牛すき煮の卵とじ(夕飯のリメイク)
タラコと小葱入り卵焼き
かぼちゃのハニーレモンバター煮


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阪神淡路大震災から
24年経ちました。

あの日は
娘1の小学校入学前の
諸々の検査と薬の調整と
未接種の予防接種を受けるため
3週間の予定での入院の日でした。

9時までに入院受付に行かなくてはならなく
息子を起こして
朝ごはんと学校への送り出しを
義父母に託し
旦那の車に入院荷物と娘1を乗せて
バタバタと家を出たので
テレビを見る余裕など全く無く…

入院手続きをして
色々チェックを受けた後
病室で荷物を整理し
持参したテレビを付けたのが昼過ぎ
ニュースしかやってなく
そして、神戸や兵庫のあの風景を
初めて目にしました。

今のようにインターネットなど
盛んではなかった時代
テレビ以外全く情報が入りません。
入院と言っても娘1は元気な訳で
テレビはすぐに娘1のビデオに占領されて
ニュースも見られず

夜中になって、やっとテレビを見ると
本当に信じられない光景と
信じられない情報ばかりでした。

高速道路が倒れる?
火事で焼け野原の様になってる?
マンションが崩壊?
死者や行方不明者の数が…

これが現実なのか?と
信じられませんでした。

翌朝、病院の売店で新聞を買い
隅から隅までじっくり読んだ記憶があります。

関西は地震が少ない印象だったので
こんな事がおこるのだ…と
ただ呆然としていました。


その頃はまだ娘2も3も生まれる前でしたが
今、もし地震が来たら
自宅に居る息子は大丈夫だろうか?と
そんな心配をしながらの入院生活でした。


最近になり
関西の友人が増えて
あの時の話を聞く機会があります。
大変だったのが手に取るようにわかる

私は東日本大震災を経験しましたが
東京で経験した震度5と
阪神淡路大震災の現場や東日本大震災の福島での直接の被災とは比べ物にならないでしょう

未だに復興住宅で暮らす方も居るとか

風化しないように語り継ぐ事が大切と
言って居る方がいました。

何かあってからでは遅いです
被災された方々が残してくださった教訓をもとに日々備えて置かなくてはならないと思います。


東日本大震災の時に旦那と話したのですが
娘1は避難所暮らしは出来ません
もしもの時は
ほかの娘たちと息子祖父母を避難所に行かせ
私と旦那と娘1は
テントや車中泊で暮らさなきゃね!って
だから、旦那は車中泊用の備えを常に万全にしているのかも知れません。

備えあれば憂いなしです。


犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りします。