豆あず日記 ੯‧̀͡u\愛犬と暮らす家੯‧̀͡u\

豆あず日記 ੯‧̀͡u\愛犬と暮らす家੯‧̀͡u\

♡わが家の宝物豆蔵と小豆の成長日記♡愛犬のための家造り

あーちゃんにとって豆は世界で一番好きな生き物なんだと思う。

気がつくとそばにいて、豆に迷惑がられたとしてもピトッラブラブとしていたい

豆ちゃんが眠っている箱の中にも入りそうな勢いだった。ヤメテ不安

 

だから、私から離れなくなったり、ご飯の途中でも私を探すようになったり、

今まではしなかったことをするようになったのも不安の表れなんだと思っていた。

 

定期検診の際、かかりつけの先生に何気なくそんな近況を話したところ、

それは「豆がいない不安」だけではなく

「いつもと違うお母さん」に戸惑っているのもあると思う、と言われた。

これまでは豆と分散されていた注目を一身に受けるようになり、

「え。なんでそんなジッ真顔と見てるですか驚き?ソワソワ」と不安にさせてしまったらしい。

 

ごめんアセアセ

ずっと豆優先で申し訳なかったね、という眼差しだったんだけどなんか逆にゴメン不安泣

↑豆ちゃんのお供えフルーツのお下がり待ち。

 

なるべく平常心でいようと思っているけど、感情が大きく揺らいでしまう日もあるし、

今もまだ2時間おきに目が覚めてよく眠れない日も多い。

「豆のいない日常」を受け入れてその生活に慣れていこうとしている途中です。

 

あーちゃんと過ごす時間も有限なのだから今を大事にしないと、と空回りしすぎたのかも。

 

意識しなくても、だんだんと、少しずつ気がついたら「普通」になっているのかもしれませんね。

 

 

 

 

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その日は朝から様子が変だった。

呼吸も、浅く吸ってしばらく止まってから薄く吐く感じ。

先生に電話したら、早朝にもかかわらず来院してくれれば診れると言ってくださった。

 

「努力呼吸」といって頑張って呼吸している状態とのこと。

この状態になってから24時間以内に亡くなることが多い、、、と言われた。

 

実際、そこから数時間後の7月15日10時40分頃亡くなった。

 

7月17日 雨予報だったけど火葬、納骨が終わる間際までは綺麗な青空だった。


だいぶ小さくなっちゃったね、豆ちゃん。

 

「お母さん」

「お母さん」

「お母さん」

本当に最後の最後の瞬間までずっと私のことを見つめていた豆蔵。

 

なんて伝えたかったのかな。

「お母さん」

「お母さん」

 

豆ちゃん、今も変わらず大好きだよ。これからもずっとずっと大好きだよ。

可愛くて、賢くて、優しい豆蔵。うちの子になってくれてありがとう。

 

 

おわり。

 

 

 

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お教室にも行けたし、旅行も出来た。

でも、その間も日々病気が進行しているのは常に実感していた。

「トボトボ歩く」から「ヨロヨロ歩く」に変わっていた。

それでも調子が良い日はオモチャで遊んだりしてくれるのでつい期待してしまう。

 

この時には豆の体力的にもう通院が難しくなり毎日往診してもらっていました。

お薬もほとんど点滴に変えてもらい、ご飯も先生と看護師さんからあげると食べてくれた。

なので、私たちは豆が食べたいときに食べたいものを食べられるだけ、無理はさせず。

「豆ちゃんが嫌がることは出来るだけ病院がします。

大好きな人に一日何回も嫌なことされたら、豆ちゃんも飼い主さんも辛いでしょ?」と言って、

休診日すらも往診してくださいました。

お水はまだ自分で飲みに行けてた。

 

だんだん立ち上がることも難しくなってきた。

介護用ハーネスで下半身を支えると数歩なら歩けるので1日4~5回くらいトイレ散歩に。

それすらも難しくなるまではあっという間だった。

 

2時間おきくらいに体位を変えて、そのとき口元にお水をもっていき飲みたかったら飲む。

ご飯も少し上体を起こして豆が食べると言えばあげる。

「箱根ラスク」というラスクを前歯でカリカリカリカリと食べる姿が超可愛い。

後ろ足にむくみが出てきていたのでマッサージしてあげると気持ちよさそうにしていた。

 

ダンナさんも豆の看護のサポートはもちろん、あーちゃんのお散歩も行ってくれた。

おかげで私は24時間ほぼ豆のそばにいて豆のペースに合わせた生活を送ることが出来た。

 

豆も「苦しそうと」とか「痛そう」などの様子は見せず、毎日とても穏やかだった。

それでも、、、、それでも、お別れの日は来た。

 

 

 

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