2023年 NHK
脚本:安達奈緒子
出演:大沢たかお 要潤 井川遥 迫田孝也 山崎銀之丞 榎木孝明 佐野史郎
豊原功補
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このドラマは、森村誠一先生の【悪魔の飽食】を読んでると、謎に包まれた731部隊が如何に人道からかけ離れた恐ろしい人体実験をしてきたか分かります。
部隊長の石井四郎軍医中将は何事にも貪欲な大柄な男で、酒も強ければ女にも強く、
大量の実験データと引き換えにしっかりと戦後も生き抜きました。
3000人とも言われる命を残虐非道に奪いながらも67才まで生きられたんですよね。
生きることにも貪欲でした。
私はこの本を読んで、神も仏もいやしないと思いましたっけ・・・
【悪魔の飽食】【続・悪魔の飽食】まで読みました。
松本清張先生のドラマで森村誠一先生の本を引き合いに出すのも何なのですが、731部隊についてはこの本かなと(^^;)
731を知ってるか否かで理解度が大きく変わるかと思います。
平沢貞通さんは冤罪です。
【そして死刑は執行された】という本を書かれた合田さんも断言してました。
この時代の警察・検察は犯人なんて誰でもいいんです。
余談ですが、合田さんは死刑囚房の掃除夫をしてたので平沢さんと交流があって、平沢さんは合田さんの若い元気なちんこを見るのが好きだったそうです。
「平沢は犯人じゃない」と当時から言われてたので、執行の判を押す法務大臣がいなかったのだけは唯一の救いでした。
支援者が多いので面倒を避けたい部分もありそうですが。
和歌山毒物カレー事件の林眞須美受刑者も判を押す法務大臣が現れないことを切に願います。
いずれきっと無罪になる時がくるでしょうから執行されたら取り返しがつきません。
法務大臣としての黒歴史になり兼ねません。
和歌山毒物カレー事件についてはこちら↓↓↓
【Mommy-マミー】作り上げられた死刑判決~和歌山毒物カレー事件~
松本清張先生を大沢たかおさんが演じてますが、上手いこと特徴を掴んでます。
大沢さんて高身長ですが、周りの役者さんたちも高身長揃いで、その中でかなり猫背にしてるので大きく見えなくなってます。
工夫されたのではないでしょうか。
文藝春秋新社編集長の田川さんが清張先生を必死で守りますが、「作家を守ることが我々の仕事」が心に刺さりました。
小学館にその気持ちがあれば、芦原妃名子先生という宝は失われなかったのにと思ってしまいました・・・
長い前振りになってしまいましたが、本文をどうぞ↓↓↓
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ーーー1950年(昭和25年)小倉ーーー
戦争は何かを失くす・・・
復員して5年の松本清張(大沢たかお)は虚しい心を抱えていた。
もう40歳だというのに怠惰な日々に身を浸していた。
書いたところで何になる。
作家になれるなど思ってもいなかった。
*
ーーー7年後ーーー
華々しい舞台に登壇する松本清張。
沢山の記者たちがカメラを向ける。
作家として次々とヒット作を連発してる自分がそこにいた。
控室に戻る時も記者が付いて回り質問攻めだ。
記者たちの質問に答えながら、ようやく控室で一服つけようとするが、そこに文藝春秋新社の田川博一(要潤)が現れ、
「うちの原稿がまだで印刷所を待たしてるので皆さんこの辺で」
清張が吸おうとしてたタバコを取り上げ強引に連れていく。
実は、今興味を持ってる事件についての質問に答えようとしたので慌てて連れ出したのだ。
いいネタは自分の物にしたい。
「で、興味を持ってる事件とは何ですか?」
清張は田川に週刊読売を渡し、トップ記事を見せる。
【平沢は果たして真犯人か!?】
これはでかい!!!と高揚する田川。
「凶器に関する新たな論考が非常に面白かった!!!」
裁判で凶器は青酸カリとされたことが疑問だったのだ。
「この毒物は面白い!」「トリックに使えるかも知れない!」
ーーうちで連載しましょう!!!ーー
「書くとは決めてない!」
一服すらさせてくれなかった田川に不機嫌な清張に、自分が人事異動で文藝春秋の編集長になったことを伝える。
ーー他社を出し抜くような長編推理小説が欲しい!!!ーー
「この事件は書くにはまだ謎が多い」
ーー平沢貞通は無実ですか!?ーー
清張はニヤリと笑い、
「まずはそこからだ」
ふたりはそのまま日本映画新社の映写室に向かう。
1948年(昭和23年)、日本中を震撼させた帝銀事件が起きる。
終戦からまだ2年5ヶ月後、アメリカの占領下に敷かれてた時代だ。
映写室で銀行毒殺事件のニュース映像が流れる。
※当時の映像ですがご遺体が出てきます。
下山事件でも下山総裁の轢断された腕が出てましたが、
今では考えられないですね※
*
事件概要
昭和23年1月26日 午後3時過ぎ 東京豊島区
帝国銀行椎名町支店に都の衛生課を称する男が現れ、赤痢の予防薬だと言って青酸カリのような毒物を子ども含む16人に飲ませ12人を殺害。
現金16万円と小切手を奪い逃走した。
支店長は外出のために副支店長が対応したが、男は落ち着いた様子で、近所で4人の赤痢が出てひとりがこの銀行に訪れた。
それで、行員全員に予防薬を飲ませるよう進駐軍のホートク中尉から命じられて来たと言う。
人数分の湯呑みが出されると、男は慣れた手付きでピペット(医療用のスポイトみたいなもの)で薬剤を入れていく。
入れ終わると飲み方の説明。
この薬は歯に当たるとホーロー質を痛めるので舌を歯の前に出して包み、喉の奥に入れイッキに飲むよう手本を見せる。
次に1分後にセコンド液を普段飲む水のように飲んで構わないと。
言われた通りに行員たちが服用すると男は腕時計で時間を計る。
行員たちはむせ始め、早めにセコンド液を求めたり、水を飲んでいいか訊いたりする。
男は湯呑みにセコンド液を注ぎ、それを飲んでも苦しみは更に大きくなり、流しで口をすすいだり吐いたり、もがきながらバタバタと倒れ、口から青い液体が流れると絶命に至った。
そして男は悠々と現金と小切手を鞄に入れて去ったのだ。
この事件で重要視されたのは人相。
4人の生存者が犯人を間近で見ており、日本で初めてのモンタージュ写真が使われた。
そしてもうひとつが名刺である。
男が出した名刺は実在する元軍医の松井蔚(しげる)氏の物であり、松井氏と名刺交換した者は参考人となった。
盗まれた小切手は翌日に別の銀行で換金され、その裏書の筆跡が犯人逮捕の鍵とされた。
警察は2万人以上を動員し地道な捜査を続け、事件発生7ヶ月後の8月21日に平沢貞通(榎本孝明)を逮捕。
平沢は松井氏と名刺交換した過去もあり、筆跡鑑定でも有力視された。
事件当日のアリバイはなく、事件直後に出所不明の大金を所持していた。
何よりも人相がよく似ていた。
取り調べが始まって1ヶ月後、平沢が犯行を自供。
当時、自白は重要な証拠だった。
※だから拷問が当たり前※
ところが裁判では一転無罪を主張するも一審で死刑判決。
その後も無罪を訴えるが、事件から7年後の1955年に死刑確定。
凶器は青酸カリ。
動機は金目的。
しかし毒物の入手経路は不明。
平沢は獄中で無実を訴え続け、現在も再審請求が続いている。
※1957年現在※
ーーー1957年(昭和32年) 東京 上石神井ーーー
上京して4年、ついに清張は文筆業で邸宅を手に入れた。
【点と線】【鬼畜】【目の壁】などが話題となり、社会派推理小説ブームの原動力などもてはやされていた。
月に1000枚もの原稿を書いたが苦ではなかった。
1階には編集者たちの詰め所もあり、清張の原稿が上がるのをタバコを吸いながらひたすら待つ。
ようやく原稿を渡し一息ついた清張は読売新聞の記者、竹内理一の記事を読む。
竹内は帝銀事件の4人の生存者のひとり、村田正子の夫でもあった。
※取材を通して惹かれ合ったのでしょうかね※
記事内容は帝銀事件で使われた毒物は効果が遅れて現れる遅効性のもので、即効性の高い青酸カリを凶器とする検察側に疑問を呈していた。
竹内は事件で使われたのは青酸ニトリールではないかと提示していた。
それは、第九陸軍技術研究所、通称【登戸研究所】で要人暗殺を目的に作られた遅効性の青酸化合物だ。
画家の平沢が使うには専門的過ぎる・・・
清張は平沢の「金目的」の動機とやらも腑に落ちなかった。
こんな手の込んだ方法を使うものなのか???
ーーー山田法律事務所ーーー
平沢の弁護士の山田義雄(佐野史郎)の事務所を訪問する清張。
大人気作家先生相手でも小説のネタにするのかと怪訝な山田に、
「平沢は無実ではないかと思ってる!」
「冤罪で死刑にされてしまうこんな恐怖はない!」
「私はこれを書いてみたいんです!」
熱く捲し立てる清張に耳を傾ける山田。
そして清張は持参したピペットを取り出して、出されたお茶を使って実験をする。
ピペットは入手も困難だが、入手してから練習したにも関わらず扱いは非常に難しく、安定して同じ量を出すのも難しいのだ。
「ピペットを使い16個も、4~5ccの致死量を短時間で取り分けるのは職業的に
訓練された者でないと不可能です!」
「目撃情報についても、生存者も目撃者も当初は平沢を見て犯人とは言い切ってませ
ん!」
「松井氏の名刺も小切手の筆跡もこじつけた節がある」
山田は清張の実験を見て大きく頷く。
「松本先生、そこまで知ってて何を私に訊きたいんですか?」
「動機です」
「金を奪うだけならもっと簡単な方法があるでしょう!?」
「そしてなぜ自白したのか?」
「自白の強要があったのでは!?」
長い沈黙のあと、山田は正直なことを話します。
平沢にはコルサコフ症候群という持病があり、虚言や妄想で言うことがコロコロ変わり、世間を騒がす英雄気分になり検事が求めることを言ってしまった可能性があるという内容だった。
清張は長い溜め息と共に呟く
「その辺に冤罪を作る構造があったかも知れない・・・」
「真実は意外にも偶然の重なりだったりしますからね」
山田は唐突に立ち上がり、山ほどの裁判記録を運んできた。
判決書、弁論要旨、検事論告要旨、検事調書。
全ての裁判記録を清張に託した。
タクシーで帰宅し、清張はそれらの記録を貪るように読み耽る。
裁判で無実を訴える平沢の姿が具体的にイメージされる。
その中に、外部には出回らないであろう警察の内部資料が出てきた・・・
文藝春秋に出向き、田川にそれを見せる。
全国の警察に向けた犯人についての資料だ。
事件から5ヶ月後に作成されたもので、そこには
【職業は医療、防疫、その他薬品取扱に経験あり(軍の関係は特に)】
更に山田弁護士のメモ書きもあり
【特命班の松田刑事に証言を依頼。再三頼むも断られる。軍関係者の捜査を担当】
事件後5ヵ月目までは警察は軍関係者の見立てだったのが、2ヶ月後には平沢に逮捕状が出た。
なぜ平沢に転換したのか?
証言とは何だ?
証言ができないということは何かを知ってるということ。
清張は田川に、この松田刑事に会わせて欲しいと頼む。
田川なら警視庁に食い込んでる情報屋のツテがあるからだ。
田川はこのネタは文藝春秋で書くことを約束させ、情報屋に松田刑事を探させる。
ーーーとある喫茶店に松田(山崎銀之丞)の姿ーーー
「長年の警視庁勤務ご苦労様でした」
と花束を渡す田川。
「なぜ私の退職祝いなんか?」
「今なら話せることもあるんじゃないかと」と清張。
図星で、文藝春秋の編集長と松本清張の誘いに乗ったのは秘密を話したいからだ。
周りに聞こえないよう、顔を近付け小声になる。
「関東軍の731部隊はご存じですか?細菌兵器を作った・・・」
清張と田川に緊張が走る・・・
「あの、人体実験を行っていたという・・・秘密部隊ですね」
当初から犯人は731部隊の関係者ではないかという情報が寄せられていた。
731部隊は青酸ニトリールを作った登戸研究所とも繋がっていた。
事件の3ヶ月後の4月には石井四郎元軍医中将にも会って話を聴いている。
「俺の部下にいるような気がする」との発言もあった。
731の関係者数十人にも会ったし、陸軍中野学校出身者にも会った。
それが突然平沢に転換したが理由は分からない。
ただ、元731の身柄はGHQが保証してくれるとまで言った者もいる。
清張は犯行の手口が実験のようだと深く納得し、闇の深さを感じるのだった・・・
ーーー清張の邸宅ーーー
「清張さんありました!!!」
田川が鞄から出したものを清張に渡す。
それは過去の文藝春秋と週間新潮で、731部隊にいた元少年兵の手記と、1950年に書籍化されたハバロフスク裁判の記録で、捕虜となった元731の軍医や隊員たちが人体実験について証言してます。
石井四郎軍医中将率いる731部隊が満州国ハルビンでペスト菌やコレラ菌などを用いた細菌兵器を製造し人体実験を行っていた話は以前からあったが、この裁判記録の証言は想像以上に凄まじいものだった・・・
≪証言≫
1944年8月から9月(終戦の前年)
私は囚人7~8人に対する実験を行い、それらの生きた人間を使用して毒物の効力を試験しました。
実験に使われた捕虜はマルタと呼ばれました。
被験者は2週間後には衰弱し役に立たなくなりました。
機密保持のため被験者は毒殺され焼却されました。
ーーー元少年兵秋山の手記からーーー
≪実験は少なくとも5年は行われていて、殺された人数については1000人とする者もあれば3000人とする者もある。
しかし、日本の敗戦が色濃くなりソ連の参戦が決まると、細菌兵器研究と人体実験の証拠を隠滅すべく捕虜を虐殺し、少年兵たちが死体処理の任を負わされた。
掘った穴に死体を投げ入れ、ガソリンをかけて燃やすが数が多過ぎて燃え残る。
その生焼けの体をスコップで粉砕した。
半分顔が残る死体の、その目が忘れられない・・・≫
読み終えて、余りの痛ましさに言葉も出ない男ふたり・・・
秋山氏の手記は日本が独立した3年後の1955年(昭和30年)に発表されました。
GHQの監督下ではこの手記は出せなかった。
やっと言論も自由になり、書きたいものが書けるようになったからです。
秋山氏の手記には昭和23年3月に731について警察の来訪を受けたことも記されてました。
帝銀事件2か月後です。
早い段階で731と結び付けた松田刑事の証言と一致しました。
凶器は旧陸軍が開発した青酸化合物。
真犯人は薬物の扱いや人体実験に慣れた元軍医かその訓練を受けた者!!!
どう考えてもその線が強い!
なのになぜ平沢に転換した???
突然ハッとして書類を探す清張。
目当ての書類が見つかる。
帝銀事件が起きた1948年は日本の警察はGHQ公安課とPSDの管轄外だったが、
この年に社会背景が大きく変わり
GHQ
↓
G2
↓
CIS
↓
PSD
の縦構造になり、PSDの管轄は警視庁と東京検察庁と報道機関となった。
捜査権力だけではなく、報道も規制されたのだ。
清張はPSDの関与を疑う。
帝銀事件②へ続く↓↓↓