先日、趣味の音楽サークル(みたいな会)の帰り、久しぶりに同年代の
お友達と2人で少し話す時間がありました。
彼女とはもう長い付き合いで、少し先輩なのですが、お子さんは現在中1。
ママ友じゃなくて、あくまで音楽つながりのお友達なので、子供のことは
たまに話す程度でした。
息子の不登校のことは以前話したことがあったのですが、久しぶりに
「まだ不登校なのよ、いちおう通信制高校に行くことになってるけど、
どうなるかわかんないわ」という風に説明。
で、「〇〇さん(←お友達)のお子さんは、公立にいってるの?」と
何気なく聞くと、なんと! このあたりでは一番偏差値の高い中高一貫の
私立中に進学したことが判明!!
優しい方なんで・・きっと私に遠慮して言えなかったんでしょう・・。
「いいねえ、うらやましいわ」と話すと、「でも、いろいろ変わってて
大変なのよ」という。
「変わってても、学校に楽しくいってるんだったらいいんじゃない?
しかも、そんなエリート学校!」と素直な気持ちを話しました。
とにかく遠慮深い方なので、自慢オーラもゼロ、嫌な気に全くさせない方
(しかも楽器が超うまい!大好きなお友達)だけに、かえってなぜか
凹みました。
お友達に「学校に行けなくなったのは、勉強が原因?」とか聞かれた
のですが、、不登校の世界を全く知らない彼女に、どう説明してもきっと
わかってもらえないだろうな、と思って、「さあ・・なんなんだろうね~」
と濁しておわりました。
何度もいいますけど、ほんと思慮深い方なので、それ以上聞いてきません。
「どうせ話てもわかってもらえない」 ・・ひねくれてるな私・・って
つくづく思い自分が嫌になりました。だから凹んだんでしょうね。
子供が不登校になってから、ひねくれたものの見方をすることが多く
なってしまいました。 言い換えるとやはり私は、息子のことを受け入れて
いないのでしょうか。
しかし冷静になって考えると、もしかしたら彼女だって、私には理解
できない何かを抱えているかもしれません。
つまり、人と人はお互いを完全に理解しあうことはできないし、理解
してもらおうとすること自体が無理難題なのだと思う。
程よい距離感で、程よく社会と交流し、自分自身を見失わないように
しなければならないなと感じました。