これは浪人生が大学生になるまでの大学受験記録です。
関心のない方は通り過ぎて下さい
さて、
出願から共通テスト辺りのお話です。
チューターさんとの三者面談
出願を目前に控えた12月半ば、予備校チューターさんとの面談がありました。
「二者面談」と「三者面談」が選べるのですが、親としては当然三者面談一択
です
本人が作成したプラン表をもとに話が進みます。
初秋あたりから成績が上がりだし、志望校群でいうところの第二群大学はA判定が出るようになっていました。
が、
チューターさんからは、「夏までの成績と秋以降の成績の幅が大きいので、第三群大学や第四群大学も受験をするよう」勧められました。
当然のことです
何が起こるか分からない大学受験。
予備校さんが保険的な安全圏を受験しておいて欲しいというのは当然のことだと思います。
出願
チューターさんとの面談をもとに、最終的にプランを完成させます。
一般的&チューターさん的にも
「連続受験は多くて3日」
ですが、本人「大丈夫」といいうことで、最大5日連続も組み込みました
現役時代も行きたい大学の学部学科を変えたり、受験方式を変えたりなんかして結構な数を受験しましたが、浪人時代も相当な数を受験。
卒業校に依頼した調査書の数だって相当です。
当然、受験料も相当。
うちのような場合は、
数打ちゃあたる⁈
方式です。
(現役時は当たらなかったけど)
本人は、
行きたくない大学は受験したがらないのですが、
現役時代にそれを貫き→「全落ち行き先なし。」を経験をしているので、、、、
まずは本人が行きたい大学のスケジュールを埋め
↓
その後に私が第三郡&第四郡層の大学で日程が被らないところを調べて入れ込む。
↓
そしていざ出願
です。
共通テスト
そもそも現役時も浪人時代も私大のみしか受験していませんが、共テ利用を目的として2年とも受けています。
■現役時(理系)
通っていた高校の近くにある理系国立大学が受験会場。
数学が大波乱を起こした年です。
当然のことながら、御多分に洩れずにーちゃんも撃沈
■浪人時(文転)
うちからそんなには遠くない国立大学が会場でした。
英語の途中で気分が悪くなったらしく
「何度も手を上げようかと思った。」
そうなのですが、なんとか持ちこたえたそうです。
それが原因とは決して思いませんが、文系での共通テストも悔いが山ほど残る結果となりました。
予備校の共通テストリサーチに出さなかった程、本人は沈んでいました。