【思い切って書く】

私は幼稚園の先生をやっていましたが、
子どもには、『おしり』『おなら』『💩』という言葉は絶対的な力がありました。

そこで、ウィルスを💩だと想像する。
以下、💩→○と置き換えます。

気づかないうちに○がついちゃっている人がいるわけです。

その人が、
『自粛生活で運動不足だし、ちょっと遠くのスーパーや商店街に買い出しついでに行っちゃうか』
『車ならいいだろう。気分転換に海を見に行くか』

人は大抵、同じようなことを思いつきます。
だから、知らないうちに○がついている人も混ざりながら、人が偶然にも集まってくる。

そう。偶然なのです。
今、○がついているのを知っていてワザと動いたりしない(自分の○をとってほしいから)

わざわざ○があるとわかる場所にいく人はいない
(どんなものにもマニアはいますから、ほとんどいない)

知らないうちに○がついている人が、あちこちに触る。
この○が厄介なのは、話し続けると、息からも○成分が飛ぶ。
そうしたら、息がかかるのは嫌だから離れる。

そう考えたら、どうなんだろう。

うっかり、○がついた人が触ったものを、触ったかもと思ったら手を洗う。

○がたくさんあるかもとわかっていても、マスクをしてまで出かけなくてはならないことこそ、【どうしても】なんですよね。

○がたくさんあるかもしれないところに行き、子どもを自由に遊ばせますか?

犬や猫は悪くない。
でも、散歩中、くんくんしている。
その犬や猫を触った手で、おにぎり食べますか?

間違ってはいけないのは、○をわざわざつける人はいない。
その人に偏見を持つのはおかしい。
○が綺麗になったら、いいのです。
事実、子どもたちは、お漏らしをしたお友だちに対し、最初は『おしっこした』とか言います。
間髪入れず、『誰にでもあるよね。そんな時にそれを笑う子がいたら、やめようって言えるのかっこいいよね』というと、その後、ひやかしたりしません。
『大変だったな』と語りかけたりします。ヒーローになりたいしね。

商店街や海辺の悲鳴がわかりますか?
知らないうちに○がついているかもしれない人が、わんさか来るのを止められない。

生活を守るために開けている銀行、店の方の不安がわかりますか?

さらに、命を救うために、明らかに○がついている人が押し寄せ、息もつけず、○な人が出たという報道で、家族も含めて誹謗中傷を浴びる医療者のギリギリの状態がわかりますか?

公式には、まさか、○なんて言えないから、なるべく○が集まらないよう
三密を避けるとか、不要不急という言葉を使うんだと思います。

でも、○に例えて考えたら、イメージ出来るんじゃないかなぁ。

少なくとも、子どもは、一生懸命に手を洗います。
『これ、○ついてるかもしれない?』と聞いてきます。うなづけば、手を洗います。
お友だちにも、『やめた方がいいよ』って言います。
お部屋で遊ぶよとなります。

これが、自分の内側から起きた、本当の行動変容なんだと思います。