わたしのパパはよく怒ってる人だった


いつも怒ってるの


怒ることをいつも探してるような感じ


パパの目を気にして過ごしていた





朝から怒られるとめちゃめちゃテンション下がるから


パパが仕事に出るのを待って


起きたりしていた時期もあった



なんとか会う時間を少なくしていた





中学時代に


朝練とかがあったりして


早く起きないといけなくなって






何がきっかけだったか、


忘れてしまったのだけど


わたし朝起きて、祈ってたんだよね



「おはよー」っていう直前に



見えないところで



目を瞑って、



十字を描く


十字架








怒られませんように


怒られませんように


怒られませんように



見守っていて下さい


 
マリア様






なぜマリア様だったのかは分からないし、


キリスト教でもない



これに関しては本当に分からない


自分が謎




なぜ祈りをはじめたのかもまったく覚えていない




今思うと不思議すぎる







たぶん中学生くらいの時かな



必死だった



一生懸命だった




目の前の現実を変えたかった




人を変えることは出来ない



わたしに出来ることが祈ることだったのかもしれない








祈りは効果があった



自分で気付くまでに少しかかったかもしれないけど





朝だからバタバタして


祈るのを忘れた日、怒られた




その時、今日は祈ってなかった、


あー、忘れた!!と思ってから


祈りの効果はすごいんだと気付いたと思う




毎日が実験みたいな感じ

(ちなみに何に怒られていたかも記憶にない!)





他にも色々なことにつかった、


使ったっていうと、言葉悪いけど


色々なところで祈った


実験した




これはしょうもなくて恥ずかしいけど


キャンプとかの班を決める時に、


どうやって決めたか覚えてないけど


同じ班になりたい子と本当に同じ班になれたり





憧れの先輩のいる吹奏楽部に入って、


先輩と同じ楽器やりたくて、


それしか考えてなかった




もう一人の子とどちらかがその楽器で


どちらかが別の楽器になるという場面で


最後まで私たちだけ決まらなかった



もちろん、その時の課題を必死にやった


わたしもその子もきっと差はなかったと思う



いよいよどちらかがとなって


念願のトロンボーンのパートになれた


祈っていた、想いの差だったのかもしれない





美容院に就職するとき、いくつかの店舗があって


希望の店舗に行きたいという


想いがあって、



この時は祈りというより、


念じてたかも


もうドキドキしながら

心臓の音を消すように



「わたしは○○店に就職する」って何百回も唱えてた


ぶつぶつ唱えてた



不安な気持ちを唱えることで消していた気がする







もちろん全てに祈ってたわけじゃないし


地獄に落ちたと思ったときもあった

願ってることと違う方向に進むこともあった

嫌なこともたくさんあったけど


今思えば、

大丈夫だった



もちろんその時は大丈夫とは思ってなかったけど






祈ったことで叶ったこともたくさんあった





祈っていたけど


自分で未来を決めていたんだと思う


当時は未来は変えられないから祈るだったけど


自分で未来を決めるから叶うんだと思う





いつの頃か


大人になってからは、忘れていた


祈っていたことも


実験していたことも


未来は設定できることも




また思い出した


今がその時なんだな





子どもの頃みたいに素直に自分の欲を叶えてあげよう


子どもの頃みたいに純粋に願いを叶えよう


子どもの頃みたいにもっと自由に表現しよう







イタリアで弾けてる







新婚旅行でイタリア行ったときマリア様見てたみたい









小学生の時は通学路にあった

サボテンに祈ってたこと思い出した

しかも名前付けて


「サッボテン様」🤣🤣🤣


そのサボテン普通に道端?空き地?

みたいなところに生えていて

毎日祈ってた

まだあるかな?

幼少期のころから祈るの好きだったんだなー