リクエスト企画になります。


大野くんを育てたお母様
ちょっと興味がありますよね。
一言で言えば、放任主義っぽく思われがちですが、お姉さんがいらっしゃる彼は末っ子長男
母親から見て、可愛くないはずがありません。

家族構成は4人
彼のラジオやテレビで
お父さんはまもるさん
お姉さんはみなさん
お母さんはけいこさん
ということがわかっています。

お母さんはB型なので
お父さんがAでしょうか?
因みにお母様は、私の母と同じ誕生日
ですが、怖い教育ママだった母とは大きく違い「一言も『勉強しなさい。』と言われたことがない。」そうです。
元々勉強が苦手であった彼は
授業中に教科書にパラパラ漫画を描き、クラスの絵がうまい子に手解きを受けて、ドラゴンボールを真似てから絵画にはまっていきます。

教育方針としては、口うるさい母ではなかったそうですが、ジャニーズの申し込みは本人に確認することなく、事後報告。
そして
「あんたが、受かるわけないでしょ」
と言ったのは有名な話ですが、
「なるほど。」と、即納得してしまったというのも反抗期がなかったという、彼らしいエピソードですね。
2人はちょっと似ている気がします。

私は
「母ちゃんが、家族の朝御飯をお茶碗によそうんだけどね、眠くて半分寝ながらよそうので、持っているお茶碗とご飯がずれていて、ご飯が床にストーンと…(落ちた)。えぇ~っ!!ってね。びっくりだよね?」
というエピソードが可愛くて大好きです。


元々芸能界に興味がなかったという彼は、他のJr.に比べて、お仕事が少なくても気にしなかったようなのですが、
「ダンスレッスンだけは欠かしたことがない。」
初めてジャニーズのダンスに触れて、自分に合うものを見つけた彼は、
「これだけは負けたくない。」
強い意思でダンスにのめり込んで行きます。


ジャニーズのお仕事に消極的なのは、学業が優先という家庭ではなかったようなのですが、本人の意思を尊重してくれる。
と、本人が言うように
「親には相談せずに、入学したばかりの高校を3日で辞めてしまったときも、親は文句を言わなかった。」
この時一緒に入学した町田くんも、一緒に退学届けを出したそうです。


同じMAに所属していた秋山くんのお母さんは
他のJr.に恐れられるほどのステージママで、TVや舞台を見ては
「ここで、こう言えば良かったのに、なぜ言わなかったの❗️」と帰ると酷く怒られるんだ。
収録が終わったら、必ずお母さんに連絡して、今から帰ることと、自分が、収録で爪痕を残せたか報告する義務があったのは、Jr.の中でも有名な話です。

私もバレエに関しては、とても煩い親で
「本番前夜のリハーサルを、夜中まで何度も繰り返して見てはダメ出しされるのが嫌だった。」と後に娘に言われましたが
少しでも早く上達して、娘に良い役が来て欲しい
という親心だったのですが
口煩くない親の子供ほど、上達していき、良い役が回って行った気がします。
子供は伸び伸び育てた方が良いと
大野くんのお母さんは、実践されていたのですね。
大切なのは待つこと。
なかなか、簡単そうで難しいものです。


無頓着なようですが、子供がジャニーズに、入った事が嬉しくて仕方なかった母ちゃんは
商店街で、買いものをするたびに
「うちの子がね、ジャニーズに入ったんですよぉ」
と、自慢げに話をしていたので

地元の人たちは彼を応援しようと
ファンが自宅を探し、道に迷っていると
「大野くんの実家ならそこを曲がったところの○○だよ。」と、かなり詳しく教えていたのだとか。
それが、親切だと思っていたのですが
ファンがどんどん実家の回りをうろつくようになり、
「姉ちゃんが結婚して出ていくと思ったら、彼氏を連れて同居してきたんだ。部屋を取られた父ちゃんは、リビングで寝るようになったんだ。」
狭い団地に彼氏を連れてやってきた姉
よほど、実家の居心地が良いのでしょう。
それでも、部屋を明け渡すほど両親は新婚の娘たちを受け入れてくれた。
元々この彼氏さんも、父ちゃんの部下
家に何度も連れてくるうちに、恋愛に発展

一方、芸能界に興味がない彼も
ジャニーズJr.のハングリー精神の中にいたら、やはり影響されてきた。
事務所内では、ダンスの実力を買われるようになったのに、新しいJr.が入ってきては後ろに追いやられる。
悔しいと思う気持ちが芽生えた頃
社長に京都の舞台に誘われる。
「京都に行けばセンターで踊れるよ」
センターで踊りたい!
そんな気持ちが彼を京都に行かせます。
まだ、16歳。
その彼の決断に、家族は賛成して送り出してくれたそうです。
それでも度々ホームシックになる彼を
母ちゃんは彼の大好きなミカンを、箱一杯送って励ましました。
このミカンを関西Jr.に配り、彼の苦手なコミュニケーションが取れたのだと思います。
そして、すっかり京都のメンバーと打ち解けあい、責任感もでてきた彼は、2度目の京都には、自分から志願して行ったそうです。

ある日、会場に母と姉と彼氏が座わっていた。
その頃は、姉が父がよく連れてきた部下の人と婚約していたことを知りませんでした。
「付き合っているのよ」と母に聞いてびっくり。

ちょっと飛びますが
この家族凄いんです
二宮さんが大好きだというエピソード
「このうち(大野家)ホント凄いんですよ。ねっ?(本人確認)大野くんが、仕事終わって家に帰ったら誰もいなかったんだって。スッゴい探したんだよね?(笑)そしたら、お姉さんがハワイで結婚してて、家族のみんなも新婚旅行についていってたんだよね?(笑)」
「そう」
「教えてくれなかったんだよね?姉の結婚を弟に言わないって!そんな家族います?気がついたら、みんなハワイって!(爆)」
「俺が忙しかったんだよっ」
(訳)俺が嵐でデビューしてしまい、忙しくなって家族が寝たあとに帰る日が続き、家族が姉ちゃんの結婚式を、俺にいうタイミングがなかった。

芸能人の息子を放置して、ハワイで挙式していた家族。
もし、彼に伝えていれば、ハワイの家族の費用を出してくれたかも知れない。
なんて、賎しいことは思わなかったんですね。
この話を、言われるのが嫌だったみたいなのですが、二宮君は、このエピソードが大大好きで彼が言わなかったら、お蔵入りでした。
後に
姉の挙式は、智くんも参加したかったそうです。


その後、東京の団地に5人家族で住むにはどうしても狭いし
ファンには、自宅がバレている。
ということで
なかなか家に帰りにくくなる。
そして彼は、愛する家族のために一軒家をプレゼントするんです!
だけど、まだ嵐が売れる前だったので
あまり条件の良い物件ではなかったみたいで

またまた、二宮さんにバラされる
「普通さぁ、(デビューしたのだから)引っ越すって言ったら仕事場に近いところ(都会)選ぶじゃない?この人、より遠い方に行っちゃったからね。(東京の)奥に行っちゃった。」
恐らくメンバーで一番早く、一軒家購入したと思います。
大好きな三鷹市を離れて、府中市に移動

大きな地震があった時
翔くんが「おれ、あの時グラビア撮影していてさぁ、カッコつけて薔薇なんか持っていたんだよ。凄く揺れたよね?」
と、コンサートのMCで言ったときに
「揺れた、揺れた❗️俺んち線路の側だから、電車が通ったのかな?と思いながら、下に降りたら『地震よ!』って母ちゃんたちが騒いでいたから、地震なんだ!ってわかったんだ」
この発言で、家は二階建てで線路沿いということがわかりました(笑)

せっかく購入した家も、あまり住むこともなかったようで
「久しぶりに、帰って部屋に入ったら凄い模様替えがしたあって、白いボードでテレビが囲まれていた。」
いつ、息子が帰ってきた来ても良いように掃除をし、テレビも見やすい配置になっていたのだとか。
「自分の部屋に、親が入るの嫌じゃない?」
と聞かれて
「全然!(嫌じゃない)片付けといてくれるし。お世話になっているから。」
「洋服も選んで買って来てくれるから、(母のセンスに)間違いはないと思うし。」

大野くんは、お母さんが大好き。
それは、まだマザコンという言葉が良くない意味で使われていた時代から、
「一番大切なのは母ちゃん」と人目をはばからず言い続けた。
いまでは「お母さんと仲良しです。」
と、堂々と宣言するタレントも出て来て
「ほっこりしますねぇ。」と世間に良く受け入れられている。


こんなにも、沢山の人に愛される智くんを育てたお母さん。
彼が産まれていなければ、もちろんアーティストとしての大野智の、存在はないのだけれど。
育て方も素敵だった。
Jr.止まりでは、彼の才能に気がつけなかった人も多いだろう。
彼を最大に知るには、嵐としての大野智。
でなければならなかった。


その大切な息子が、深く悩み
嵐を辞めたいと思ったこと
それを知ったときも
母は
彼が決めたこと。と
海のように広い心で
彼の意思を受け止めたに違いない。