二葉亭四迷「平凡」を、畑有三編「作家の自伝(1) 二葉亭四迷ーー予が半生の懺悔、平凡」(日本図書センター、1994年)に収録されたもので読んだ。
「平凡」は、1907年(明治40年)に東京朝日新聞に連載された四迷の自伝的小説である(畑・解説)。主人公は39歳に設定されているが、執筆時の四迷は43歳、亡くなる2年前である。
四迷は23歳にして「浮雲」を発表して新進作家として注目されたが、その後「文学は男子一生の仕事に非ず」と言って筆を折って文壇からは離れてしまった。その後は中国大陸で事業を起こして失敗したりするなどした挙句、「平凡」執筆の当時は大阪朝日新聞の社員として、ロシア語、英語の新聞記事を翻訳するなどしていた。「平凡」執筆後は露都特派員としてペテルブルクに滞在したが、1909年(明治42年)、ロシアからの帰途、インド洋を航海中の船内で肺結核に肺炎を併発して45歳で亡くなっている。
四迷の小説は「浮雲」「其面影」と「平凡」の 3作品しかない。
という二葉亭四迷の「平凡」だが、これが極めて読みやすく、しかも話の中身が面白くて一気に読んだ。
旧仮名遣いではあるが、漢字は新字体に改まっていて難読の漢字には振り仮名がかなり多めに振ってある。筑摩書房版「二葉亭四迷全集」を底本にしたとあるが、筑摩版の全集自体がこんなに読みやすくなっているのだろうか。
日本や世界文学の古典の何冊かを、1960年代までの岩波文庫や新潮文庫などの原文を尊重した(旧漢字、旧仮名遣いの)旧版で読まされた者としては隔世の感がある。当時比較的若者向けに編集されていた旺文社文庫でももっと読みにくかったような印象がある(永井荷風「ふらんす物語」など)。言文一致体の二葉亭に特有の読みやすさなのか、岩波文庫の「浮雲」に比べても今回の「平凡」は読みやすかった。
どう面白いかと言うと、「平凡」は、明治期の青年の自伝小説であるが、家族小説であり、青春小説であり、恋愛小説であり、ユーモア小説であり、明治の東京を描いた風俗小説でもあり、筆致には江戸の戯作の雰囲気もある。
書き出しから人を食った書きっぷりである。
平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するのだから題名は「平凡」と即決した、昨今は自然主義とか言って作者の経験した愚にもつかぬことをありのままに牛の涎のようにダラダラと書くのが流行っているから、 「平凡」の書き方も「牛の涎」式であると宣う(130頁)。
「平凡」の主人公は39歳で、役所勤めの暇に翻訳の内職をしながら、倅が中学校を卒業するまでは勤め上げたいと思っている小役人に設定されている。
書きはじめの生い立ちからして型破りである。父母ら家族の思い出を1ページ足らずで簡単に紹介した後に、父母らの数倍のページ数を費やして、幼少期に拾ってきた捨て犬ポチとの出会いと別れを書くのだが、この部分は立派な動物小説になっている。わが家では孫が小学生の頃に、夏休みの課題図書に指定されていた「山のちょうじょうの木のてっぺん」という本を買い与えたことがあった。これが少年と飼い犬との悲しい別れの話で、心優しい孫の心を痛めさせる結果になってしまったのだが、「平凡」の四迷少年とポチ(犬)の別れも衝撃的かつ感動的である(151頁~)。
自伝小説ではあるが、青年時代の四迷にとって肝心の、外国語学校でロシア語を学んだことはなぜかすべて省略されている。
某県某市(四迷本人だとすると名古屋か松江)から上京して、叔父宅に居候して書生同然に家事万般を手伝わされながら、錦町にある夜学の某私立法律学校(明記していないが四迷が通ったのは「専修学校」現在の専修大学である)で法律学を学んでいた頃が描かれる(185頁)。叔父の家は招魂社(後の靖国神社)の裏手と書いてあるから、現在の富士見町(当時も富士見町だった)あたりだろう。
貧しい実家から僅かの仕送りを受けながら東京で質素な生活を送ってはいるが、あまり熱心に勉強している様子ではない。主人公はもともと学校など無意味だと考えていて、ただ東京に出るためには学校に入ると言わなければならなかったので、学校に入っただけである(166頁)。法律学校を選んだのも親戚に法律学校を出て優雅な暮らしをしていたのがいたからに過ぎない(170頁)。
勉強は熱心ではないが、女性への関心が強いことは「浮雲」の内海文三と同じである。同じ四迷の分身なのだから当然か。
奥手で引っ込み思案ですぐ赤面する恥ずかしがり屋でいながら、女性に接近する(もっと言え関係を持つ)機会を伺いつづける様子は滑稽で、恋愛小説というよりはユーモア小説に近い。主人公の妄想を描いたシーンなどは明治時代にこんな描写が許されていたのかと驚くほどである。誇張されてはいるが、主人公のこの気持ちは多くの思春期の内気な少年が経験するところであろう。ぼくも大いに共感できた。
まずは居候先の娘(従妹)の雪江さんに惚れる。「浮雲」の文三と同様に恋は盲目、痘痕も笑くぼである。書生扱いされながら叔父の家を出ないのは雪江さんと離れたくないからである。
襦袢の袖から二の腕どころか腋の下まで見えそうになったと興奮し、乳首の色は薄赤くなっているだろうかなどと妄想する(200頁)。そして彼女が自分の妻(さい)でもなければ情人(ラヴ)でもない、そんな関係(どんな関係なのか?)になることを夢見て恍惚となるのである。雪江さんが座った座蒲団へのフェティシズムなどは、四迷が嫌った自然主義作家、例えば田山花袋「蒲団」と同じではないか。この辺りは明治のポルノ小説と言えなくもない。
それでいて妄想から醒めると、性欲と理性との葛藤に苦しむところが永井荷風などとは違う四迷らしさである(204頁)。
雪江さんの他男との縁談が決まると、主人公はさっさと叔父宅を出て下宿に移る。諦めがよいと思いきや、雪江さんが不幸な結婚生活を送っていないか、離婚にでもなれば自分にチャンスがまわって来ないかと嫁ぎ先の様子を伺いに行くなど、今だったらストーカー規制法で御用の行動である。
その可能性がないと悟ると、今度は新しい下宿先で知り合った家主の遠縁の出戻り中年女のお糸さんに恋をする。病気の父親に仕送りするつもりだった金まで彼女に貢いでしまう。父危篤の電報が届いた時には、帰省する汽車賃もなく金策に駆け回るが、結局父の死に目には会えない。
やがて小説を書くことになるが出版社に伝手がない。そこで根岸に住まう老大家を訪問して(誰だかは書いてないが、幸田露伴が「根岸党」という集団の一員だったというから露伴か? 四迷の師匠は坪内逍遥だが)、批評と出版社への紹介を依頼する。老大家は役にも立たない批評しか述べないが、老大家に紹介された出版社が作品を雑誌に載せてくれることになる。雑誌が発売されるや、嬉しくて書店で買い求めてむさぼり読む。谷崎潤一郎にもそんな場面があった。自分の処女作が載った中公だか改造だかを書店で買い求め、神保町の交差点を歩きながら読んでいた。
主人公は筆で生きてゆくことを決意して、必死になって書いて書いて書きまくる。当時すでに「文壇」が形成されていたようで、老大家とは縁がなくなったが、文壇とは交わりをもつ(218頁)。そのうちにある作品が評価され(「浮雲」だろうか)文壇に確たる地位を得るのであった・・・。
父を喪ったのち、母の願いで妻を迎え子ももうけたが、やがて母も父の後を追って亡くなる。自分は元来実感の人であり、文学はいかに現実を写しとったとしても本物の影であり空想の分子を含む。現実の人生や自然に接したような切実の感じは得られない。ところが最近の文壇は・・・と書きかけたところで「平凡」は終わっている。
広津和郎が二葉亭四迷を評価したのは、地に足をつけて現実の人生から離れないこの姿勢であった(広津「二葉亭四迷」講談社日本文学全集系「廣津和郎・宇野浩二集」所収。ただし本は図書館に返却してしまったので正確な引用ではない)。四迷の「条理」観には、たしかに広津の倫理観と相通ずるものを感じることができた。
2026年 2月 2日 記














