2012年 日本映画
監督:高橋伴明
脚本:林民夫
原作:江宮隆之「白磁の人」
出演:吉沢悠 ぺ・スビン 酒井若菜 石垣佑磨 大杉漣 手塚里美
浅川巧は兄の浅川伯教と共に朝鮮民芸・陶芸の研究家として名を残しましたが、朝鮮を緑にする為の植林事業に力を入れてました。
23歳で故郷の山梨から実兄の伯教の住む朝鮮半島の京城に移住し、兄と共に白磁の美しさに魅了され、40歳という若さで亡くなるまで朝鮮に身を置き、朝鮮人と日本人の交流に尽力しました。
韓国の山と民芸を愛した日本人としてお墓も韓国にあります。
時代背景は朝鮮が日本の統治下で、官憲が絶対権力を持って支配してた頃です。
浅川巧は朝鮮人を差別する人ではなかったですが、日本人ということで逆に嫌われていたし、官憲からは朝鮮寄りの態度が嫌われて、事ある度に暴行されます。
その官憲の腹立たしいことったら!
明治から戦前が時代設定の邦画で、官憲が紳士的なんて皆無ですよね。
権力と暴力で、強きを助け弱きを挫く縦社会で、上の者にはトコトン媚びへつらい、
下の者だと平気で命も奪う。
そして、下の者は更に下の者に刃を向ける。
現代にも蔓延るイジメの構造じゃないでしょうか。
事実関係は不明ですが、劇中での浅川巧は発達障碍が見受けられます。
夢中になるとちょいちょい他が見えなくなる無邪気さを吉沢悠さんが好演されてます。
ーー1914年(大正3年)ーー
浅川巧(吉沢悠)は林業の仕事で、先に朝鮮で教師をしてる兄夫婦と母の住む朝鮮へ移住します。
兄の伯教(石垣佑磨)の趣味の陶芸品の数々の中にある白磁の壺を見て、その温かい美しさにすっかり魅了されます。
※伯教は1919年に教師を辞め、芸術の道に進みます※
翌朝、職場への初出勤で路面電車に乗ってると、停車駅でひとりの軍服の男(小宮・堀部圭亮)が乗車し、座席に座ってる杖の老人をどかして自分が座ります。
一番弱そうな相手をわざと選んだのでしょう。
巧はその老人に自分の席を譲ります。
「カムサハムニダ」
老人の言葉が通じない巧に、隣の青年が「ありがとう」と教えます。
小宮は朝鮮人に親切にした巧にケチを付け、巧は小宮に反論して次の駅で降ります。
小宮は蛇のように巧を睨みます。
【朝鮮 林業試験場】
ここが巧の職場で朝鮮人も多数雇用されています。
まず所長の野平(大杉漣)に挨拶します。
野平に、朝鮮の山は風化しやすい風土の上、ロシアや清国からの侵攻で山林が伐採されたことで赤茶けた山になってると教えられます。
試験場では木の苗が育てられ、ある程度成長すると山へ移植されます。
その責任者の町田(田中要次)によると、今の朝鮮に必要なのは木だと言います。
家や家具を作るにも、温突(オンドル)を燃やすのも全部木だからです。
ここで、巧は電車で「ありがとう」を教えてくれた青年チョンリム(ペ・スビン)と再会します。
同じ職場だったのです。
チョンリムの日本語を褒めると、
「私たちは日本語を話すよう強く指導されています」
巧は、朝鮮人だけに日本語を強制させるのは不公平だから、僕にも朝鮮語を教えて欲しいと願います。
「ありがとうも分からないなんて恥ずかしいよ」
そして、ノートに書いた単語を発声して日常的に練習を始めます。
発音の違いを陰でバカにする朝鮮人も多いですが、チョンリムは巧の姿勢に惹かれていきます。
チョンリムと山で種拾いに散策すると山は思ってた以上に荒廃してて、その理由は侵攻もあるが、それ以上に日本の乱伐の方が大規模だったことを知ります。
朝鮮寄りに見える巧に町田は説教します。
「朝鮮は自力では近代化にはなれなかった!」
「鉄道も下水も日本が敷いたんだ!」
※140年程昔のイザベラ・バードの旅行記で、朝鮮はどこもかしこも糞尿まみれ で、不潔で汚い国だったと記されてたそうです※
※電気もそうですし、近代化させたのが日本なのは事実ですよね※
巧は実母にも、日本人と朝鮮人は理解し合えないと言われてしまいますが、それでも朝鮮語の勉強を続けます。
そんな中、山で拾った朝鮮産の種が発芽し、巧とチョンリムは抱き合って喜びます。
そのひとつをチョンリムの家の庭に植えます。
大きく成長する頃には世の中が良くなってるように願いを込めて。。。
*
ーー休日ーー
チョンリム家の庭では、チョンリムの1歳の長男の誕生日を親戚も集まりお祝いです。
巧が祝いの品を持って現れます。
「無断でごめんね」
チョンリムは快く巧を迎え入れますが、周りは微妙です。
巧は白磁の器にキムチを入れ、日常的に白磁を使ってることに感激します。
帰宅すると、美術評論家の柳宗悦(塩谷瞬)が来てて、伯教の白磁の壺に感銘します。
伯教は、白磁を見ると弟が浮かぶと言います。
3人は、日本と朝鮮は芸術で親交できるのではないかと語り合います。
*
日本から親友の朝田政歳(市川猿之助)から手紙がきます。
朝田の姉のみつえ(黒川智花)を嫁にくれるとあります。
兄夫婦と母の住む家の近くに家を借り、みつえとの結婚生活が始まり、
1年後には長女の園絵が誕生します。
チョンリムは昆布を持って祝いに駆け付けますが、朝鮮人嫌いの母はチョンリムに心無いイヤミを言い放ちます。
巧と親しくしてるチョンリムは、巧の知らないところで「日本人の犬」と同胞に蔑まされます。
同じ職場で親友のチョンスは、
「闘う時がきたら一緒に闘おう!」とチョンリムを誘います。
その日がきます。
ーー1919年3月31日ーー
反日独立運動で「独立万歳!」のデモ行進に日本軍は武力で鎮圧し、チョンスは撃たれ死亡します。
朝鮮人の反日感情は増々膨らみます。
日本の武力行使に巧は涙を流し胸を痛めます・・・
浅川家の前の道路をチョンスの葬儀の列が通ります。
巧は参列のチョンリムにお悔みの声をかけようとしますが拒絶されます。
*
翌日、職場に行くとチョンリムは解雇されていました。
巧が町田に激しく抗議して睨み合いになります。
解雇の理由はデモで死んだチョンスの友人だからです。
上からのお達しなのです。
朝鮮をないがしろにする日本のやり方に納得できない巧は、翌日からパジチョゴリ(男性用のチョゴリ)を着て出勤します。
途中、軍とすれ違い小宮にボコボコにされます。
仕事の帰りにはチョンリムの家を訪ねます。
「自分だけが朝鮮人の味方のつもりですか?」
「確かにあなたは朝鮮を理解しようとする数少ない日本人のひとりだ」
「でも、朝鮮人の服を着て、朝鮮語を喋ってもあなたは朝鮮人ではない!」
「私の友を殺し、私の国を踏みにじる国の人間でしかありません!」
それでも巧は以後、パジチョゴリを着続けます。
*
職場では今度は町田がチョンリムを連れて所長に抗議です。
「人がいなきゃ木は育たないでしょ!!!」
チョンリムが復職したことで、巧は町田に謝罪します。
*
巧家では、元々体の弱いみつえが死期を察し、娘の園絵に巧の面倒を託します。
その時の夕日の美しいこと美しいこと。
そしてみつえは山梨の実家で巧に看取られ息を引き取ります。
※ここの場面展開は無駄がなく、観てる側にすんなりと状況が理解できる手法となっ てます※
※恐らく朝鮮にはみつえを診てもらえる病院がないのと、最後は日本で看取ってあげ たかった心情が伝わります※
※たった数分で葬儀まで映像に載せてます※
※神憑りなシーンです※
*
朝鮮では巧はこのまま日本にいるだろうと噂されてましたが、葬儀を終え、巧は再び朝鮮に戻ります。
日本に帰国したことで、発芽しても育たないのは土が原因に気付いたのです。
これが成功します。
それは朝鮮の種は朝鮮の土で育てるという、とても単純なことでした。
この頃、所長は野平から町田になりました。
*
ーー1923年9月1日ーー
ーーー関東大震災発生ーーー
朝鮮人虐殺のニュースは巧の元へも親友の朝田からの手紙で伝わります。
同様に、日本に渡った何千人もの同胞が日本人に虐殺されたことを知った民衆の決起集会などが起きます。
日本に対する感情はもはや憎悪しかありません。
カフェテラスでは小宮が部下に、
「朝鮮人の虐殺は自業自得で、寧ろ今まで甘やかしてきたのがいけない」
などと豪語します。
それに食ってかかるパジチョゴリの巧だが、またもボコられてしまいます。
日本人と朝鮮人が分かり合う日なんて見果てぬ夢なのか・・・
*
チョンリムは、柳宗悦と浅川伯教が建設中の【朝鮮民族博物館】に展示する為の陶磁器を、朝鮮人の家を一軒一軒リヤカーで廻り集めます。
その様子をひとり息子のインファが見つめます。
反日感情は爆発寸前なのに、父の行動がインファには理解できません。
「お父さんは親日みたいだけどあなたは?」
亡きチョンスの妹のジウォンがインファに問います。
「僕は日本人が1番嫌いだ!!!」
*
ーー2年後ーー
柳の紹介で大北咲と巧は再婚します。
咲と初めて迎える正月。
朝鮮の子どもたちにお年玉を配る巧。
お金持ちでもないのにと咲は呆れます。
雨の日には野菜売りの婆さんの野菜を高く買う巧。
路上の乞食にお金を恵む巧。
更にその乞食を役所に連れて行き、職探しまで手伝います。
*
「インファに何をやらせる気だ!」
「あいつはまだ子どもだぞ!?」
ジウォンに詰め寄るチョンリムがいます。
「闘う志に年齢は関係ないわ」
※インファは12~13歳です※
*
【朝鮮民族博物館】が完成しました。
チョンリムのおかげで沢山の陶磁器が集まりました。
これで白磁は貴重な美術品として後世に残ります。
ーー開館時間ーー
博物館建設に協力してくれた朝鮮総督府の加藤が現れます。
加藤が館内に入ると、館の窓から爆弾を投げようとするひとりの少年。
ーーインファですーー
寸前でチョンリムが爆弾を取り上げインファを逃がします。
導線には既に火が付いてます。
チョンリムは博物館から必死に走って、離れたところで自爆を覚悟しますが、爆弾は爆発しませんでした。
チョンリムは加藤の警護の警官たちに捕まり収監されます。
巧が刑務所に行っても面会すらさせて貰えません。
ーー1年後ーー
柳宗悦が加藤に土下座して、ようやく面会が許されました。
チョンリムは、最初からそうする為に巧に近付いたと言い張りますが、それは息子に累が及ばないようにです。
そして、巧はチョンリムが自分と博物館を守ってくれたことに気付いていました。
*
ーー2年後ーー
雨の中の移植の作業中に巧は倒れます。
急性肺炎で余命1ヶ月もないと宣告されます。
巧は最期の願いをふたつ頼みます。
ひとつはチョンリムへの面会
柳・伯教・町田で加藤に談判します。
車椅子にパジチョゴリで、チョンリムと最期の面会です。
「最期にどうしても言いたかった・・・」
「君と初めて会った時に教えて貰った言葉・・・」
「カムサハムニダ」
号泣するチョンリムです。
そしてもうひとつ。
それはチョンリム家の庭に、17年前に植えた落葉松の木を見ることです。
あの時、この木が成長する時には世の中が良くなってることを願いましたが、17年経ってもそれは叶いませんでした。
落葉松の下で寝そべり、土を触り、微笑みながら巧の命は消えました。
自宅の布団で横たわる巧の周りを家族や町田が囲みます。
朝鮮の土になりたいというのが巧の希望ですが、母は朝鮮人の方が受け入れてくれないのだから日本に埋めた方がいいと言います。
園絵は、父が朝鮮人の為に良き朝鮮にしようと生きてきたのに、それが朝鮮人に分かって貰えなかったことが悔しいと泣き出します。
すると、庭先から声がします。
「棺を担がせて下さい」「棺を担がせて下さい」「棺を担がせて下さい」
庭には沢山の朝鮮の人たちが、巧に世話になった人たちなどが溢れています。
巧の棺の列は長蛇となり、朝鮮総督府の加藤もその参列に頭を下げてくれました。
だが、その参列に小宮が現れ、参列の朝鮮人を殴ります。
※どこまでもクソだなこいつは※
*
大人になったインファは父に手紙を送ります。
父には感謝してますが、やはり日本人は許せません・・・
*
ーー1945年8月15日ーー
日本の敗戦で朝鮮は日本統治から解放されました。
35年振りに自国を取り戻したのです。
そして、同時に日本人への報復が始まります。
「小宮を殺せ!!!」
小宮は外に引き摺り出されこん棒で滅多打ちにされます。
日本人の住居は襲われ殺害される日本人。
巧の家にも暴徒化した民衆が侵入しますが、そこに白髪になったチョンリムが現れます。
日本敗戦で釈放されたのでしょう。
「この家は浅川巧さんの家です!!!」
それを聞いて、民衆たちは頭を下げて去って行きました。
チョンリムは自宅へ戻り、落葉松を見つめます。
そして寝そべって土を触ります。
完
浅川家が朝鮮に尽くしてきたことはちゃんと民衆に伝わっていたんでしょう。
襲撃に遭わず全員無事で、咲と園絵は終戦後に帰国し、柳宗悦さんのはからいで日本囈館で居住しながら28年間も働いたそうです。
伯教は1946年に帰国し、私蔵の工芸品3000点と陶片30箱を民族博物館へ寄贈したそうです。
柳宗悦さんて面倒見の良い方だったんですね。
皆さん天寿を全うされました。
最後の襲撃ですが、35年間の恨みです。
敗戦を予期して事前に帰国した日本人もいたので、アンテナって大事ですね。
帰国できずに取り残された日本人は、今度は立場が逆転して苦労したことでしょう。
1946年には数千人の日本人が処刑された通貨事件とか起きてますし。
(一説には3000人とか・・・)
やったらやり返されるのが世の常。
争いはしないのが1番です。
正しい戦争なんてどこにもないんだから。
それにしてもむかつく小宮ですが、堀部さんてこういう役がホント巧い!
ネチネチと執念深く底意地悪い役w
正義のヒーローよりよっぽど難しい役柄だと思うし、観てて心底腹が立つし、
最後にボコられてる姿にスカッとしたって、堀部さんの演技力があってこそです。
小宮がいたから物語に入り込めました。
朝鮮総督府の加藤さんて、多分「金子文子と朴烈」の水野錬太郎役のキム・インウさんじゃないかしら。
クレジットがハングル語なので確認できずですが、そうだと思う。
ホントに素敵な演技力の役者さんです。
「金子文子と朴烈(パクヨル)」
「福田村事件」
「菊とギロチン」
「道~白磁の人~」
関東大震災朝鮮人虐殺事件に関連する作品を紹介しましたが、真の日韓友好は100年は先じゃないかと思いました。
根が深すぎます・・・