このドラマは終戦後の旧満州の収容所で孤児たちと触れ合い、生きて日本に帰ることが叶わなかった子どもたちの想いを後世に伝えた増田昭一さんの原作です。
【満州の星くずと散った子供たちの遺書】
【約束】
【戦場のサブちゃんとゴン】
【ともちゃんのおへそ】
【来なかったサンタクロース】
【金のひしゃく 北斗七星になった孤児たち】
増田さんは「生きた証を残してあげたい」と本や絵本にして後世に伝えました。
ドラマに出てくる子どもたちは実在した子どもたちです。
2014年 TBS
出演:松山ケンイチ・二階堂ふみ・深田恭子・伊藤かずえ・柄本時生・前田吟
笹野高史・宝田明・椎名桔平
子どもたち:加藤清史郎・山田望叶・髙澤父母道・森遥野・五十嵐陽向
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ーーー現代の中国吉林省長春市の街の映像ーーー
今からおよそ70年前(2014年当時)
中国東北部に満州という国がありました。
戦争という悲劇が終わった後に、もうひとつの悲劇がここで始まったのです。
松山ケンイチ(本人)が現地を巡ります。
当時長春は【新京】と呼ばれ、大陸への進出を目指した日本は昭和6年中国へ侵攻、翌7年に満州国が建国されました。
現在でも関東軍司令部など当時のまま残ってます。
中国は今もこの満州国を国として認めてません。
※それはそうでしょう。よその国、人の土地を奪ったんですから※
※といっても、歴史的にはどこも国盗りで土地の奪い合いですから否定はしませんが、認めて貰える立場ではないのにこの言い回しはちょっと引っ掛かりました※
松山さんが当時の日本人学校に通っていたリ・エイコウさんに当時の日本人街【勝利大街】を案内して貰います。
当時の横浜正金銀行の建物も残ってます。
新京は急激に開発が進み活気に溢れ、建国時13万人が12年後の昭和19年には85万人になり、その1/5が日本人でした。
松山さんがインタビュアーとなり、当時の日本人にお話を伺います。
※リ・エイコウさんのように中国人の養子となりそのまま中国に住んでる方もいれば帰国出来た方もいて、当時の満州を体験した方々の貴重な映像です※
【拓け満州】【満州に行け】
国が満州に行けば土地が貰えて豊かな暮らしが出来ると煽り立てて、日本各地の貧しい農民たちが開拓団として渡満しました。
その数は27万人を超えたそうです。
しかし、彼らを待ち受けてたのは厳しい現実でした。
昭和20年(1045年)8月9日 ソ連侵攻
日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵略してきましたが、条約を知ってた開拓団は最初アメリカが攻めてきたと思ったそうです。
日本では長崎に原爆が落とされた日です。
そして関東軍はソ連の侵攻を早くから気付いて、開拓団を残していち早く撤退し移動を開始してたのです。
南の島への侵略で多くの兵士を取られ、既に兵士が少なくソ連軍に対抗する武力もない関東軍は自分たちだけ逃げ出したのです。
でも、結局ソ連軍に捕まり捕虜にされます。
多くの開拓団は終戦も知らされないまま、もうひとつの悲劇に否応無く巻き込まれて
いくのです。
そして、その後彼らがどうなったかは多くは謎のままです。
ーーー長春市第7中学校ーーー
建物は変わりましたが、ここが当時の難民収容所のひとつでした。
伝染病、寒さ、治安の悪化、餓え。
収容所の生活は過酷を極めました。
再び日本の地を踏むことなく満州で亡くなった日本人は約25万人で広島・長崎の原爆被害者を超えています。
※昭和25年当時で、その後原爆の被害者数は増え続けます※
そんな過酷な状況でも必死に生きようとした人たちがいました。
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ーーー昭和20年(1945年)7月 静岡村在満国民学校ーーー
【私の家族】の作文発表で、佐竹三郎(11歳)(加藤清史郎)が堂々と読み上げます。
【満州はでっかい国です。
でっかい国に行けばでっかい畑が貰えてでっかい家が建てられる。
だから僕たちはこの満州にやってきました。
頑張って畑を耕して家も建てて、お腹いっぱい食べられるようになって幸せだと言
ってましたが、先週お父さんも御国のために兵隊になりました。
開拓団は兵隊にならないって言われてたのにとお母さんは泣いてました。
「お母さんと畑をしっかり守れよ!」
男と男の約束をしました。
だから、お父さんが帰ってくるまで、お母さんと畑をしっかり守っていこうと思い
ます。】
立派な発表に三郎を褒める担任の水野有希子(二階堂ふみ)に児童のひとりが質問する。
「私の家はお父さんもお兄さんも兵隊に行きました。お父さんたちはいつ帰ってくる んですか?」
「兵隊さんたちは私たちを守るために必死に頑張って下さってます。だからあなたたちもお母さんを守りながら笑顔で頑張りましょうね」
*
ーーー関東軍 軍事訓練所ーーー
中尉の戸田英一(松山ケンイチ)の指揮の下、兵士たちは訓練に励むがひとりトロい男、中山勇(柄本時生)に目を光らせる英一。
*
ーーー再び学校ーーー
下校する生徒たちに窓から手を振る有希子。
教室に三郎が残っている。
「開拓団長の話だと僕のお父さんはソ連国境にいるらしいって・・・」
「もしソ連が攻めてきたらどうなるんですか?」
有希子は笑顔で答える。
「ソ連と日本は戦争しない約束なの。」
「関東軍は無敵だから大丈夫よ、すぐ帰ってくるわ」
安心して笑顔で帰る三郎。
*
ーーー関東軍ソ満国境司令部ーーー
司令官が高度防衛のため軍を南下させると言う。
その間、英一の部隊が盾となりソ連の侵攻を食い止める。
国境近くの開拓団に知らせるとソ連に勘付かれる可能性があるので極秘にする。
つまり、自分たちだけ逃げるという作戦が決まったのだ。
会議を終え、英一が上官たちを見送る頃には深夜になっていた。
暗闇に人の気配がする。
「そこで何をしてる」
男は中山二等兵、昼間のトロい男だった。
中山は、爆弾を抱えて死ぬ覚悟ができない。御国のために死ぬ覚悟ができないと言います。
英一は一喝しますが中山は話を止めません。
日本に残した母のために満州にきた中山。
学校に行く金もない、働き口もない、そんな俺でも土地が持てる。
「働いて働いて、やっと母ちゃんこっちに呼んで親孝行ができると思ったのに・・・」
英一は中山を殴り倒して背を向け去りますが、陸軍大佐である父(椎名桔平)との確執を回想します。
6年前(1939年)の士官学生時代、英一は御国のために命を捨てる考えに消極でした。
帝国軍人の鑑のような父親は不甲斐ない英一に怒り心頭で、英一の趣味の画材道具やキャンバスを破壊しました。
中山を殴ったものの、英一自身も命を捨てる覚悟は持てずにいたのです。
*
その日は突然やってきました。
ーーー昭和20年(1945年)8月9日ーーー
ソ連軍が国境を越えて満州国に侵攻してきたのです。
戦争はしないという約束をソ連は守ってくれませんでした。
ソ連の爆撃機がいくつも空を旋回し、国境近くの静岡村開拓団は慌てて避難を始めます。日ソ中立条約を信じてた開拓団はアメリカが攻めてきたと思いました。
有希子も母と幼い弟妹と共に逃げます。
国境では英一が指揮官となりソ連軍の侵攻を食い止め、逃げ出した本部隊のために時間稼ぎをします。
捨て駒です。
勝てる見込みはありません。
ソ連軍の砲撃に中山が倒れました。
「母ちゃん・・・母ちゃん・・・ごめん・・・」
最期まで母を想い中山は死んでいきました。
周りは死体の山です。
そこに「前進命令が解かれた」と連絡が入り、生き残った者たちは前線から撤退を始めます。
開拓団は駅へ向かいます。
そこに三郎が合流します。お母さんは爆弾にやられひとりになってしまったのです。
有希子は三郎を抱きしめます。
しかし、もうすぐ駅という所で汽車は行ってしまいます。
村人が追いかけますが止まってはくれませんでした。
そして、汽車はもうこの先出ないことを知ります。
「俺たちは見捨てられたんだ・・・」
汽車で行くはずだった満州国の首都【新京】までの600Kmを歩かねばならなくなりました。
ソ連軍だけでなく、日本人が匪賊と蔑んだ中国人にも命を狙われる立場になり、どちらにも見付らないように険しい山道や夜に進むしかなく、敵から隠れてる時に赤ん坊が泣きだすと、みんなの命を守るために母親自らで我が子を手にかけ、もはや歩けなくなった高齢者はその場に留まり死を選びます。
直接砲撃を受け、一瞬にして死亡する人々・・・
辱めを受けまいと自死を選ぶ女たち・・・
悲劇はあらゆる開拓団に襲いかかりました・・・
昭和20年8月15日に日本は負けました。
でも満州ではまだ戦争は続いてました。
開拓団は何も知らずにひたすら新京に向かって歩きました。
英一は前線から撤退したものの、ソ連軍の執拗な攻撃に軍は全滅します。
生き残ったのは英一だけです。
英一もまた、新京の関東軍指令部に向かって歩きます。
途中、民間人の死体の服を奪い民間人になりすまします。
ようやく新京に着きますが、関東軍司令部はソ連軍に包囲されてました。
通りがかりの日本人に関東軍はどうなったか訊きます。
「あんた知らないのか!?」
「日本は負けたんだよ」
「全面降伏」
「兵隊は全員ソ連に捕まったよ」
膝から崩れ落ちる英一・・・
言葉も出ない英一に中国人3人が暴行します。
もはや満州で日本人に安全な場所などないのです。
英一が目覚めると、そこは小学校の跡地の避難所でした。
(後に言い方が収容所になります)
有希子が声をかけます。
有希子は少年のような短髪になってます。
路地裏で倒れてる英一を日本人が避難所まで運んでくれたのです。
満州各地から続々と集まる避難民のために、小学校や官舎が避難所にあてがわれましたが、この小学校だけでも1000人以上の避難民で溢れ、寝る場所もないほどです。
元々新京在住の日本人が日本人会を作り避難民の救援をしてくれてますが、避難所に着く途中で親を失った孤児たちも沢山いました。
頼る者のいない彼らは自然と自分たちで集まるようになりました。
食事は1日に1度か2度、薄いお粥が配給されますが、とても空腹は満たせません。
この孤児のリーダーが三郎です。
深夜、泣き声がします。
松原友之(3歳)(五十嵐陽向)が母との別れの時を迎えてました。
母(深田恭子)がともちゃんに優しく語ります。
もうすぐ自分は死んでしまうこと。
ひとりになっても生きていくこと。
おじいさんになるまで生きること。
「でも、どうしてもお母ちゃんに会いたくなったらおへそを見なさい」
「ともちゃんとお母ちゃんはおへそで繋がってたのよ」
「寂しい時はおへそを見なさい」
「お母ちゃんは必ずここにいるからね」
「おへそはお母ちゃん」
そして、ともちゃんの母は息を引き取ります。
翌日、中村龍也(10歳)(髙澤父母道)が落語を披露してます。
龍也は落語が得意で大人も笑ってしまう実力です。
廊下でぼんやり眺めてる英一に三郎が室内を勧めますが無言で英一は去ります。
校庭に出るとともちゃんの母が埋めらてるところでした。
英一はともちゃんの母が亡くなる時、隣で横になってたので見てました。
泣きじゃくるともちゃんを有希子が抱き上げます。
英一と目が合いますが英一は無視して街の方に消えます。
今の英一に感情は存在してないのです。
夜も更け、英一は隠し持っていた短刀を首にあてます。
自決しようとしますが有希子が現れ止められます。
「これ以上生き恥は晒せない」
英一の言葉に「くだらない!」と怒鳴ります。
「人を殺してしまった後悔、自分だけが生き残ってしまった罪悪感、あなただけが背負ってると思わないで!」
「ここにいる人たちはみんなそう!」
「だから私たちは生きるんです!」
「生きられるだけ生きなきゃいけないんです!」
「恥を晒してでも生きるべきよ!!!」
*
三郎が蒸し饅頭屋をじっと見てます。
店主が目を離した瞬間、饅頭をいくつも抱え逃げますがすぐ見付ります。
店主に追われ殴られ棒で叩かれても饅頭を離しません。
英一が現れ、店主の暴力を止めて三郎に返すよう言いますが三郎は拒絶します。
力ずくで奪い店主に返しますが、もう潰れて売り物にならないと地面に叩きつけて去ります。
それを拾う三郎。
「ともちゃんが食べたいって言うんだ・・・」
「あいつも母ちゃん死んでひとりだから・・・」
「だからって・・・」
「じゃあどうすればいいんですか!?」
「誰が助けてくれんだよ!」
「負けるなんて誰も教えてくれなかった」
「負けたらどうなるか誰も教えてくれなかった」
「戦争がなかったら父ちゃんも母ちゃんも死なずに済んだのに・・・」
「ずっと一緒に暮らせたのに・・・」
「俺たちにはもう助けてくれる人なんかいない!」
「盗んででも拾ってでも自分たちでやってくしかないんだよ!!!」
泣きながら走り去る三郎の後を追う栄一。
自決しようとした短刀を取り出します。
短刀を売ったお金で孤児たちに饅頭を与えます。
田中さとみ(10歳)(山田望叶)が英一に一緒に食べようと誘い、照れながら子どもたちの輪に入ります。
英一と孤児たちの交流が始まりました。
そして、ようやく孤児たちに大人の仲間ができました。
満州の短い夏が終わり、いつ日本に帰れるかも判らないまま必死で働く日本人。
英一はソ連軍の裨益で日雇いの仕事。
有希子は中国人家庭の家政婦。
子どもたちはひまわり畑で拾ったひまわりの種を街で売ります。
避難所住まいは変わりません。
この頃には収容所の呼び名になりました。
収容所も安全ではなく、夜になると酔ったソ連兵が女を求めて荒らしにくることもあるのです。
有希子が短髪にしてるのは男のフリをするためでした。
それは10歳のさとみもです。
女たちは皆短髪に男物の帽子を被り、ソ連兵が諦めて去るまで息を潜めるのです。
強姦に略奪。
戦争が終わっても尚、恐怖と背中合わせの日々でした。
*
その日、ひまわりの種は全く売れません。
お金がないと食べ物は手に入りません。
さとみは閃きます。
ともちゃんに【ふるさと】を歌わせます。
ともちゃんはとってもお歌が上手なんです。
その姿を涙ながらに見る若い中国人女性。
*
上田豊(9歳)(森遥野)が薪を集めながら九九の勉強です。
学習帳を見ながら山を歩いてたらつまずいてノートを落とします。
龍也がノートを拾い「これも薪と一緒にもやそうぜ」
いつものどかな豊が龍也に掴みかかりノートを取り返し逃げ出します。
「なんだあいつ・・・」
収容所の水場でノートの表紙の汚れを丁寧に拭く豊に目が留まる英一。
「汚しちゃったのか?勉強好きなんだな」
三郎たちも薪拾いから戻ってきてふたりの話を聞きます。
「俺、勉強できないんだ」
「だから母ちゃんにいつもガミガミ言われるんだ」
「死ぬ時もそうだった・・・」
「勉強忘れるんじゃないよって・・・」
ーーー回想ーーー
ソ連からの爆撃の中、自宅で赤ん坊を背負った豊の母(ニッチェ・江上敬子)が豊に【カズノホン】を渡します。
「早く逃げるんだよ!早く!!!」
母ちゃんは!?
「ほら!急いで!!!」
豊は家を飛び出します。
母は玄関先で大声で叫びます。
「体に気を付けるんだよ!」
母ちゃん!!!
「勉強もちゃんとやるんだよ!」
「行きな!豊!!!」
「母ちゃんは赤ちゃんと一緒に死んだんだって・・・」
「包丁で胸を突いて」
「俺、九九も言えないんだ」
「そんなんじゃ母ちゃんに叱られちゃうから、全部覚えてあの世で母ちゃんと会ったら言ってやろうと思って」
豊に謝る龍也。
※豊は茨城村開拓団でした。お母さんは国境近くの開拓団が非道な目に遭った話を耳にしてたのかも知れませんね。
みんなで避難しても赤ん坊がいたら自分で手にかけないといけません。
豊の前で赤ん坊を殺す姿は見せたくなかったし、赤ん坊だけ逝かせたくなかった・・・
避難する時がきたら、豊に生きる希望を託して、自分は赤ん坊と死のうと覚悟してたと私は考えてます※
豊の話にともちゃんはお母さんのお墓(といってもお山に石が乗ってるものです)
でおへそを出します。
ともちゃんもお母さんが恋しくなって、おへそのお母さんにお話します。
それを見て、他の子たちも自分のおへそを見てお母さんにお話するのでした。
夜になり、英一、有希子、5人の子どもたちの7人で星空を眺めます。
北斗七星が綺麗に輝いています。
当時は【ひしゃく星】と呼ばれてました。
三郎が言います。
「俺たちと一緒だな。星も7つで俺たちも7人」
そして、この7人で日本に帰ろうと誓うのです。
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日本に帰れるメドも立たないまま終戦から2ヶ月が過ぎました。
配給は減り、仕事も貰えなくなりました。
日本人会にお願いしても避難民は増える一方で手に負えない事態になってました。
伝染病も増え、寒さと餓えの日々が始まりました。
英一はせめてもとノートに玉子焼きの絵を描きます。
それを見て想像だけで少し元気になる子どもたちでしたが、状況は悪くなる一方で、腸チフスが流行し、ひとりまたひとりと弱い者から命を落とす毎日でした。
校庭は遺体を埋める場所すらひっ迫するほどで、坊さん(笹野高史)が毎日お経を唱えてます。
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「本当にそれでいいの?」
有希子は頷きます。
「ごめんね・・・有希子・・・」
有希子の母が有希子に謝ります。
その日のランチは外食です。
中華屋の円卓を有希子の家族4人と英一と子どもたち5人の総勢10人です。
円卓には御馳走が並びます。
なぜ?どうして?
夢のようです。
有希子が結婚の報告をします。
中国人との結婚が決まったのです。
うつむく母親。
久し振りにみんなお腹いっぱい食べられました。
そして、有希子先生からの最後の授業が始まります。
「人が生きていくために必要なものは何だと思いますか?」
「食べ物!」「お金!」「家!」
色々意見が出ます。
「どれも大事だけど、最後は気持ちだと先生は思うの」
「ひとりじゃないって気持ち」
「仲間がいるって気持ち」
「ひとりじゃないから頑張れる」
「仲間がいるから頑張れる」
「挫けそうになった時はみんなで励まし合える」
「大切なのは【思いやり】と【分かち合い】」
「どんな時もこのふたつを忘れないで下さい」
「あなたたちは生きて日本に帰れる」
夜、有希子は自分の似顔絵を英一に描いて貰います。
「あなたのことはずっと忘れません」
互いに惹かれ合ってたと思いますが、もう結ばれることはありません。
「僕もあなたのことは忘れません」
「幸せになって下さい」
どんなに想っていても満州にいる限り明日の命さえ判らない英一には、これが精一杯の愛の告白でした。
翌朝、有希子は中国人のハゲじじぃの馬車に乗って旅立って行きました。
子どもたちが見送ります。
英一はこっそり見送ります。
「先生の授業を忘れないでね!」
後編に続く↓↓↓