母との確執について、前に「棘のある親」ということで少し書かせてもらいました。

 

私個人の体験ではなく一般論的に書いています。

 

思うところがあって、実際に母との間にどんなことがあったのか、自分の体験を書いてみようと思います。

 

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私は6歳まで一人っ子でした。

 

6歳で妹が産まれましたが、その前に母は何度か流産を経験していたようです。

 

その当時の記憶がほとんどなくて、小学校入学前のことで今、思い出せるのは2つだけ。

 

一つは幼稚園に入り、園庭で遊んでいた時のこと。

 

先生が

 

「お弁当の時間ですよ〜」

 

と声をかけたら、園庭で遊んでいたみんなが遊びをやめ、教室に向かって駆けて行きました。

 

私も後をついて駆けて行ったのですが、みんなは建物の外にある水飲み場で手を洗い始めました。

 

私はそのまま教室に戻ろうとしたのですが先生に止められ、

 

「手を洗ってからね」

 

と言われて初めて、なぜみんなが手を洗っていたのかを理解したのです。

 

私には「お弁当の時間」だから「教室に入る」はわかっても、そこに「外で遊んでいたらまず手を洗う」という段階を踏まないといけないことがわからなかったんですね。

 

なんでみんなはわかっていたんだろう。

 

もしかしたらこの時、園庭から手を洗って教室に入るのは初めてではなくて、何度目のことだったのかも知れません。

 

考えてみれば、園庭で遊んでいたら、ご飯でなくても手を洗いますものねw

 

けれど私が「なぜ?」と思ったのはこの時が初めてだったのは間違いありません。

 

その後も私の人生には、似たようなことがなんども起こります。

 

みんなが普通にわかってできることが、私にはわからなかったんです。

 

今ならきっと、ADD、またはADHDの診断がくだるのではないでしょうか。

 

けれど60年前にはそんなことはまだ知らせていませんから、私はいつも「問題児」でした。

 

もう一つの記憶は、ある晩のこと。

 

元々寝つきが悪かった私は、布団の中でゴロゴロしていました。

 

退屈していたけれど、居間に出ていけば絶対母に怒られます。

 

それがわかっていたので、母が誰かと電話を始めた時、母が話をするのをじっと聞いていたんですね。

 

そして母が言ったのは

 

「私はどうしても、あの子のことが好きになれないのよね」

 

あの子、とは私のことでした。

 

私はショックでショックで、でも声を上げて泣いたら、まだ寝ていないことや電話を盗み聞きしていたことを怒られるのは必至。

 

だからずっと、声を殺して泣きました。

 

その後、いろんな場面で、私はこの時のことを繰り返し繰り返し、思い出すことになります。

 

母からは責められたり馬鹿にされたり怒られたりすることがほとんどでした。

 

小学校に入って、学習図鑑を買ってもらいました。

 

学校の授業の関係だったのか、母と一緒にキノコの種類をその図鑑で見て、ものすごく楽しかった私は、翌日もその図鑑を持って母が座っていたこたつに持っていくと、母はふっと立ち上がり

 

「あんたにしょっちゅう構ってる暇はないの!」

 

と吐き捨てるように言って、去って行きました。

 

その時も頭に浮かんだのは

 

「あの子のことは好きになれない」

 

という母の言葉です。

 

多分ADHDの私は、きっと扱いづらかったし育てづらかったのでしょうね。

 

電話で誰かにそう言った母の真意はわかりません。

 

けれど私は、何かというとこの言葉を思い出し、苦しい気持ちをその後何十年もの間、味わうことになりました。

 

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続きます^^