私は中学生の頃から
"もっと自分に合う国があるのでは?!"
と感じていて、昔から外国にとても興味があった。
高校2年生の保健体育の時間に、
自分史と題して自分の今までこれからについての
年表を書いた。
"27歳よりブラジルへ移住"
アハハ
何でブラジルだったのだろう?!
大学3年生の時に、英国へ短期留学した。
両親は「学ぶ事ならばお金を出すわよ」と。
でも私は私立高校、一浪挟んで大学進学。
自分でバイトして貯めたお金をポンドに替えて。
ロンドンよりも南にある田舎街。
エージェントを通さず学校側と直接交渉。
この留学前に、既に数カ国渡航歴はあったが、
ヨーロッパはお初。
ついでにフランスへ一人旅もした。
ここではとても良い経験をさせてもらった。
1つのお題では話しきれない。。
英国滞在中はホームステイ。
マザーは離婚されていてお一人で生活されていた。
お部屋はアンティークな物が美しく飾られ、
そこに寝るだけで、センスが磨かれるのでは?!
と思った程。
英国滞在も終盤に差し掛かった頃、
土曜日の夜にルームメイトと一緒に
ホット・チョコレートを飲みに行った。
日曜の朝は大寝坊の私。
ルームメイトは既に教会へ。
午前9時頃下りて行くと、
マザーがダイニングテーブルで新聞を読んでいた。
朝食の気配がすっかり無くなっていた
そのダイニングテーブルを占める新聞。
私は丁寧に、
私:「今ここで朝食を取っても大丈夫ですか?」
マザー:「ここはダイニングテーブル。当たり前じゃないの。あー、馬鹿げた質問!!」
※恐らく不適切表記になる為、日本語で統一※
その後、何と返したか覚えていない。
あんなに美味しいパンの味、
フレッシュオレンジジュースの味も
覚えていない。
でも、悲しみで覆われている私の心の中で
何かが沸々と涌いて来た。
"私の思い。つまりは質問した意図を
説明しよう"
と思った。
滞在中、暴言を吐かれた事が数回。
学校からの帰り道で、電車で、路上で。
一緒に居たクラスメートだった中国人は
その時自分の国の言葉で、ちゃんと抗議した。
私は驚きと悲しさで何も言い返せなかった。
だから今、この時は自分の気持ちを
きちんと伝えようと思ったのだと思う。
勇気振り絞って。
"英語"という言語をお借りして。
一旦部屋に戻り、辞書を抱え下へと。
ちゃんと冷静だった私。
私:「マザー。先程マザーは馬鹿げた質問だと
私に言ったけれども、私はちっともそう思わない。
オーストラリアへ留学経験者の友人が、
"イレギュラーな事はきちんと確認を取るか
聞いた方が良い"とアドバイスを貰い、
私もそう思います。マザーの生活リズムを
崩すのは本望ではないので」
と。
マザー:「ごめんなさい。本当にごめんなさい。
この赤毛は怒りっぽいの。
ごめんなさいね。
私は口が悪くて。
この赤毛は怒りっぽくて、ごめんね」
二人共、気がついたら涙でぐっしょり。
マザー:「このお菓子はね、この前ブラジルの子が来た時に置いていったの。食べて。
えっとこっちの果物は、、、、、」
ダイニングに置かれた、涙でにじんで
よく見えないお菓子と果物を
マザーは必死に説明して
その場を取り繕ってくれた。
アジア人が苦手だと聞いていたマザーが私に
真摯に向き合ってくれた事に感謝。
この出来事は日本へ帰った後、
誰にも言えなかった。
今の今まで誰かに話した事があっただろうか。
何故だろう?!
泣いて恥ずかしい気持ち、悔しい気持ち、
悲しい気持ちがゴッチャになって
整理がつかなかったのかな。
今なら体験談として話せるのに。。
こうして備忘録兼ねて書く事によって、
消化し血に骨に、心の栄養に。
そして更に良き思ひ出に。
また英国へ行きたいなー。
"また英国へ必ず!"と思ったから、
ポンド建てのお金が少しある。
あ!
これも"今だから言える事"
いや、
"言っちゃう事!"
🇯🇵🇬🇧
