2017年 韓国映画

2019年 日本一般公開

監督:イ・ジュニク

出演:イ・ジェフン チェ・ヒソ キム・インウ 松田洋治

 

史実に基づいた作品ですが、政治の裏側の見えない部分はかなり脚色されているでしょう。

韓国だけで235万人の観客動員数は、それだけ反日感情の強さが感じられてしまいます。

 

ネット上で「民度」が高い低いなんて言われますが、日本人の民度も中々ですよ?

寧ろ「日本人は民度が高い」って誰が言い出したんだ。

人間の根底に民族など関係なく、自分よりも立場が低い相手にはどこまでも残酷になれて、同じ日本人の中でも士農工商穢多非人というカーストは存在し、命の尊さが論じられるようになったのなんて歴史的にはつい最近ですよ。

 

この作品は大正12年9月1日の関東大震災で、朝鮮人が放火したとか井戸に毒を入れたというデマで、官・民が6000人以上もの朝鮮人を虐殺した「関東大震災朝鮮人虐殺事件」がベースになってますが、虐殺人数には諸説あり、虐殺は無かったという説もあるようですがそれは考えられません。

朝鮮人と思われ行商人9人が惨殺された福田村事件や本庄事件などがありますから。

 

自分にも妻や子や家族がいて、民族が違うからと平気で殺せるなんて鬼畜の所業ですが、私はそもそも戦後になるまでの日本の家族愛には疑問を持っておりまして、

まずは男尊女卑で妻は奴隷のようなもんです。

子どもは労働力で、女の子なら身売りされ、男の子なら丁稚奉公。

娯楽がないから子作りが楽しみ。

結果子沢山。

食えない時なら口減らし。

 

江戸時代の三従の教えから、女が幸せを感じるのは難儀な時代が長く続いたと思ってますし、男でも農家の次男坊以降は結婚すら出来ず男色に走るしかなかったなんて説もあります。

 

大正12年の時代背景は、朝鮮は日本の植民地にされ、土地を没収された人々は日本か満州に流れたそうで、大正11年(1922年)関東大震災の前年で関東一円には約11000人の朝鮮人が在住してました。(震災の年は統計なし)

犠牲者には中国人や社会主義者も含まれてますが、6000人以上の虐殺とはなんと恐ろしい数でしょうか。

「皆殺し」にするくらいの勢いが感じられる数です。

 

 

物語の始まりは、乞食のようなボロを着た朴烈(パク・ヨル)が人力車に裕福そうな男を乗せて走ります。

 

ーー私は犬ころであるーー

ーー空を見て吠えるーー

ーー月を見て吠えるーー

ーーしがない私は犬ころであるーー

 

目的地に到着すると、客の男は僅かばかりの小銭を地面に放り投げます。

お金が足りないと言うと、文句があるなら半島に帰れ!とパクは蹴られ続けます。

 

ーー私は犬ころであるーー

 

     *

 

金子文子がアナキストが集まるおでん屋のジンウに、この詩を書いたのは誰か訊きます。

文子はアナキストの冊子に書かれた「犬ころ」の詩にすっかり魅了されたのです。

「この辺で一番の不逞鮮人のパク・ヨルだ」

なんて話をしてたら、人力車を引いて当の本人が現れる。

文子が挨拶すると、

「日本人か?」

とジンウに耳打ちします。

「微妙だな」

※文子は9才から17才まで朝鮮で暮らしてるので「微妙」なようです※

 

文子はパクに伴侶がいるか確認し、独り者だと知ると同居を迫ります。

「私もアナーキストです♪」

 

若く美しい文子にスケベ心も沸いたパク。

ふたりはおでん屋の二階で暮らし始め、文子はおでん屋の女給をしながらパクたちの活動を支えるようになります。

 

そんな中、関東大震災が発生します。

 

幸いにもおでん屋は倒壊しませんでしたが、ほうほうの体でおでん屋に辿り着いたジンウによると、皇居には対応を迫る民衆が集まり今にも暴動が起きそうだと。

反皇室の文子はワクワクしますが、パクは天皇とその周辺が黙ってるわけがないと不安がよぎります。

 

周辺では火災で爆発も起きてます。

 

     *

 

会議室には国の上層部が集まり対策会議です。

皇居や靖国神社には乞食のような連中が群がっているという情報です。

内務大臣の水野錬太郎は、

「暴動が起きる前に戒厳令を敷くべきだ。朝鮮人が井戸に毒を入れ放火をしてる」

と言い切ります。

 

皇居や靖国で暴動が起きる前に、民衆の関心を朝鮮人に向ける作戦なのです。

 

そして、官憲が民衆に不逞鮮人に対処するよう指示し、男たちは自警団を組み朝鮮人狩りを始めます。

皇居や靖国に群がってた人々の意識は完全に朝鮮人狩りに移行します。

 

ーー15円50銭ーー

これが言えないと殺されるのです。

朝鮮人が発音しにくい言葉だそうです。

まだ幼い少女も竹やりで惨殺されます。

 

     *

 

おでん屋に警察が来ます。

警察も躍起になって不逞鮮人の確保に回ってます。

パクたちは文子と一男を残し警察に捕まる道を選びます。

自警団だと殺されるからです。

 

世田谷警察の牢に留置されますが、自警団に追われた朝鮮人が逃げ込んできて、

「牢に入れてくれ!殺される!」

そう言われてもパクたちは入れらてる立場なのでどうすることも出来ません。

 

男はパクたちの目の前で署内に押し入った自警団に殺されます。

警官の発砲でようやく撤退です。

※実際に本庄警察では自警団が警察署を襲い、鍵を盗み、収容されてた朝鮮人の虐殺      事件が起きてます※

 

     *

 

内務大臣の水野は報道統制を指示します。

「日本人が朝鮮人を虐殺」の記事を、真逆の「朝鮮人が日本人を虐殺」

「朝鮮人が放火」「朝鮮人が井戸に毒」「朝鮮人が強姦」

どんどん煽らせます。

 

「朝鮮人なんか殺しても構わん」

と言ってた水野ですが、すでに死者6000人の報告に顔色が変わります。

「3日で6000人は多いな・・・」

そこまで多いと諸外国からの追求が予想されるので、今度は火消しです。

 

反日リストから首謀者に仕立て上げる人物としてパク・ヨルが選ばれます。

 

水野はでっちあげの革命の筋書きを作ります。

パクが上海から入手した爆弾で大官暗殺を企てるという筋書きです。

※パクが朝鮮人を先導して放火や毒を投げ込み、日本人はそれに抵抗して殺してしまった不可抗力による虐殺。パクは革命を起こそうとしてたという筋書きですね※

 

     *

 

留置場のパクたちのところに文子と一男が現れます。

日本人のふたりは危険がないので置いてきましたが、ふたりは「アナキストです」と出頭したのです。

 

文子は女なので隣の牢にひとり入れられます。

 

ところが、パクだけが牢から出され市ヶ谷刑務所に移送されます。

 

そこにも文子たちは追いかけます。

パクをひとりにはさせません。

 

パクは水野の大官暗殺の筋書きを、自ら皇太子暗殺と話を大きくします。

大逆罪は死刑以外はないにも関わらず。

文子も自分こそが主導したと言います。

 

他の者たちは知らない事として、パクと文子以外は釈放されます。

 

     *

 

大逆罪で早く死刑にして、暴動の全ての責任をパクに擦り付けて決着させたい水野ですが、ことは簡単に進まないことに焦り出します。

 

     *

 

なぜパクと文子はでっちあげの筋書きに乗ったのでしょうか?

朝鮮人虐殺の真実を世界に暴露するためです。

 

裁判には世界からも記者が集まりました。

大官暗殺でなく、皇太子暗殺にしたからです。

裁判という舞台で、ふたりは伝えたいことを見事に演説しました。

ふたりは裁判を利用したのです。

自分の命と引き換えに・・・

 

ふたりには死刑判決が下されますが、文子は笑って万歳を繰り返しました。

 

ところが、天皇からの恩赦で無期懲役に減刑されると文子は自死します。

 

パクは22年後の1945年に釈放され、翌年祖国に帰ります。

1989年に勲章を授与されます。

 

     完

 

物語はここで終わりますが、パクさんを調べたら、朝鮮は1945年に植民地から解放されたのに、今度は南からアメリカ、北からソ連に侵攻されて南北に分断され、

パクさんは北朝鮮で処刑されるという、最後まで歴史に翻弄された人生だったんですね。

勲章授与は死後ということになります。

 

文子の死は他殺説もあり、私も他殺を疑ってます。

こんなに自己主張も自己顕示欲も強い人が遺書も残さず自死するかしら・・・

パクを心底愛してるから一緒に死刑になる道を選び、パクと生き、パクと死ぬ覚悟があるのにパクを残して死ぬかなと。

 

まあ、獄中で書いた自伝が遺書代わりとか、遺書は廃棄されたとか、他の事情も考えられますが、劇中の文子を見る限り、この人は出所後の社会主義活動をパクに発破をかけるとこまで視野に入れて、未来を見据えるタイプじゃないかと思いました。

 

それにしても、この映画は日本人役も韓国人がされてるのですが、水野も含め

韓国の俳優さんの演技力の高さと日本語の上手さには脱帽です。

日本語が話せることが前提でも、加えての演技力ですもん。

韓国芸能のレベルの高さが伝わります。

そんな中に、なぜか松田洋治さんがいるんです。

見た目はすっかり初老ですが、声はアシタカのままでしたw

 

韓国映画なので、日本の悪行を大袈裟に脚色してそうですが、やってること自体は大筋で事実でした。(説も含めて)

 

気になったので、関東大震災朝鮮人虐殺事件に関連する作品をこの後もいくつか紹介させて頂きます。