サブタイトルは【大川小学校 津波裁判を闘った人たち】で、主に社会問題に取り組んでるテレビマンの寺田和弘さんが追い続けたドキュメンタリー映画で、記録として撮っていたものが映画として上映されました。

2023年にドキュメンタリー映画賞を受賞された作品で、3.11に合わせて各地でリバイバル上映されてる中のひとつに行ってきました。

宮城県石巻市の大川小学校で校庭にいた児童・教職員84人が津波で亡くなり、児童のご遺族が提訴した「津波裁判」で勝利までのドキュメント映像です。

 

これは本当に辛い。

「なぜ!?」「なぜ我が子が!?」

その疑問が私にさえもずっと纏わりつきます。

 

「釜石の奇跡」と言われてる釜石市の小・中学校や、福島県浪江町の小学校の「奇跡の避難」、他にも気仙小学校など、甚大な被害を受けた地域の子どもたちは山に避難して全員無事だったのに、なぜ大川小学校の子どもたちは74人も死亡したのでしょうか?

その日、校長は出張で不在で、教職員で生き残ったのはひとりだけで10人が死亡です。

裏山に避難さえしてれば全員助かってたのになぜ避難しなかったのか!?

大人が11人いてなぜまとまれなかったのか!?

 

89人が津波にのまれ、生存者はたった5名(児童4名、教師1名)ですが、このA教諭は真実を語っていないと思います。

言えないんです。自分だけは先に山へ逃げたとは・・・

 

生き残った男児は、流されてきた大きい冷蔵庫にしがみつき、山に流された時に今度は斜面にしがみつき、上を見た時に既にA教諭が山の上に立っていたと証言しました。

男児は自力で這い登って助かりましたが、これが保護者会の本人説明では、自分が男児を助けたとか言ってるんですよ・・・

 

津波は2方向から押し寄せ、校庭には渦が巻いて、その渦に子どもたちはのみこまれたそうですが、そんなの山の上から見てないと分からないんじゃないか!?

と親たちは指摘します。

 

保護者会は計10回行われましたが、A教諭は精神疾患となり、最初の1回だけの出席になりました。

非常事態に自分だけ逃げることはあるでしょう。

人の子より自分の命が優先だったとしても仕方ないかも知れませんが、それを隠す為に大事な何かを隠して嘘を吐いてるように私には感じました。

倒木は1本もなかったのに、倒木が目視されて山への避難は危険と判断したとか・・・

 

約45分も校庭に留まり、その間に大津波警報が2回、消防車による避難勧告、市広報車による「追波湾の松林を津波が越えた!」「高台避難!」の勧告。

少なくとも、津波が越えた段階で山へ避難しようと思わないのか!?

 

亡くなった高学年の男児2名は「山へ逃げようよ!」と訴えました。

教務主任も「山へ避難した方がいいんじゃないか」と言ったそうですが、他の教員たちは聞く耳を持ちませでした。

もしかして人間関係が絡んでるかと考えてる親御さんもいましたが、あるかもですね。

 

そして、ついに移動を決めるも、山ではなく川なんですよ!

先生方も亡くなってるので悪く言いたくないですが、なぜ川!?

でも、校庭を出る前に津波が押し寄せました。

 

「なぜ!?」「なぜ!?」

我が子の最期がどういう状況だったのか!?

もっと酷い被害地域でも子どもたちは助かってるのに、なぜ大川小の子どもたちは死んだの!?

 

親たちはその答えを求め裁判を起こします。

 

山には津波の到達地点に印を付けてますが、ノロノロ走っても1分でした。

山に登る道は3ルートありますが、ちょっと登れば助かってたのです。

ドローンで山には倒木が1本もないことも確認できました。

 

市が委託した第三者委員会は市寄りの面々で構成されたので信用に値しません。

市教委など生存児童4名の聞き取り調書をとっとと処分して、裁判ではA教諭のみの証言を証拠としてますし。

教育委員会てどうしてどこも腐ってるんでしょうか。

信用できない機関のひとつが教育委員会です。

この人たちが教育されろと思う。

 

2014年3月10日、石巻市と宮城県を提訴

2016年10月26日、仙台地裁 原告勝訴

2018年4月26日、仙台高裁 原告勝訴

2019年10月10日、最高裁 原告勝訴

 

【学校が子どもの命の最後の場所となってはならない】

5人の裁判官全員一致で組織的過失を認めました。

この言葉の重み・・・

 

裁判に勝ったからと喜べることではないけど、お子さんを亡くして夫婦ふたりになったご遺族は、「負けたらふたりで死のう」と決めてたそうです。

ご遺族の中には3人の子を失い夫婦だけになったり、奥さんと子を失い、生き残った子と父子家庭になったり、親御さんや伴侶までも亡くした方もいます。

 

生きてる限り、ずっとずっと子どもの死、家族の死を抱えていくのです。

裁判で勝てたことは慰めのひとつにしか過ぎませんが、大きな教訓として後世に残すことができました。

 

実は保護者会で明らかになったことですが、大川小学校は防災訓練をしてませんでした。

教育委員会には実施してると毎年虚偽の報告書を提出してたんです。

校長が認めてました。

この報告書は校長が提出するそうですが、防災訓練をしない学校なんて聞いたことありません。

これひとつ取っても教職員たちの危機管理能力の低さと、連携能力の欠如が感じられます。

悪く言いたくはないのですが・・・

教職員方のご遺族には気の毒です。

 

保護者は当たり前ですが冷静ではいられません。

途中で市長も校長も代替わりしてるのですが、新市長が結構好戦的で足組んでるのには驚きました。

こんな大事抱えてる中で市長だから野心家なんでしょうが、こういう場で足組むのは非常に印象が悪かったです。

 

 

ーーー言葉の難しさについてーーー

前市長の時に、「あんたは自分の子が生きられるはずなのに死んだらどう思うんだよ!?」

の問いに、「宿命だと思って自分なら諦める」と答えてて衝撃でした。

市教委も市長も校長もA教諭も、なんとか保護者の怒りに触れないように言葉を選んでるのですが、口先だけで責任を回避したいのが見え見えなんです。

「宿命だったと諦めてよあんたたち」の裏返しですもん。

勿論大炎上です。

 

74人の子どもたちが大人の判断で犠牲にさせられて、口先だけで逃れられる訳がない!

言葉の選び方、使い方って難しい。

 

それは一般人にも言えて、校庭に集合した児童たちを迎えにきた親御さんもいます。

「あなたも迎えに行けば良かったのに」

 

それを言われたお母さんは、大川小の末っ子を亡くし、中学生の上の子ふたりは自宅で亡くしました。

お子さん全員を亡くしたんです。

「あなたも迎えに行けば良かったのに」

に2度殺された気持ちになったと・・・

 

これは・・・きつい・・・

言葉は凶器にもなります。

 

 

ご遺族の方々が抱える悲しみ、憤りなど、個々に焦点を当てて丁寧に記録してるので涙が止まりません・・・

エンディングの「駆けて来てよ」という曲はご遺族全員の想いです。

 

     帰っておいで 戻ってきてよ

     大空の果てから 駆けて来てよ

 

 

親御さんたちは毎日毎日、泥や瓦礫を掻き分けて我が子を探しました。

最初は遺体で見つかって泣くだけですが、日が経つと「見つかって良かったね」になっていったそうです。

まだ4人の子どもたちは行方不明のままなのです・・・

 

大川小学校の子どもたち、教職員の皆さまのご冥福を心よりお祈りします。

 

 

【追伸】

大川小学校は「存置保存」されていますが、現地に設置してる募金箱や寄付金を市に渡してたのですが、小学校の修繕などには使われてなく使徒不明になってしまったそうです。

それで「311を考える会」では改修とコーティング工事の資金を募っています。

 

まだまだ書き切れませんが、またリバイバル上映はあると思います。

サブスクでの配信など無いので、リバイバルの機会があれば足を運んで欲しいです。