私は2人の子供を、お腹の中から天国へ見送りました。
だからこんなとき、たえまなく湧き上がってくる悲しみを
消化するための方法がたぶん、ひとつしかないことを知っています。
時間だけです。
時間が過ぎていき、痛みが少しづつ和らいでいくのを。
普段通りの生活にうもれていくことを嫌がる自分を叱咤して、
普段通りの生活の中にもうあのひとはいないのに、
それでもいつもどおりに、
なんてことなかったかのように流れていこうとする時間に
心の中では七転八倒しながら、
普段通りの自分を装って生きていくしか
悲しみを癒す術はありません。
4年前の春に、胃がんを告知された父が1月15日、
亡くなりました。
63歳でした。
友達が言いました。
「誰だって後悔するんだよ。
どんなに心つくした人も、
何もしなかった人も、
皆『あの時ああしておけばよかった』って思うんだよ。」
だから後悔して当たり前なんだよ。
「マミちゃんは、なんでも自分で決める子だって
お父さん、言っていた。」
通夜の時に義理父に、告別式の時に父の友人に、
全く同じことを言われました。
「大学も、進学も、全部マミちゃんは自分で決めてきた。
あの子はそういう子なんだって、お父さん言っていたよ。」
そんなことはないよ、お父さん。
大学だって受験に失敗して落ち込む私に、
2次募集の大学で私の興味のありそうなところを
「もう一度頑張ってみたらどうだ」って教えてくれたのも
お父さんだし
最初の就職を憧れだけで選んで結局早くやめることになったのに、
今度は前からやってみたかったからと
某テーマパークのアルバイトに手を出そうとした私に、
「アルバイトならいつでもできるだろう。
せっかく4年制大学を卒業したんだから、一度きちんとしたところに
就職してみたらどうだ」と
合格通知をもらっていたIT企業の事務職に就職するように
話してくれたのもお父さんだった。
お父さん、ごめんね。
私はお父さんにたくさん迷惑をかけたよ。
お父さんの望むような、
お父さんが誇りに思うような娘ではなかったよ。
ずっとずっと甘えながら生きてきたよ。
顔だけはそっくりなのに、
中身は全然違う。
お父さんのために200人を越える人が来てくれたお通夜の日。
「昔、〇〇でお世話になりました」
お母さんと私たちにそう言って、200人以上の人が
お父さんのために足を運んでくれたんだよ。
癌のために仕事を退職して、もう2年以上たっていたのに、
損得関係なしに、200人以上の人がお父さんのために
お父さんに会いに来てくれたよ。
私はその人たちに「ありがとうございました」って
お礼を言えてとても嬉しかった。
でもお葬式を、音楽葬にしたいって、お父さんが思っていたなんて知らなかったよ。
お母さんから「TUYA」と「告別式」と書かれたCDを見せられたとき、
どんな気持ちでこのCDを編集したんだろうと、手が震えたよ。
けれども、素敵なお式だった。
来てくれた人が
「こんなこと言うの変かもしれないけれど、
こんなに胸をうたれるお通夜は初めてでした」って
おっしゃってくださって、
私もその通りだって思った。
お父さんを最後の最後でもう一度尊敬したよ。
すごいな、さすがだな、やられたなって尊敬した。
そのお通夜でお父さんのお友達が弔辞を読んでくれたとき、
「癌だと知ったとき、どうして俺がと頭の中が真っ白になった」と
お父さんの本当の気持ちを教えてくれたよ。
お父さんはいつもひょうひょうとしてて、
「一番嫌なことは、痛くて苦しいことだ」って言っていた。
だからもう効果のある抗がん剤がない、
治療方法がないからあとは痛みを緩和して
来るべき日を待つことしかできないってわかったときに、
「セカンドオピニオンは探さない。
もうあとは緩和ケアセンターに入る」
そう言ったお父さんに、
お父さんは痛いのが嫌だから、
プライドも高いし、
生きるためにあがきもがく姿を
私たちに見せたくないのか、
だから来るべき日を
静かに待つという選択肢を選んだのかと
思ったけれど、
当たり前のことだけど、
お父さんだって死ぬのは嫌だったよね。
その日がくるまで、きっと毎日、毎日、
怖かったよね。
ごめん。
ごめんね、お父さん。
なんでそんな当たり前のこと、
私は気がついてあげられなかったんだろう。
私はもっとお父さんに対して
真摯に向き合うべきだったんじゃないか。
もっとお父さんと話して、
お父さんの気持ちを考えて、
一緒に癌と戦うべきだったんじゃないかと
その時初めて思ったよ。
お父さんが亡くなってもうすぐ2ヶ月……
私の時間はまだ、しばらくは。
動き出しそうに、ありません。
