海外に住んでたら

“英語をペラペラに話せるんでしょ?”

というイメージを持たれやすい。


私はと言うと、

4年間海外に住んだ時点で

英語もその国の言語も話せなかった。


実際その国のルーティンさえ

覚えてしまえば暮らしていける。


セルフレジも一般化された今、

一日中誰とも話さないまま過ごす日が

通常モードになりつつある。(家族以外)



そうするとたまに訪れる

人との関わりが異常に緊張する。


心のバロメーターの振れ幅が

乱れてどっと疲れての繰り返し。


言語が話せなからといって

弱気な態度でいると

相手の態度もだんだん

上から目線に変わってくる。



最初は全部自分のせいにした。

海外に来て話せない自分が悪いって。


そうすると、

そう思わせる人を引き寄せるもので。


思えば海外、言語関係なく

これは形を変えて日常で起こっていたこと。



そんな心臓がぎゅっとするような

痛い経験を繰り返して


家族関係、対人関係、自己イメージを

4年間で見直した。



養ってもらっても家事はしないで遊ぶ。


夫が働いてても昼から酒を飲む。


子どもの健診、幼稚園等は全部夫に任せる。


言語は諦めて学校に行かない。


それでもおこずかいを上げてと言う。


義理の家族とは関わらない。


家族との縁を切る。


親友、恩人さえも連絡を断つ。


今までのタブーを破って

小さなものから大きなものまで

全部全部抑えてきたものを

夫には受け入れてもらってきた。


今でも不安定は続いているけど

そんな4年間があって

自分のペースを少しずつ保ったら

夫に要求してたものは、

してもらう必要がなくなってきた。



義理の兄家族と別荘で夏休みを過ごす


幼稚園の送迎ができる


仕事に取り組みたい意欲が湧く


自分で稼ぎたい養いたい


自分のペースで語学学校に通う


必要なご縁のみと繋がる


多くの人にとっては

当たり前のことかもしれないけど

やっと30歳過ぎて

当たり前のことができるようになった。


専門的なことは詳しくないけど、

インナーチャイルドなるものが

癒されたと思ってる。



私はあの時一つのことを見落としてた。


自分が正しい < 相手が正しい


昔からその視点を抜け出せてなかった。


母の言うことは正しい。

頭がいい人の言うことは正しい。

金持ちの言うことは正しい。

可愛い子のいう美容法は正しい。

など•••


そんなこと自分の正解においては

絶対に間違ってる。


そもそも、

出来事は相手ありきで起こること。

相手の課題まで背負う必要はない。

(言葉を超えて伝わる素晴らしい相手は存在した)


“普通の人”に追いつけなくて

焦って不安で苦しんでた

昔の私に言いたいことは、



相手に合わせるな。


一人で抱え込まなくていい。


安心することをやればいい。


必ず、回復する日が来る。


って今でも言い聞かせてる。