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今回は②の「要因、要素への偏った固執」について考える。


本来、物事というのは複雑に要因が絡み合い、そしてそれはマクロな問題程、多面的かつ多要素を視野に入れなくてはならない。

それを安易に絞り込んでしまう単純化も蔓延っている。

YouTube、X(旧Twitter)でもそれを行う事で支持を集めてる人も少なくない。

より理解しやすいモノだけを理解させ、他を度外視させる事で理知的であるかのような錯覚から快感を生じさせるのだ。



他にも何か問題が起きた時に、自身と他者、双方に原因がある可能性があるのにも関わらず、自身か他者、どちらかに偏って原因を見出そうとするのも単純化である。

これらは自己愛が強い者に起こりやすい。

自己肯定感のない者は自身に、自己肯定感が強い者は他者に原因を偏って見出しやすい。

自身にばかり見出してしまう者は、相手にも何か事情があるのだろうという余裕が必要であり、他者にばかり見出そうとしてしまう者は自身の成長の為にも謙虚さを持ち合わせるべきである。

10割合で考えた時に相手が8割の原因があったとして、残り2割で何かできたかもしれないのだ。


相手が8割の原因ならばその問題を回避できないのも仕方ないだろう。

それが「普通」であり「凡人」である。

しかし、強い自己肯定感に相応する有能さを持ち合わせる者ならば、2割の予防、先見で回避できるのではないか。

世の中のマニュアルやコンプライアンスはその様に構築されてる。

それができないのならばその者は、それらを構築する「あちら側の人」ではないのだ。


他にも偏った要因、要素への固執は多々あるが、例としてこれらを挙げて今回は終わろうと思う。

次回は③について話そう。