2005年09月03日(土)(その3)

 

   さてと今日は土曜日だし九時を回ったけれどもう少し書いて行こうかな・・・

マメタンノートは一応完結させたつもりだけど日々のことを綴った訳ではなく、何なら続編を書いてもいいかもしれないな。

 元々この日々マイブックの記入も日記のつもりでは無かったが、いつの間にか日記と化してしまった・・・

 

 今日も何時に起きて何をして、誰と会って何を食って・・何時に寝ました風になってしまっている。少々不本意であるが、軌道修正をしようにも5年も経ってしまっているし、今更どうこうなるものでもない。

 

 ただ、流れは流れであり機構を卒業して船橋支店に帰向し更に津田沼に移って既に一年半が経過しているのである。ほんとのあっという間である。

 

   因みに、出向という言葉はあるがその反対語が探しけど見つからない・・・造語かも知れないけど自分的には「帰向」が一番しっくり来たので勝手に書き込んでいる。

ものの本によると「復職」との表現はあったけど・・・何だかな・・・ピンとこない。

 

   しかし、船橋で元の会社に戻ったが、「出向」当日に元の会社は合併をした・・・2年後戻って来た時にはいろいろ元の形が残ってはいたが決して元の会社では無かった・・・

 

   この間、自分は何の成長もしていない・・・もう何の成長もする筈もなかろうが、しかし何か新しいものに挑戦はしてみたいと思う。この感覚は大事なこでは無いだろうか・・

 

   未だ椎名氏以外に踏み出せていないがそれでもかなり司馬遼氏に心動かされつつある・・これを大事にしたいと思っている。

 

 まったく日本史に興味を抱けなかった自分に光明を与えてくれた気がする・・・この際キッチリハマってみようかと思う・・・まるで教科書とも言えそうな「この国のかたち」に実に素直に入って行ける自分が居て心地好い。ありがたい本に遭遇したものである。

 

 さて九月に入っても未だ平穏な日々とは言い難い。わずか3ヶ月で満期の到来する定期預金を約80名の人から預かった・・・何とか上手く整理をつけて、10月以降長期の商品に取り込まなくてはならない訳で、その下準備の月が今月なのである。今日は前半分約30通の私信DMを発信しなくてはならぬ。10月に入るまでこの慌しさは続くのである。

 

 久し振りの山口氏とのコンビ、ほぼひと月近く顔を合わせていなかったので懐かしさへ覚えた。
(マイブック・・)