留学の思い出を振り返って
一言で感想を表すならば
「辛かった」  

行かせてもらったにも関わらず
申し訳ないのだけど、
精神的に本当に辛かった。

留学のオーストラリアでは
出来るだけ現地の生活に慣れるように
ホームステイをしていた。


50代のご夫婦と
20代後半の看護師の娘さんの
3人家族の元でお世話になってた。


言葉もわからないし、
生活様式も全く違う
最初緊張しっぱなしで
なかなか慣れなかった。


なぜか急に日本の家族や、
日本の生活が恋しくて
涙が止まらなかった日もあった。


私ってこんなに弱かった?と
自分自身に驚いた。   


何より1番辛かったのは
ホストファミリーとの生活そのもの。


約束事や制限も多かったし
かなり心配性なところもあって
過保護で過干渉だった。



日本では一人で出歩いて
色んなところに行けたし、
時間的拘束もなくて自由だった


だけど、そこはオーストラリア


出歩くにしても足がない、
自転車で出かけられるようなところはないし、
どこに行くにも送迎をしてもらうか
バスに乗るほか出歩く手段がなかった。


田舎だったという事もあって、
街の中心部まではバスで1時間はかかるし、
バスの本数も少ない。

週末に買い物に出かけても
15時にはバスに乗って帰らないと
門限の時間までには戻れない
なんとも窮屈な生活だった。


今振り返れば
日本以外の諸外国の生活って
そんな物だと思うのだけど、
日本以外で生活しか
知らない私は
理解は出来なかった。


ホストファミリーとの生活がつらくて
留学コーディネーターに相談したけど
最初こそ親身だったが、
そのうち、
わがまま言わずに我慢しなさい、
という始末


もっと理解して欲しかったし
寄り添ってほしかった。


遠い日本にいる母にも
泣きながら電話した時もあった


でも泣いても泣いても
状況は変わらなかった。


誰かが手を差し出してくれるわけではないし、
泣いた後は虚しさが残るだけ


ただただ耐えるしかなかった。
 

結局自分しかどうする事もできないと気づいた時
泣くのをやめた。


家にいる時は
出来るだけ何も考えないようにした。

もちろん
ホストファミリーには良くしもらったし
たくさん色んなところにも
連れて行ってもらった。

辛い事ばかりではなかったし、
楽しいことあった。

ある程度生活に困らないだけの
語学力も知らず知らずのうちに
ついていったし、
若かったから習得するのは早かった。


大人になって、
喋ることはもう出来ないけど
ヒヤリング力は
身についてるのかそこまで衰えてない。


けれども
心の底からすっごく楽しかったとは
言えなかった。


留学をさせてもらった両親には
申し訳なさすぎてそのことは言えない。


色んな意味でたくさん学んだ。

とても長い時間に感じたし
今でもその時の思い出は消えないで
覚えている。