連載方式はどうも性に合わないようだ。
なので今回からまた普通に書いていく。
感情論を過度に軽視するという話だったと思うが、この表現は的確ではない。
タイトルにある物質性偏執とするべきだ。
「利己性」、「合理性」を例に挙げる。
過度に利己的である者は「損をした」と思う機会が多い。過度に合理的である者は「非合理だ」と感じる機会が多い。
共に不満を伴う機会だろう。
結果、精神性においては「損失を多く体験してしまい非合理的」である。
つまり自他、両方の精神性を軽視している。
逆に非合理性極まれば物質的に破綻するし、利他性が極まればこれまた物質的には貧しくなりかねない。
これは物質性を軽視した精神性への偏執と言えよう。
つまり偏執的であったり、バランスを崩している時点で非合理的なのだ。
感情論と理屈というのも時に相反してしまったりする。
これも同様偏れば、精神性、物質性いずれかへの偏執であり、非合理的なのだ。
昨今は合理性という言葉のイメージにより、物質性への偏執が過度に正当化されているのを見かける。
これが前回まで論じていた「単純化」の1つである。
潔癖も同様の性質を持つが、非合理性を伴い、物質的にも精神的にも破綻する事もままあるので、強迫性が強い人は気を付けていただきたい。
不満を感じる機会が多い人は、物質性への偏執が強くなっていないか、自身の中にある合理性が本当に合理的であるか考えていただきたい。
今回はここまでにする。