父の誕生日に私は生まれた。
父は、どんなに嬉しかっただろうと、今ならわかる。
私も嬉しい。
小さい時の私は、私だけの『おめでとう』じゃないことを損をしたと思っていた。

実家を火事で失くしたので、私の手元には、一冊のアルバムしかない。
色も褪せて、『どんだけ昭和なんだ』というアルバムをめくりながら、誕生日の朝、私は思い切り泣いた。

父は大動脈瘤解離で亡くなった。
日本が初ワールドカップ出場を決めた『ジョホールバルの歓喜』
普段から口数が少なく、電話をしてくることなどなかった父から、早朝に電話があった。
「ワールドカップだぞ。よかったな」
高校時代、サッカー部のマネージャーをしていた私に、
『よかったな』と言ってくれた。その日の夜には、父は還らぬ人になっていた。

父は転勤が多かった。
小さい時は一緒に引っ越したけれど、受験を考えて、私が中2の時から、父は単身赴任になった。
夢見る夢子だった私は、さっさと結婚し、子どもを持ち、義父母のもとに暮らし、仕事もしていたから、毎日が目まぐるしく、ほとんど実家に帰らなかった。
実家は、ずっとそこにあって、いつか両親が年老いたら親孝行すれば良いくらいに思っていた。
父も母も、突然いなくなったので、私は看病すら出来なかった。

親にこんなに愛されてきたのに、感謝をしなかったから、神様が罰を与えて、私から夫までも奪ったんだと思ってきた。こんな私は、さっさと消えちゃえばいいんだと破れかぶれになったこともある。

昨日、私は『夫が亡くなってから現世に執着はなく、その後の日々は、オマケだと思っている』と書いた。
58歳の誕生日の朝、アルバムをめくり、その愚かさに気付いた。
父から静かに叱られた気がした。

人生におまけなんかないです。
ごめんなさい。

父が、私が泣くと必ず言ったのが
『変えられないものは、受け入れる強さを。
変えられるものは、変えていく勇気を。
それを見極める知恵を持とう』
それがニーバの祈りだと知ったのは、父がいなくなってからだけれど、小さい時から聴いていた言葉が、私の軸を作ったのだろうと思う。

そして、両親は、突然いなくなることで、後回しにしたら、取り返せないことがあることを教えてくれたのだとも思っている。それが、私の弾丸気質に繋がっている。

生きているといろいろある。
でも、歳を重ねていけることは幸せなんです。
『また、BBAになったぜ!』ではなく、歳を重ねたからこその深さ、大きさを持っていきたい。
お父さんも私もお誕生日おめでとう!

与えられた命を、大切にします。

漫画を読むなと言ったのに、なぜか『いじわるばあさん』を買ってきて、「おもしろいよ」とにやっと笑った父の顔を思い出した。
気をつけますm(_ _)m