先日、NHKのうたコンでGOROさんが歌われた「甘い生活」。

このすごい反響にはこちらもうれしいのと驚いたのと!

 

 

皆さんのつぶやき(ポスト)を読むうちに、当時のことをわたしなりに少し検証してみたくなりました。

(検証って言っても、それほど大げさなことではないですが)

 

 

 

 

 

まず、わたしのことですが・・・この楽曲がリリースされた1974年、わたしは15才でした。

初めて聞いたときに「がぁ~~~~ん!!」と衝撃を受けたのをいまでも覚えています。

 

 

「GOROさん、どうして?」です。

 

 

 

わたしは「君が美しすぎて」(1973年)で軽い衝撃を受け、大人の階段を急速にかけ上げるGOROさんのあとを必死て追いかけていました。

やっと追いついたかなと思ったら、この曲でさらに引き離され・・・💦ガーン

 

 

GOROさんはそれ以上に大人の階段を一足飛びに・・・

 

 

74年、すでにリリースした「こころの叫び」、「告白」、「愛ふたたび」。

ここまではわたしも何とかクリアできてました。

 

 

が、「愛ふたたび」の次がこうなるとは夢にも思わず・・・💦

 

 

 

同じ年の夏、アルバム「GORO! LOVE IN LONDON / 愛ふたたび」(1974年8月)がリリース。

どの曲もロマンチックで素敵で、少女の心をくすぐりました。

いまも大好きなアルバムです。

 

その当時、GOROさんはこの路線を歩んでくれるものだとばかり思ってたんです。

 

 

 

 

しかし・・・その2か月後の「甘い生活」です。

 

 

 

「GOROさん、あなたまで・・・?」でした。

 

 

四畳半フォーク、同棲解消ソングなどと言われる曲が台頭し始め、「甘い生活」は、ズバリ、同棲解消ソングでしょう。

15才のわたしには生々し過ぎました。

 

 

 

 

1973年、かぐや姫の「神田川」(詞:喜多條 忠 曲:みなみこうせつ)が大ヒットして以来、四畳半ソングが次々と出たような記憶があります。

 

 

その少し前、「同棲時代」という漫画がはやったらしく(わたしは読んでないのですが)、それが映画化されたり、ドラマ化されたり。

「同棲時代」(大信田礼子)という歌も流行りました。

同棲時代は一大ブームだったと思います。

 

 

わたしはまだそういう世界がよくわからなかった。

明星や平凡は「同棲時代」の話題でにぎわっていましたが、わたしはまったくピンと来ていませんでした。

(子供でしたよねあせる

 

 

 

「神田川」のヒットの翌年、布施明さんが「積木の部屋」をリリースしヒットさせました。

布施さんが同棲解消ソングを歌うこともわたしにはちょっとした衝撃でした💦
「積木の部屋」は、フォークっぽい歌謡曲でしたね。

 

 

 

その後、GOROさんまでもが同棲解消の歌を歌い、直後はホントに衝撃でした。

でもね、一生懸命に詞の心も理解しようと自分なりにがんばったんですよあせる

 

詞はリアルではあるけれど、メロディはとても美しく素晴らしく、GOROさんが歌うと生々しさはあまり感じなくて、むしろエレガントでさえありました。

 

 

フォークっぽい「積木の部屋」とは違って、「甘い生活」は、洋風テイストな歌謡曲・・・と言うのかしら?

 

 

この曲のヒットで、GOROさんはミドルティーンのほか、大人の女性のファンを獲得したんですよね。

「アイドル」のカテゴリーに入れられたまま大人の歌を歌う・・・

GOROさんは不思議な立ち位置にいたのかもしれませんね。

 

 

 

この時代は、フォークソング(ニューミュージック)のアーティストがたくさん活躍して、歌謡曲以外のヒットソングがたくさん出ましたね。

このあたりから、フォークソングの歌手(シンガーソングライター)が演歌、歌謡曲に詞や曲を提供し、ヒットにつながることもかなりあったと思います。

 

 

 

「甘い生活」の詞・山上路夫さんは、GOROさんのシングル「愛ふたたび」から76年の「きらめき」まで連続担当。

GOROさんの歌手としてのイメージを作り上げた人と言われているそうですが、わたしは千家和也さんや阿久悠さんのお力もまたとても大きかったと思っています。

 

 

山上先生は「愛の肖像」や「雨のガラス窓」など、ストーリーのある楽曲を作詞されました。

山上先生はリアルっぽい物語を詞になさるかただなぁと思ったら、作詞家になる前は小説家だったと知り、「ああ、なるほど」と納得しました。

 

 

 

「甘い生活」は、GOROさんと筒美京平さんの「絆」の楽曲ですね。

サビの部分をGOROさんに任せるなど、信頼関係がうかがえるエピソード。

 

 

誰もが思った「受賞間違いなし」のはずが、まさかの悔しさ。

そのお陰でのちにオムニバス3部作が生まれ、昨年、約50年ぶりに再現された・・・

 

 

 

あの年の大みそかに、師の指揮で作曲賞の「甘い生活」を歌うGOROさん。

 

「先生が受賞されたのだから、僕、歌います」

「GOROちゃんが歌うのなら、僕が指揮をとるよ」

そうやって、大みそかのステージで師弟共演されたこと、わたしたちの記憶から消えません。

おふたりの思い。

 

 

思い出せば、泣けてきますよね。

 

 

 

GOROさんの曲を、この「甘い生活」を、本当の意味でわかるには年月が必要でした。

このごろですよ。「本当に素晴らしい曲だなあ」としみじみ深く思うのは。

曲を聴きながら、人って成長して行くんですね。

 

 

 

 

どなたがか、「GOROさんのいまの歌声で、あの頃の歌をもっと聴きたい」と。

 

 

ああ、わたしも同じだなあ。

 

 

でも、そう願うことは酷なんだろうかと、きょうのインタビュー記事を読んでそんな気になってしまいましたあせる

 

声=限りある資源。

だから、大事に使っていただかないと。