人生が上手くいかなくって

なんで?なんで?と彷徨って

育ちの影響で(特に親の影響)

考え方に偏りがあったんだと

気づいたときからずっと

両親のことを恨んできた。


いわゆる毒親として。


あんな親じゃなかったら

こんな思いをしなかったって

何度思ったことだろう。


世界中で活躍する

バリバリのビジネスウーマンなること


実家とは正反対の絵に描いたような

温かい家庭を作ることが夢だった。


純粋に憧れを持つ気持ちと同時に

育ちに対する劣等感をかき消すための

思いも含まれてた。


突っ走って無理矢理現実にしたけど

それも上手くいかなかったのは

どこにいても自分を肯定できなかったし

人間関係がうまくいかなかったし

人(親)のせいにしてばかりだったから。


親と連絡を絶って、

友だち、知り合いと連絡を絶って

自由になるかと思いきやその真逆。

今度の標的は夫になった。


離婚寸前になっても目は醒めなかった。


私は悪くない、、

私は悪くない、、、

私は悪くない、、、、

って思っていたから。


でもずっとずっとずっと

私が悪い、、

私が悪い、、、

私が悪い、、、、

って思っていたんだってことに気づいた。


それはこのままいても

同じことが繰り返されるだけだって

すべてを失いそうになってはじめて

生き方を変えようと決意したから。


“現実は自分が創ってる”


何が起きても自己責任で

生きることに決めた。


そんなの昔から知ってるワイ!

知ってるけど上手くいかないんだよ!

って思いながらもいま思えば

私は他人のせいにして生きてた。


母親に否定される記憶

クラスメイトにバカにされる記憶

上司に鼻で笑われる記憶

人に同情される屈辱的な記憶

騙された記憶…


これらの呪縛から抜けられないから

人生が辛いんだと思ってた。


でも衝撃なことは

それをされてきた

惨めさを自分が信じてたこと

されてきた記憶よりも

それらの同じことを人にしてきた

自分の罪から解放されてなかったからだ。


つまり、人を許す以上に

自分を許すことのほうが難しかった。


というより、

自分を許せないと人を許せることは

絶対ないことを知った。



見える真実が逆転するまでに

他人や外側に向けて

解決しようとしてきた意識を

とにかくひたすらに自分に集中した。


毎日瞑想をしてみたり、

身体のケアにお金をかけてみたり、

喜びを常に優先してライブだけのために

海外から日本に遊びに行ってみたり、

ブログで気持ちを吐き出してみたり、

お金にならないことを大事にしてみたり。


はたまた

人に会いたくない時は断ったり、

建前じゃなく本音を伝えたり、

タブーを打ち破るための行動、

心地の良い情報だけを取り入れること、

自分にとって楽しいこと安心すること

恐れを乗り越えること

出来ることはなんでもやった。


ブログを初めて3ヶ月、

考え方を改めて4ヶ月が経った。


100%で自分の意識が現実だと体感した時

夫を責めてるのは私が私を責めてるんだって

ことが腑に落ち始めた。


家族、友人、関わる全ての人、同様。

私にとっては人生の最難関だった
人間関係への視点がゆっくりと
変わり始めている。

私が私さえ大事にするれば
自然的に周りの人が私を大事にする
ことになっているのだから。

そんなことを思っている間に
母親が70歳を迎えた。

ただ純粋にプレゼントを送って、
おめでとうと思える。

感謝のメールが届く。

2年間の絶縁がなかったかのように。

夫との関係が改善している。

まるで離婚危機などなかったかのように。

なにひとつ変わらない状況下で
見ている真実が変わった。

現実の答えはいつも自分の中にある。