千歳空港から
観光バスに🚌💨

北海道バス
ガイドさんは落ち着いた声で
北海道の色んな話をしてくれます。
ファミリーで行くと自由ですが
ツアーはまた歴史等色んなガイドを聞いて退屈しません。

羊ヶ丘展望台では
ジンギスカンを🐏⸒⸒


BOYS be ambitious!


ガイドさん

食べ方伝授

沢山の野菜を先に敷いてその上に肉を置く。

このレストランは生肉だが

タレ漬けもある。

生肉はガチガチに焼いては行けない!

生でも食せるので火が通ったなと思うくらいで食べるといいと


さすがです、

とても柔らかく臭みもない。


道民の焼肉とゆうと

ジンギスカン🐏⸒⸒‼️

あまり牛を食べないんだって。


夫はJTBさんにお願いしていたので全て肉魚抜きです。🙅

ここでは北海道カレーと味噌ラーメンでした。


今回はホテルでも

すごい別料理でした。

満足満面の笑みでした!

一日目のコース料理


これ夫メニューです。



こちらは私(皆さんと同じ)


全部では無いけれど








ワイン🍷、シャンパン🥂、生ビール🍺、日本酒🍶、ウィスキー🥃

飲み放題です。



    🩵🩷🩶ドキ(✱°⌂°✱)ドキ🩶🩷🩵

ガイドさんから聞いた

赤い靴とゆう童謡の実話


赤い靴 はいてた女の子
異人さんに つれられて行っちゃった 

横浜の 埠頭から船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった

今では 青い目になっちゃって
異人さんのお国にいるんだろ

赤い靴 見るたびに考える
異人さんに逢うたびに考える


野口雨情氏の作詞

赤い靴履いてた女の子は実在の

『きみちゃん』です。


明治35年7月15日、現在の静岡県清水市で生まれました。

母の名は「岩崎かよ」未婚の母でした。父親の名を明かせない私生児ということから世間の風当たりは厳しく、娘ともども開拓団として北海道の函館へ、たどり着いたのです。
母「かよ」は函館で出会った鈴木志郎と、留寿都村への入植を決意しました。当時「きみ」ちゃんは3才。しかし、明治時代の北海道開拓は、命がけで、幼い子供を連れて行くことなど考えられませんでした。

そこで「かよ」は、当時函館の教会で宣教の働きをしていたアメリカ人宣教師・ヒュエット夫妻の養女として託すことにしました。

しかし、ヒュエット夫妻が帰国する事になった時、「きみ」ちゃんは当時不治の病とされていた結核に侵されてしまいます。結核を発病した彼女は、船旅ができずやむなく麻布十番の鳥居坂教会の孤児院(永坂教会孤児院・現在の「十番稲荷神社」のある場所)に預けられてしまいました。そして「きみ」ちゃんは、3年間の闘病生活の末、9才というあまりにも短い生涯を終えたのでした。明治44年9月15日の夜のことでした。

「きみ」ちゃんを託してから2年後、母「かよ」は入植に失敗、鈴木志郎との間に生まれた娘「その」を連れて札幌に出ました。
札幌で鈴木志郎は新聞社に入社、そこで同僚として知り合ったのが、当時、その新聞社にいた野口雨情でした。同世代、そして子供一人という同じ家族構成ということもあって、両家族は急速に親しくなり、一軒の家を二家族で借りて共同生活をはじめました。その折、「かよ」の「きみ」への思いを聞き、母親の愛に感動した野口雨情は、これを詩に綴りました。その詩に本居長世が曲をつけて完成したのが、童謡『赤い靴』です。母親の「かよ」は,そんな娘の死も知らないまま,昭和23年,「きみちゃん,ごめんね」の言葉を残して64才で他界したそうです。


赤い靴の歌にこんな悲しい話があったなんて😢


バスの中からでしたが

母と子の銅像を見ました。


ガイドさんは横浜にある

この親子の像を見てほっとしたと。

北海道で離れ離れの母娘が

横浜では抱き合っていたと。


とても嬉しくて

良かったぁと安堵と。

そんな

ガイドさんの話を聴きながら

ホテルへ着きました。