ベタですが……
11月3日の今日は、嵐さん
CDデビュー21年を迎えました。
ジャニーズでは、CDデビューが公式デビューの日と言われています。

それにしても
朝からドキドキですよね?
頑張れ!我が家のfirestickTV❗️
止まったりしないでね

誰もいない、新国立競技場
嵐さんから、コンサート画像を送ってくれる。
もし、中断されたり見られなくなったら怖い
嵐のコンサート
今まで、一度だってメンバーが欠けたコンサートはありません。
これは、凄いことなんです。
体もメンタルも、事故もなく
当たり前のように、今日まで来ましたが……


自宅で見る初めての体験
確かにお金さえ出せば、全員が見られる公平なコンサートかも知れない。
でも、Blu-rayやDVDを発売されれば、見ることに関しては解消される。

大切な嵐の最後のコンサート。
嵐の人気も、会場も申し分ない。
だけど…観客がいない
まさかこんな結末に向きあわなければ、ならないなんて。
盛り上がりにかける
ファンがいない会場で
最後のコンサートをする嵐
北京も、入場出来るコンサートも中止になって、一番残念なのは嵐自身だろう。

最近よく見るこのCM
今の嵐とデビューの嵐が同時に見られる
この、ハワイでの記者会見が、東山さんの提案だったとは、意外にも知られていない。
当時は、海外でデビュー会見するなど、なかったから、社運をかけてハワイデビューした嵐だけど、2曲目でdown
イマイチなグループだと酷評も受けた。

だから、あの頃は、20年も続く
しかも、国民的グループになれるなんて、
一ミリも思ってなかった。
ゴコイチなんて言葉もなくて
ただ、ひたすらに大好きなJr.だった人が
嵐というグループに存在している。
そういう感じだった。

最初のコンサートこそは、ジャニーさん監修の不自然な手品あり、大好きなKyotokyoの空気や、まだグループ内に先輩後輩感があったけれど、やがて個性を打ち出して、高い目標を掲げるグループになっていった。
それは、目前に控えた滝沢氏のデビューだった
ジャニー社長が溺愛した特別待遇のJr.。
彼らがデビューしたら、俺たちは潰されてしまう

嵐がヤバイ❗️
恐怖と不安から、嵐の結束力は半端なかった。
自分たちのグループを守りたい。
タッキーたちがデビューする前に、嵐の地位を何とか確立したい。
私には、必死に見えた。
大野くんの嵐内コンセプトは、ちょっと冷静で
もちろん嵐が、もっと認識されたいという気持ちもあったけれど、リーダーとしての責任が【平等】を意識させのではないか?と思う

少年隊のニッキを目標としたJr.時代
V6のバック等を努めていた彼が、
少年隊専属の、バックダンサーになれた。
事務所にも、寄り付かず
練習が嫌いな錦織さんが、ステージに上がると伸びやかな歌声とダンスで、天性の才能を見せる。

ライトを浴びて、一瞬でスターになる
伸びやかでしなやかな美しい彼のダンスと歌声に憧れた。
嵐になって
少年隊さんと一緒の舞台に立てたこと
最初で、最後の【新世紀】
彼の演技の力が認められたのも、
この舞台だった。
そのニッキも、大野くん休止と同じ日に事務所を去ることになった。

少年隊のプレゾンは、入場者数に陰りが見え始めたころに、後輩を投入するのだけど、
Jr.ファンが、多くなり  前のよい席を占めていく。

東山さんは、それが耐えられなかった
そもそも、プレゾンは少年隊の舞台だ。
ステージ本番の舞台上から
マナーの悪いJr.ファンに怒り、注意したり
ダンスに集中出来ないと、Jr.には、誰だかわからないように、全身タイツと仮面で対策をとった。

しかし、ニッキはいつも寛大だった
(人気のある)後輩たちが、プレゾンで共演することによって、俺たちから色んな事を吸収してくれたら(先輩として)嬉しいし、そこから、また先の自分の舞台に繋げてくれたら。
と、後輩たちを拒むことなく暖かく受け入れた。
私は、ジャニーズに興味がなかった大野くんの成長を語るとき、錦織一清さんとの話を外せないと思っている。

ジャニーさんが、
一番好きだと言っていた少年隊
バレエの稽古は必須だった。
私は嵐ファン歴21年だが、
郷ひろみさんから数えたら、かなり長いことジャニーズを見てきた。
個人なら郷ひろみ。
グループなら、フォーリーブスと少年隊に愛情を注いできたようにみえる。
社長が描いてきた理想のグループに1番近いのが、少年隊だ。

生まれ故郷のアメリカで
少年隊をステージデビューさせたい夢もあった。
しかし、少年隊も、光一のEndlesSHOCKも、
アメリカから、関係者を呼ぶほど力を注いだが、結局ブロードウェイでの、上演は叶わなかった。

本場仕込みのジャズダンスを
プレゾンで習った大野くんは、
トラビスさんに誉められ
京都でも、プロ転向を薦められたという。
だけど、彼はジャニーズに残った
そして、大好きなジャズダンスを封印して嵐になった。
ジャズを沢山踊ったのは、ソロコンサートだけ。

先輩風を吹かすことなく、
自慢げに、ジャズを踊ることなく
端っこの立ち位置を受け
時には、縁の下の力持ちになりながら
大野くんは嵐のリーダーを勤めあげた
誰かが、センターで飛び出すグループではなく
1人が歌を占領しない。
リーダーが、振り回すグループにしたくない
ただ
居心地の良い、
メンバーのための嵐を目指した
嵐が居心地が良ければ、ファンだって居心地が良いはず。
きっと、ついてきてくれる。
それが、彼の哲学だった。

NetflixのVoyage♯16を
何度も見て、それを、確信した。
ニッキさんを尊敬しながらも
ジャズを押し付けることなく
彼の目指した嵐は、完成されたのだと感じた。

大野くんは、器の大きな方だと思います。
そんな
控えめな彼の趣味が、個展にまでなった。
とても嬉しかった。
それを、世界の草間彌生さんと奈良さんが認めてくださった。
彼には芸能人ではなくても、
与えられた才能がある。
生きていく選択肢が、沢山あるということです。
EXILEのATSUSHIさんも
智さんと同じ年で、グループから離れる決意をしましたね。
彼も天皇陛下の前で歌った1人です。

嵐デビューのお祝いは、個人的に
これからも続くでしょう。
CDデビューおめでとう❗️
完成された社長の絵に向かい
「バカ。死んでんじゃねーよ。」
この言葉が、社長のいない悲しみを感じ
とても、胸を打ちました。

何度も辞めたいといった、彼を
ごまかしながらも、結果引き留めた社長
3回目の個展も
最後のコンサートも
見て欲しかったでしょうね。


最後は嵐のファンが、平等にコンサートを見守ります。
上手く伝える言葉が見つからないけれど

ありがとう
私たちは、沢山の愛を受けました。