ずいぶん長いこと更新をしなかったこのブログ。
4ヵ月の間にいろいろなことが起こり、いろいろなことが始まりました。

少し落ち着いたら、「肌ざわりのよい日常」第2章をスタートさせようと思っています。

その前に、ひとまず近況。

義父母がお揃いで認知症になり、本格的な介護生活がスタートしました。
自宅からドア・ツー・ドアで3時間ほどの距離にある主人の実家で週5日を過ごし、残りの2日は自宅に戻って勤務(NPO)と団地で一人暮らしの母親のサポートをしています。自宅や主人の実家で夜中に制作の仕事をすることも多く、体力的にはきついのですが、気がはっているせいか、それほど疲れていません。

しかし、心には小さなささくれができつつあるようです。

で、

軟膏がわりに歌(シャンソン)を習うことにしました。
月2回、勤務終了後、稲毛から新宿に通います。

昨夜の体験レッスンでは、十数年ぶりにお腹の底から声を出し、
ボイストレーニングの最中に、目から汗が。

「歌」が心のささくれによく効くお薬であることが実証された瞬間でした。

レッスンをすすめてくれたKAORIさん、ありがとう。

7月からは母と一緒に主人の実家に引っ越す予定なので、
また新しいストーリーが始まります。
(もめごとも、たくさん起こるだろうなー)



毎日の悲喜こもごもは、セーターにたとえれば毛玉かな。
おろしたてのセーターも素敵だけど、
なかなか捨てられないのが着古した毛玉だらけのセーターだったりもする。
それが、私にとっての「肌ざわり」なのだ。



そんなこんなで、「肌ざわりのよい日常」第2章の準備に、そろそろ着手します。






$肌ざわりのよい日常

ベランダに仕込んでおいたイチゴが実をつけました。
クリスマスには間に合いませんでしたが、さびしくなった窓辺に彩りを添えてくれています。

対面的な成果を意識しすぎ、自分なりの達成感をきちんと味わうことなく過ぎた若い日々。
この年になって、ようやく一歩一歩の意味がわかってきたような気がします。

一日一日をしっかり生きて、
すこやかで、みずみずしい一年にしたいものです。

本年もよろしくお願いします。


$肌ざわりのよい日常-ヤンバルクイナ


おっと、
日付が変わってしまったが、きのう11月13日は「ヤンバルクイナ命名の日」。
沖縄本島北部にのみ生息し、この地が山原(ヤンバル)と呼ばれているため「ヤンバルクイナ」と命名されたこの鳥は、生息数が1,000羽にも満たない絶滅寸前の野生動物である。

1981年、新種発見として話題を呼んだヤンバルクイナ。私も20年以上前に保護キャンペーンの仕事に携わったことがあるが、そのときの生息数は1,800羽と推定されていたように記憶している。それが今では700羽程度であるらしい。絶滅のスピードがかなり加速しているということだ。

絶滅が危惧される原因として考えられているのが、マングースや野良ネコなど人に持ち込まれた動物たちの存在。開発などの問題もある。森が切り開かれたり、道路やダムが建設されて生息地である森林が減少。無数にはりめぐらされた道路で交通事故にあって命を落とす例も多いという。


ヤンバルクイナは飛べない鳥である。

外敵の少ない島に暮らす彼らは、飛ぶ必要がなくなったために次第に飛ぶことをやめ、翼が退化して飛べなくなったという。飛ぶ能力を失っていなかったら、こんな羽目に陥らなかったかもしれないと思うと、なんだか不憫だ。ヤンバルクイナが私に与えてくれる教訓、それは「油断大敵!」ということか。

~~の必要がなくなったから~~するの、ヤーメタッ!
この甘い考えが命とりになるということを、肝に銘じておかねば。

昨日、本屋のワゴンに積んであった「体脂肪計タニタの社員食堂 ~500kcalのまんぷく定食~ 」を思わず購入。
6年前の手術後、一時は10kgも体重が軽くなってルンルン気分でいたが、体調回復とともに体重もあれよあれよという間に増えて、人生最大体重となってしまった。で、自然にこの本に手がのびた。

きょうから、500kcalのまんぷく定食をはじめよう。

「とべない鳥」にならないために、ね。



もうすぐクリスマス。
今年こそ自前のクリスマスカードを作ろうと、目下仕込み中。
絵柄は白夜に舞う5頭のトナカイ。サンタとソリは登場しない。

習いたての銅版画で、めくるめくロマンチックな世界を描く自信はぜんぜんないが、
時間をみつけて、カリカリするゾー。クリスマスまでまだ1ヵ月あるから、なんとかなるさ。

季節柄ゆえか、最近、針葉樹にとても心惹かれるものがある。
モビールで、(雪に覆われた)真っ白い針葉樹の森を表現できないか、現在妄想中。

物事なんでもそうだが、妄想しているときが一番楽しい。

でも、ひとたびニードルやデザインナイフを手にすると、
あくまで妄想であることに気づくはめになるのだが。。。

そこんとこ、私らしくていいではないか。



あっという間に経ってしまうもんですねえ、月日というものは。

で、10月は何をしてたかというと、
あれやこれやいろいろあって、よく覚えていない。と相変わらずのテイタラク。

来年度のプロジェクト企画の参考に、東京墨田区で行われている「墨東まち見世」を見学?しに行ったのが一番印象に残っている、ような。久々に東京・下町の空気に触れて、まちの人と少しばかりおしゃべりをして、元気をもらってきました。

路地裏の園芸コンテストがあったり、使われなくなった町工場や商店街の空き店舗を地元のアーティストが工夫しながら活用したり。。。東京スカイツリーのお膝元のまちで、肩肘はらずに繰り広げられている「ぶんか活動」は、日常の「縁日」のようでもあり、30円を握りしめて近所の駄菓子屋に行ったときのような、幸せな気分に浸ってきました。

思えば、私が子ども時代を過ごした(ほんとは大人になってからも住んでました)池袋も下町。駅界隈のちょっと猥雑なストリートを抜けて15分も歩けば、わがまち「池袋本町2丁目商店街」。いまは半分くらいシャッターがおりてしまっているようですけど、この商店街の「床屋の娘」として育ったのが私です。

昔の床屋は近所のおじさんたちのたまり場で、ふらっと店に来て、物価のことだの、プロレスやプロ野球の話だの、近所の人の消息だの、「散髪もしないのによくこんだけ時間がつぶせるね」と気が小さくて面と向かって言えない父に代わって、私が冗談まじりにおじさんたちをからかったものでした。

器用な父は、お客さんがいないときはいつも何か作っていました。
たとえば、
ダム工事現場を渡り歩いている職人さんに頼んで採ってきてもらった翡翠などの原石。これを電動グラインダーでせっせと磨いて作ったオブジェ(床の間が似合うと父は言っていた)。山から拾ってきた大きな木の根っこを焼いて磨いて作ったオブジェもあったな。これらはみな、父がお客さんに無理矢理プレゼントしたので、わが家には一つも残ってませんが、いま風に言えば、父も「住み開き」をしていたように思えます。

かくして、父の店「富士バーバー」から聞こえてくるのは、軽快な鋏の音より、電動グラインダーの轟音や大音響で鳴り響いている野球の実況音声なのでした。そんな家で育った私は、だから地声が大きい。

商店街というところは、実にいろんな音に包まれている空間です。
通りを行き交う人々の声、自転車や自動車の音だけでなく、軒を連ねる商店の営みの音があります。

そんな、懐かしい池袋、そして父を思い出させた「墨東まち見世」でした。

いろんな音が聴こえてくる。そんなまちに住みたいものです。

いろんな人と話ができる。そんなまちにしたいものです。

一見、無機質に思える団地地域に住まいを得て3年が過ぎようとしています。

同じ概観、同じ間取り。でも目を凝らしてみれば、そこに住む人たちのいろんな生活の色が見えてくるはず。いろんな音が聞こえてくる、はず。

そんな色や音を拾いに、まちに出かける。来年はそんな一年にしたいものです。


気が早いか。今年はまだ2ヵ月残っているっ







またまたブログをずーっとさぼったので、10月に入ってからの私の日常の一端をご紹介。

10/1(土) 映画館でアニメ「Smurf」を鑑賞
       →ジョニー・デップの「ランゴ」と勘違いしたみたい。でも意外と面白かった。ダンナ同行のためシニア割で@1,000。
10/2(日) 急に思い立って益子町の陶芸の里へ
       →若い作家の作品を格安で購入。ご満悦
10/3(月) NPOで仕事
       →あれ? 何やったんだったけ。。。
10/4(火) ダンナの実家(房総)へ
       →車が運転できないので、買い出した大量の食料をぶらさげて、大きなトラックが往来する国道をテクテク歩くこと30分。でも、免許は絶対とらない!
10/5(水) NPOで仕事(11月のワークショップのちらしづくり)
10/6(木) 洗濯と掃除とガーデニング三昧
       →たまった家事を一気に、そして徹底的にやるのが私流
10/7(金) 知人の陶芸家の個展DMはがきづくり
       →デッサンと銅版画教室はお休みした
10/8(土) 自宅で仕事(地元のSCの看板デザイン、10月開催のチャリティイベント(東京)のプログラム冊子デザイン、ニュースレターデザイン)
10/9(日) 自宅で仕事(昨日の続き)

秋はなにかとイベントが多く、制作物も増えるのですが、
11月には精神科医療のwritingの仕事も入ってきそう。
ライフとワークのバランスをうまくとりながら、楽しい秋にしたいものです。

ゆらゆらゆれるモビールのように。。。
最近、やたらと眼鏡をはずすことが多くなった。
手元で細かいものを見るとき、眼鏡をかけたままだと全く見えないからだ。
愛用の眼鏡は一応遠近両用なのだが、どうも老眼の度がかなり進んだらしい。

頭の上にサングラスをのせるのはカッコよいけど、眼鏡をのせるのはあまり見栄えがよろしくない。
最近はやりの「リーディンググラス」ってやつ、買ってみるか。おしゃれなものもあるようだし。

って、その前に4ヵ月もごぶさたしている美容院に行って、平安ヘアをなんとかしなくちゃ。
自分がどう見られているかを気にすることも大切だしね。

それにしても、眼鏡って、なかなか捨てられない。
タンスの引き出しには、フレームの壊れたのや傷ついたレンズのとか、
今はもう使わなくなった眼鏡が10個以上たまってしまった。

「めがね~は~、顔の~一部です~。だからっ、東京めがね~♪」
って、いうCMソングがあったなあ。

20代、30代、40代、50代と、
他人様にさらしてきた大切な顔。捨てられなくて当然かもっ。









最近、アートな場面に身を置くことが増えてきた。

芸術家でもなく、とくにアートへの深い知見をもちあわせている訳ではないのだが、
昨年から関わっている地元のNPOのスタッフとして、地域のアートイベントのお手伝いをしていることに依るところが大である。

先日は、初めて一人で画廊に入り、衝動買いで気に入った版画を手に入れた。
自分の部屋に飾るには少し大きすぎるため、2DKで一人住まいをしている母のところに預けてあるのだが、母の家を訪ねるたびに貨幣価値には換算できないプライスレスなものをゲットした興奮がよみがえってくる。

一方で、
先日参加したワークショップ「会話の地層」の冒頭、美術について、はたまた市民について、思っていることを書き留めよ、という課題?が出され、面食らった私である。
古びた美術館の大空間。厳かな雰囲気で進行していくそのワークショップはなかなか興味深い内容なのだが、私には高尚すぎて最後までお尻がむずむずした感じを拭えなかった。
ほかの参加者はどうだったのだろう。

ワークショップを企画した千葉大教育学部美術科の加藤教授は、企画内容についてこう述べている。
「美術を、価値観を交感する作業と定義するならば、従来の尺度で絵を描くことが得意でなくても、メッセージは交換できるはずで、今回は文字を使って誰もが参加できる方法としました。過去から現在に至るまで日本全域で起こってきた様々な問題や社会的変化に対して、まず市民がそれを見つめ、その視点から意見交換し、地域環境・コミュニティのあるべき形を推測する手がかりとしようとしました。(中略 )ただし、個人・特定企業等の非難中傷するのではなく、すべては自分たちの関わった、抱えた問題と受け止め、今後につながる意見として考えを共有できたらと思います。ワークショップに参加した後は、きっと美術に対する考え方や自分や周囲に対しても、これまでとは異なった新鮮な視点で見ることが出来ることでしょう。社会の潮流に流れていることさえ気付かない日々の時間のなかで、ほんの少しだけ立ち止まって、まず自分を見つめてみませんか。(中略)美術館という施設が、決められた価値観を踏襲するだけでなく、その時代を担う市民自らがその価値観を培い共有する場として、様々な立場の市民がともに「考える場」として存在するという大きな役割を担っていることの確認も、今回の企画に際し期待するところです。」

なるほど。そういう意図だったのね。

考えることは大切。自分を、そして自分のまわりの事象を目を凝らして見つめることも大切。

何となく「見えている」気でいるけれど、対象を「しっかりと見て」理解しようとしていたことがほとんどなかったことに愕然としたのは、半月前から始めたデッサンの1回目のレッスンのときだったな。

考えることが億劫になってライターの仕事をさぼり、なんちゃってデザイナーの遊びにうつつを抜かしている私だが、やはり、人間、考えることを放り出す訳にはいかないのね。

そんなことを気づかせてくれたワークショップでした。

肌ざわりのよい日常
30メートルもあるテーブルに、参加者が心の奥にあるメッセージを寄せ書きしてつくる制作展示。参加者の言葉や思いが時間の経過とともに重なりあって、価値観の地層が生まれる、というもの。参加者同士がもっとラフに会話できる雰囲気がほしかったな。

$肌ざわりのよい日常
8mもあるコンクリート壁面から張られたロープに、短いメッセージをロープでつなぎ広げていくと、まるで、脳内でシナプスが広がるような感じの作品に。今回のワークショップで行った行為自体を象徴している作品。
老いは誰にもやってくる。

が、

自分がどう老いるか、家族の老いをどう受け止めるか、

なかなか難しい問題である。

最近、毎朝のようにかかっていくる義母からの電話。

その内容は、日に日に攻撃的、被害妄想的になり、認知症の症状ではとの確信が強くなっている。

しかし、本人を受診させるのは容易ではなく、様子見がもう1年も続いてしまった。

医療、とくに精神医療の取材・原稿執筆を長年続け、認知症の実態やある程度の知識をもっている自分だが、

わが身にふりかかると、悲しいほどに無力である。

長男、長女の私たち夫婦にとって、いずれは抱える問題と覚悟はしていたものの、

やはりたじろいでしまうのだ。

嫁として義父母の面倒をみるのは当たり前だが、

実の母を連れての義父母との同居が目の前に迫ってくると、一筋縄ではいかないことが分かり始めた。

正解はどこにもない。ただあるのは、老いる、という現実だけ。

で、そのうち、自分たち夫婦も老いていく。

     ●

きのう、アメブロの人気ランキング上位のブログをみていたら、

偶然、赤ちゃんがうんちをしている動画に出会った。

快感がもたらす無防備な表情。それを見守り、

「うんち、出たの? よかったねー」と、語りかける母親の声。

この映像を、忘れないでいようと思う。

     ●

嫁に対して、攻撃的、被害妄想的になってきたのは、認知症のせいかもしれないが、

これまで遠慮して言えなかった本音が出てきたということかもしれない。

80年以上生きて来たストレスが一気に吹き出しているということも考えられる。


「本音が出せて、よかったねー」と言えるほどの自分ではまだないが、

少なくとも、義母の訴えに忍耐強く耳を傾け、ときに傷つき、ときに憤慨したりしながら

生身の人間であり続けることはできる、と思う。

それにしても、受診させるよい手だてはないものか。







9月に地元で3つのアートイベントがあります。

実は、8月にも1つ(市民写真展)あったのですが、9月のイベントの準備をしている間に、あっと言う間に終わってしまいました。

創造海岸アート祭2011「美浜だれでもアーティスト」というネーミングで、8月から11月に、私の住んでいる千葉市美浜区の3つのアート施設で開かれるもの。全部でパート6まであります。
私も広報のお手伝いをしております。(おもにチラシやポスター、サイン関係の制作)

ちなみに9月のイベントは、これ。

$肌ざわりのよい日常-イベント1 $肌ざわりのよい日常-イベント1裏

アート・コミュニティ美浜 アトリエ展 “9 doors”
9/21(水)~25(日) アート・コミュニティ美浜

わが家から5分のところにある「アート・コミュニティ美浜」の9人のアーティストのアトリエをオープンし、アーティストの作品展示、販売(一部)、ワークショップを開催するとともに、アトリエ教室で学ぶ生徒さんの作品を展示する、地域のアーティストと市民の交流をねらいとしたイベントです。
まだ習い始めたばかりですが、私も銅版画の教室展につたない作品をださせてもらいます(芸名で出そうっとっ)。



$肌ざわりのよい日常-イベント2

市民参加ワークショップ「会話の地層」
9/6(火)~18(日) 千葉県立美術館 第7展示室

千葉大教育学部美術科の加藤教授によるワークショップ。
3.11の大震災から半年が過ぎ、それぞれの心のなかにいろいろな思いが渦巻いています。来場者の心の奥にある思いやメッセージを寄せ書きしてアートにします。あなたは、どんなものを想像しますか?
一人ひとりの言葉や思いが時間の経過とともに重なりあって地層となる。そんなところから「会話の地層」と名付けられたワークショップです。作品は、後日このブログで紹介します。



$肌ざわりのよい日常-イベント3

美浜の中学生による展覧会「今の私から、なりたい未来の私へ」
9/6(火)~11(日) 千葉県立美術館第6展示室

地元の中学校と千葉県立美術館の連携モデル事業として、企画(テーマ設定など)から作品制作、展示までを中学生自身で作り上げる展覧会です。
展示するのは、全校生徒250人が美術の時間に制作した作品と、有志でつくる学校のシンボルオブジェ。
夏休みには、美術部員たちが8月に開催した市民写真展を見学し、運営に携わった大学生から展覧会の運営方法を学んだり、地元で制作するアーティストのアトリエをたずねて制作者の思いにふれるなど、貴重な経験をしました。アートな青春に、乞うご期待です。

芸術作品にせよ、趣味のものづくりにせよ、
何かを表現しようとして、もがいたり、その過程を楽しんだりするのは、脳にとってもよい刺激になる。そうして生み出された作品を鑑賞したり、ほんの短い時間でもアートな体験をすることは、心のビタミンになるんです。

お年寄りと同居されている人は、散歩がてらに、近くで開催されている美術展などに連れていってあげてはどうでしょう。いまどきの美術館は、飲食施設も充実しているので、食事にさそったついでに、展覧会を覗いてみては?