最近、親の死が頭をよぎる。
夢を見たからだろうか。
•
2年前、両親との決別を決意した。
最後の連絡には
もう実家には帰らないこと
許せないこと、感謝を述べた。
そして、連絡を絶った。
一生会わない覚悟だったから
感謝の言葉は伝えた。
揉めごとにする気力もなかった。
•
決別した一番の理由は、
子育てに自信を無くしたくなかったから。
息子が1歳を迎えたときに決意は固まった。
実際に伝えたのは2ヶ月後の
自分の誕生日の前日。
お祝いされてるのか、
されてないのかわからない
そわそわした誕生日を二度と迎えたくない
と咄嗟に思って衝動で送った。
スタンプだけのメールや
忘れてたというのを
もう受け入れたくなかった。
•
•
•
遡ること3年前、
これまで改善を図り続けてきた
関係修復を諦める出来事があった。
精神疾患を持つ兄に対する
両親の態度があまりにもキツすぎるから
「もう少し考え方を変えた方がいいんじゃない」と私が言ったら、
「父さんたちはもう年だから変わってもしょうがない。お前たちが変われ。」と。
ショックを受けた。
精神疾患を持つ人に対して
普通を要求する無知さに。
信用していた父も毒親の母と
同じ穴のムジナだったんだと
気づいた瞬間だった。
•
それを皮切りに
決別のカウントダウンが始まった。
自分からは一切連絡をしない
スタンスをとった。
父からは定期的に連絡が来たけれど、
いつも父経由で話をすることに
母は不満気だった。
•
妊娠後はより拒絶反応があった。
母の態度も悪化したように思う。
父はよく妊娠中の私を気遣って
連絡をくれたけど、突然止まった。
「母さんに電話をするなと止められたんだ」
と言ってきた。
相手の行動を支配する母も母だし、
受け入れて娘に伝える父も父だ。
その件については
今でもわだかまりがある。
いやいや、
こんな奇妙なやりとりや
意地クソ悪い仕打ちに対する
わだかまりがいっぱいある。
•
息子や夫、自分のためにも
どうにか繋がっていられる方法を
何度も何度も考えたけれど、
最後に考えたことは、
親としてではなく一人の人間として
考えた時に付き合いたくないと思った。
会話が噛み合わないから
気持ちを伝えたところで私のせいになる。
上辺で上手く付き合ったところで、
気力を吸い続けられて
足を引っ張られるだけだった。
海外と日本の距離で住みながら
離れるしかなかった。
“自分の人生、
自分で責任をとるから
もう関わらないでくれ。”
ある意味、
こうして自立できたのは
両親のおかげです。
•
連絡を絶ったのは正解だった。
私はみるみる自信を取り戻し、
いろんなことに自ら挑戦したい
という意欲が湧いてきた。
やっぱりその決断から今の自分を見て、
決別したことを後悔はしていない。
たとえ、もう会えないとしても。
•
2年経ち、精神が回復した今は
両親も精一杯だったんだろう。
ということは受け入れられる。
連絡をしたり、会ったり、
心の距離を縮めることはできないけど、
彼らが懸命に働いて育ててくれたように
できる限りの恩返しはしたい。
今月から仕送りを始める。
人生の最後を豊かに暮らしてほしい。
2年経った今の答え。
