えない

ただ、ただ待つだけの女とか

モラハラパワハラ男に縋る演歌、だ。


そういう歌詞じゃない演歌なら嫌いじゃないけど

(*´艸`)ププ

前の記事に、盟友kiriさんから曲についての

感想を頂いたので

ちょっと書いておこうと。



こないだは、チャンネルTOPへのリンクを貼ったので、カバーも混ざっているから
聴くの大変に思われた方もいると思い
オリジナルのリストだけの
リンクに貼り替えた、のが、コレ。



kiriさんから「まみちは団塊ジュニアなの?」

という質問を頂いたが

 私に年齢はない




身体年齢は、病院に行ったりすると

「ああ、いま、こんななんだ」と確認するが

子供ん時から、元気に走り回る…とか

エネルギーが有り余って仕方ない、ほど

元気だったことがない


今の時代に生まれていたら色々と、障がい診断をもらい手帳も貰えていただろうが、あの当時と今では全然違うから

どっかしら変な扱いにくい子として、排除されてきた


 「境界」のココロと身体を持っていた私がハザマの人たちと出逢うのは必至


物心つくのも早くて「なんだこいつらは」と

周囲のオトナ達の矛盾をずっと観察してきた


だから話が合うのは、かなり年上で

“こどもを子供扱いしない” 稀有な人たちとばかり、仲良くなった…すると、親や近い人からは

「あんな人とあんま関わったらアカン」

と叱られた


いま考えたら、

あの人たちは、いまの私のように

 マトモ?真面目?過ぎてオカシな社会に順応できないタイプの人たちだったんだと思う


けれど、周囲の奇妙なオトナ達よりも

人として共感出来るところを持つ彼らの元に

私は足繁く通った


彼らのバラックでも


パチンコ富豪の自宅のインベーダーゲームの前でも


化学の実験室でも


グランドピアノの前でも


私は、

周りからは蔑まれている彼らの中に

明らかに彼ら独自が持つ光るものを見たし、


わたしをタダの子供扱いせず

私がどんどん掘り下げて質問する

人や宇宙や、戦争や社会、そして

哲学的な話に、真摯に向きあい

解らないなら解らないまま、一緒に考えてくれるのが嬉しかった


小学校にある子供向けの本は、とうに読み尽くしていた私には、

様々な立場で、様々な時代を生き抜いてきた


 経験者たちの話は、地球や人間を知る生の声として私に蓄積されていった


もともと大人びた子供は、他人の人生をも養分にして、ますます老成し

考えようとも、向き合おうともしない

親や教師を下に見るようになった


🌳ピロキ🌳作 standingまみち🧚‍♀️💫