スペイン9日目、
昨日はサクラダファミリアを堪能しました。
今日は、旧市街地の散歩とピカソ美術館に行きます。ピカソ美術館は前日に予約しました。(65歳以下だったので14.5€しました)
チケット予約は、実際には、ツアーガイドのあけみさんに予約してもらいました(^_^;;
ピカソ美術館は写真撮影可能でした。
撮影可能だと好きな絵をいつでも見れるので良いですね(^_^)/
まず、ピカソは、芸術にかこまれた環境で育っているようです。父親も画家で美術の先生だったようで父親はピカソの才能を見抜き美術学校に通わせたようです。
父親は、
静止画とか鳥を描くのが好きだったようです。
「鳩小屋(Palomar)」ホセ・ルイス・イ・ブラスコ(José Ruiz y Blasco)
父親は、ピカソの絵の師だったのでしょう。
父親の絵は非常に写実的です。
■ピカソが美術学生だった時に描いた絵
「老漁師(The Old Fisherman)」1895年
ヘミングウェイの小説『老人と海』の主人公サンチャゴをモデルにしていると言われています。ピカソが14歳の時に描いた絵です。
ピカソの写実的な絵は見たことがなかったですがとってもうまくて感激しました。
「Man Portrait」1895年
男の顔となっていますが、ピカソの自画像なのかも知れないです。けど、ピカソは14歳なので口ひげがはえているので違うかな。
「初聖体拝領(First Communion)」1896年
15歳の時に描いた絵とは思えません。写実的な画家としても成功しているように思いました。
この絵は、マドリッドの美術工芸博覧会に出展したようです。
この頃、父親とか母親とか祖母とか自画像とかも描いています。
「父の肖像(The Artist's Father )」1896年
父親は、同僚の宗教画家でピカソが働けるように依頼しそのアトリエで大きな絵を描いたようです。
「科学と慈愛(Science and Charity)」1897年
すごく大きなキャンバスを使っています。見た感じでは高さ2mくらいありました。
この絵、斜めから見ても楽しめました。
ベッドの長さが変わるように見えました。
ようは、どこから見ても、リアルにその場にいるように感じました。
この絵でピカソは画家としての道を考えたかと思います。
■自分らしい作品を模索し始めた頃の絵
「Carles Casagemas」1899年
「Head of a Man in El Greco style」1899年
人物画です。右側は、エル・グレコ風に描いた絵となっています。
確かにマドリッドの美術館で見たエル・グレコの自画像に似ています。
なお、エル・グレコの世界三大絵画とされている絵はトレドで見てきました(^_^)/
いろいろな絵を描いています。
「ラ・チャタ(La Chata)」1899年
印象派のような画風です。
ピカソは多くの芸術家とかダンサーが集まっていた当時の文化都市のパリに向かったようです。
■パリで描いた絵
「ラ・ナナ(The dwarf)」1901年
「マルゴット待ち合わせ(Waiting Margot)」1901年
いずれもゴッホを彷彿させる描き方です。点描画法で印象派のイメージです。
■青の時代
1901年ピカソ20歳、パリでの生活で自分の画風を模索していた頃。青の時代に突入です。
「頭巾をつけた女(Woman with a bonnet )」1901年
「サバスティア・ジュニェンの肖像(Portrait of Sebastià Junyent Sans)」
「鼻眼鏡をかけたサバルテスの肖像(Jaume Sabartes with pince)」1901年
エル・グレコの作品研究をし自分の作風を定義しようと模索していたようです。
「女の死体(The head of the dead woman)」1903年
サンラザール刑務所の女囚を描いた絵です。
「青い裸婦(Naked woman with dripping hair)1901年
ピカソが20歳の時の裸婦の絵です。
裸婦なのに官能的でない色合いです。
風景がも描いていました。
「バルセロナの屋上風景(Roofs of Barcelona)1902年
青の時代は絵が売れなかったようで、バラ色の時代へと移ります。
■バラ色の時代
「ベネッタ・ビアンコの肖像(カナルス婦人)」1905年
写実的な絵を描いたと思えば、少し画風が異なる絵も描いています。
「若い女性の頭部(Head of a Young Woman)」1906年
結果、
たどり着いた先はキュビスムだったのかな。
■キュビスム
キュビスムとは、、
簡単に言うと良く見るピカソの絵です(^_^;;
「肘掛け椅子に座る女性(Woman in an armchair)」1917年
良く分からないですが、表題を見るとそのように見えます。
「腰をかけた男(Seated Man)」1917年
この絵、男と言われてみれば、沢田研二にも見えるかな(^_^;;
「果物入れ(Friut bowl )」1917年
次の絵は、上の2つの絵画の合体作かな?
「果物皿を持った人物(Man with fruit bowl)」1917年
1917年頃から抽象的なキュビスムからピカソ独自の様式へと変貌していったのでしょう。
「パセオ・デ・コロンの眺め(View of the Paseo de Colón)」1917年
キュビズムと写実的な画法と融合した絵へと変わってきているように思います。景色にはゴッホのような点描画法で印象派も融合しているのかも知れないです。
絵の真ん中には、ピカソ美術館の近くのコロンブスの塔が描かれています。私もピカソが見たコロンブスの塔を見てきました。
「マンティーリャをつけた女」1917年
たぶんいろいろと画法を研究していたのかも知れないです。未完成?なので点描画法の試していたのかも。
「点描画法でもやってみるかな~」
「意外とめんどくさいな。。」
「やーめた!」
となったのかも知れないです。
(根拠なき類推です)
「アルルカン(Harlequin)」1917年
この頃でも写実的な絵も描いています。イタリアの美術館で見たギリシャ・ローマ彫刻からインスピレーションを受けた絵ととのこと。
「ゴアード・ホース(Gored Horse)」1917年
ピカソの名作、ゲルニカの習作(ゲルニカを描くためのスケッチ)とされています。これだけでも十分に作品だと思いました。
ゲルニカは、国立ソフィア王妃芸術センターで見てきました。
「座る女(Ragazza Seduta)」1939年
この女性、ピカソのその時の愛人ドラ・マールだったと言う話もあるようです。
キュビスムからピカソ様式となってきた頃でしょうか。
「ジャウマ・サバルテスの肖像(Jaume Sabartes with ruff and bonnet)」1939年
やっと、ピカソと分かるピカソの絵になりました(^_^)/
「花瓶の花」(Vase with flowers)1943年
ピカソは、シュルレアリスムの提唱者とコンタクトを取っていたようです。シュルレアリスムとキュビスムの融合作品かもしれないです。
ポーランド衣装のクロード(Claude in Polish costume)1948年
この絵のクロードは、ピカソのその時の愛人(フランソワーズ・ジロー)との間に1947年に生まれた男の子ではないかと思います。
ピカソ61歳、フランソワーズ・ジロー21歳の時に愛人となったようです。
フランスワーズ・ジローは画家志望の学生だったようです。フランスワーズ・ジローの描いた絵もピカソ美術館にありました。
「読書する二人」フランソワーズ・ジロー1950年
「クロードのいるガーデンテーブル」フランソワーズ・ジロー1952年
この頃のフランソワーズ・ジローはピカソに画風が似ているように思います。
ピカソは、フランソワーズ・ジローとの関係は10年で終了し、次の愛人はジャクリーヌ・ロックだったようです。(1953年ピカソ71歳、ジャクリーヌ・ロック26歳)
「ジャクリーヌの肖像」1957年
後にジャクリーヌ・ロックとは結婚してピカソとしての生涯をまっとうしたようです。
■ラス・メニーナス
ラス・メニーナスと言えば、ベラスケスの世界三大絵画の作品です。プラド美術館で見て、本当に感動しました。
ピカソは晩年ラス・メニーナスをピカソなりにコピった絵を何枚も描いています。それらがピカソ美術館にありました。先日、マドリッドのプラド美術館で見てきたばかりだったので、結構、驚きました。
「どひゃ~!!」って感じで(^_^;;
「ラス・メニーナス」1957年
「ラス・メニーナス」1957年
ラス・メニーナスをピカソ風アレンジしたと言うことかな。これがキュビスムなのでしょう。
王女マルガリータの向かって左で水を捧げている女官(マリア・アグスティナ・サルミエント)、ピカソらしく描かれていますね(^_^;;
■晩年
「作業中の画家(Painter at Work)」1965年
ピカソ84歳、最後までピカソ流の絵を追求していたように思います。最初からキュビスムを目指したのではなく、10代の頃のあの写実的な素晴らしい絵が描けたからこそ、キュビスムを極められたのではないかと感じました。
好きな絵を描いて、愛人も次々と現れ、きっと幸せな人生だったでしょう。








































