私が帰った日の、日付が変わった7月7日の夜、母は天国へ旅立ちました。
まさかでした。
こんなに早いお別れになるとは。
朝はすやすやと気持ち良さそうに寝てました。寝てるから起こさないとこうと思ってました。
夜まで起きませんでした。
前の日に睡眠薬を飲んで寝たからよくねてるのかな?と思うくらいでした。
そしたら、息が下顎呼吸になっていき、そのうち、チェーン呼吸になり、血圧が下がり始めて、血圧も脈も測れない状況になりました。
看護師さんが、脈が、半分以下になってきたので、もう長くないかもと言われて、家族全員でよびかけてましたが、ついに心臓がとまりました。
あの時のお母さんの苦しそうな顔は忘れません。。。
でも、苦しかったのは本当に数時間だけだった。楽になれたんだね。
看護師さんに体をふいて頂き会いにいったら、本当に仏様のようににこやかで、穏やかで、今までの痛み、苦しみ、何もなかったように感じました。
その顔を見て救われました。
もう痛みや苦しみから解放されたんだねって。
そして、この人生、大満足だったんだね。って。
そのあとすぐに葬式の準備に入り、バタバタと終わっていきました。
母の葬式に1000人以上の方が来て下さって、本当に愛された母なんだと実感しました。形式的に来る方ではなく、本当にお別れするのが悲しくて仕方がない方1000人でした。
まさかこんなに集まるとは思わなくて皆さんには多大なご迷惑をおかけしましたが。。。
皆さんの前で手紙も読ませて頂きました。お母さんへの手紙は結婚式で読むと思ってましたが、まさかこんなところで読むなんて夢にも思わなかったです。泣かずに読めました。
泣きすぎて読めないかな?と思ってましたが、こんな偉大な母の娘がグズグズしていたら母に申し訳ない。という思いで震えながらも読みました。
火葬がとてもつらかったんですが、
妹に、もうこの体にお母さんはいないんだよ。こんなボロボロの体が嫌になって、また新しい体がほしいんだよ。と言われ、もうお母さん、この体に未練はないと思ったら楽になれました。
お母さんが偉大すぎて、私は足元にも及ばないけど、お母さんの子供として恥のない人生を送ろうと、心から思いました。
いつも笑顔で、優しくて、本当に太陽でした。まぶしかったです。
いなくなって余計、偉大さを感じました。
人生で母の死、これほど辛いことはない。これ以上の苦しみはない。と思ってます。
前まではもしお母さんが死んだら、
もう二度と笑えない。私も死にたい。と思っていたけど、今はそんな事ないです。普通に生活できます。
たまにすっごく寂しくなって、泣き叫びたくなります。
だからといって、死にたいとも思わないし、そんな気持ちを抱えてたら、母の子供として恥だなと思います。
母のために強く、優しくいきようと思います。
お母さんが私の人生そのものです。
それは今も昔も変わらない。そしてこれからも。
お母さんの子供、こんなに立派なんだねと。自慢の子供になりたいから。
今までは甘えていたけど、
これからは1人の女性として、そして、母がきっと私に夏の時間を与えてくれたんだなと思い、この夏は絶対絶対いい事がある。いい出会いがある。と思ってます。
7月7日、星になったお母さん。
本当に偉大なお母さん。
りっぱなお母さん。
尊敬するお母さん。
みんなから愛されたお母さん。
大好きなお母さん。
今まで育ててくれてありがとう。