君らしい人生
今日28歳になりました。無事2013年を終え、歳を重ねられました。
若干28年の人生にも小さな壁、大きな壁があって、超えたり迂回しながら進んできました。去年が「ひとつ人生の一区切りかなぁ」という気がして、年末はなんとなく自分の人生(というにはまだ薄っぺらいものですが)振り返ったりもしていました。
先日ゲッコーカフェさんで開催された江崎満さんの展示を見に行ったとき、ご本人とお話しました。なんとなくした私の質問から江崎さんは版画と出会う前から今のまでの暮らし、生き方を話してくれました。私の2倍近くの歳の、その人が語る「生きてきた人生」を聞きました。
私は江崎さんの歳の頃、今を振り返って何て思うかな・・・。
帰り際にふとした言葉から、私の事を話しました。インドに出会う前から今までの、ここ数年間の事。
「インドを仕事のしたいのは、発展途上の国の貧しい人のためにどうとか、インドの素晴らしさをどうとか~ではなく「インドにまた行きたかった」」から。
一番シンプルな言葉にするとそれだけ。大いなる志でもなくて、ちょっと後ろめたいような気持ちで言ったその言葉に江崎さんは「それを続ければいい。そしたら君らしい人生になる」と言ってくださったことが、とてもとても印象に残っています。
今はまだ「私の人生」の途中。私もいつか自分の人生をしっかり語れる日がくるまで・・・。
2014年もちゃんと前を向いて、自信をもって自分を重ねていこう、と思いました。
こんなワタクシですが、皆様、どうぞ、よろしくお願いいたします^^
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江崎満作品展
ゲッコウカフェさんで開催中の江崎満さんの作品展を見に行った。
楽しみにしていた展示で、見るまでは「ドキドキするかな?」と思っていたのだけど、ドキドキじゃなかった。
版画はカラフルで華やかだったり、ラインが美しくにぎやかな版画なのに、なぜか心にはとても静かに平和に響いてきた。
植物や動物、人間を超えたイキモノ全体の宇宙が描かれているような印象。
大作の睡蓮の版画の前に座っていると、自分という人間が、宇宙の中で小さな生き物であるように感じた。大きなものと対峙しているかのような。
在廊されていたご本人に直接お話を聞けたのだけど、とても真直ぐな人。ご本人の言葉を借りていうなら社会で生きていくための「仮面」を一枚も持たない人、といった印象。
自分よりあまりに大きな存在すぎて、どんな文字、どんなコトバにすればいいのか、すごく迷っているんだけど、この原画展のすごさを伝えたい。
印刷されたものでは決して伝わらないものがある。
たくさんのコトバを使って書ききれるものではないので、このくらいに。
興味があるかたはぜひいってみてほしい。
武生のゲッコウカフェさんで12月23日まで
ゲッコウカフェ
12:00~19:00
今日という日
「今日という日を一生忘れない」そう思えることがたくさんあるって、きっと豊かな人生なんじゃないかな。
幸せいっぱいで「今日の日を一生忘れない」と思う日も、くやしくって「今日の日を一生忘れない」と思ったとしても。
まぁ今回は後者の方なんだけどね。
「わたしの人生豊かなはずだ!」なんて言いながら「よし、次いこう。」と笑うのだ(笑)
それはかつてあった
母から生まれ
育てられ
家庭や学校で学び自分が出来ていく
やりたかったこと
できなかったこと
好きだったこと
キライだったこと
ことを重ね
自分を創っていく
輪廻をちょっとだけ信じる自分がいる
前の自分はどんなことを重ねて生きたんだろう
どんな死に方をしたんだろう
そして10年後の自分
20年後の自分
30年後の自分
40年後の自分
50年後の自分
60年後の自分
70年後の自分?はもう死んでいるのだろうか
大事な人たちの10年後
20年後
30年後
40年後
50年後
60年後
70年後
80年後
90年後
100年後・・・
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それはかつてあった
17人の出演者が「自分は~~だ」「自分は~~だった」と自分を語っていく
それは目の前に居る人の「人生」が「コトバ」になったもの
舞台の演出のひとつに、17人の「人生」がいっぺんに同時にテレビのノイズのように語られる場面があったけれど、受け止めきれないほどの「人の人生」が会場を飛び回っているようだった。
「あなたは?」とずっと問われているようだった。
生きること、死ぬこと、生物としてあたりまえで逃れられない死までの時間。
あたりまえなのに、ぼやっとした命の感覚。
それをしっかりと意識させられた舞台。
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客席がステージだったり、出演者がお客の中から現れたり、急勾配の客席を使った表現、地域の人たちが出演するということも・・・、未知への好奇心で見に行ったのだけど、すごい舞台だった。
地域とアーティストとの共同制作舞台「それはかつてあった」
http://geibun.info/syusai2013/index3-2.html
コラボレーション
ここ近年、いろんなところで「コラボレーション」という言葉を聞く。
身近なものづくりのフィールドから、日本の大手ファッションメーカーや海外ブランドまで、よく聞く「コラボレーション」という言葉。
個人、メーカー、ブランドはそれぞれに技術や創造力、コーディネート力、発信力を持っていて、自分の力と相手の力があわさって、いつも以上のよいものが生まれる。「よいもの」って何か、というのは、まだ明確にコトバになっていないから、また今度。
でも本当の「よいもの」が生まれるコラボレーションは、お互いが同じくらいの力のバランスで、お互いの持ち味を延ばせる相手だった時こそ、生まれるものだと思う。安易に特徴×特徴では全然面白くない。
巷で見かける「コラボレーション」には、どちらかが大きなものに乗っかって、自分を大きく見せているような・・・そんな印象を受けることがある。すごいメーカーやブランドなのに残念。
(※絵に意味はないよ・文字ばっかりなので、ちょっとイロドリを(笑))
そんなことを考えながらいると、ふと思った。
自分こそ、そんな変なコラボレーションがあるかも・・・。
今年からスタートしたdesign labo chica、自分の感覚では今年はまだ準備期間。
コンセプトだって、まだしっかりした文章にはなっていない。「人」「手仕事」「暮らし」「自然」の4つのキーワードのまま。あせって決めても後から苦しくなるので、進みながらキーワードが文章になるのを待ちます。
コンセプトが固まっていないのは、自分がdesign labo chicaの持っている力を把握できていないからだと思う。「どんなことをやっていきたいか」、は見えてても、自分には「どんな力があるか」なんて、正確にわかっている人なんて、なかなか居ないんじゃないかな(そんなの私だけ?(汗))。
design labo chicaとしてインドで作ってきたものを紹介した「インドの手仕事展と木版ワークショップ」で、自分は「インドのイメージ」や「木版職人さんの手仕事」とコラボレーションしたと言えるんじゃないかな。
どちらも、design labo chicaにとってキーワードではあるけど、それに乗っかっていたような・・・。
進んでみてわかること。私は先の先まで読んで進む力はないから、進みつつ振り返って気付いていくしかない。
あの時の私には自信なんて無くって、自分の力を把握できていなかった。もちろん今自信満々!で、自分のコトが分かった!ってことじゃないけど(笑)
ちょっと脱線したけど「コラボレーション」について。
自分はまだまだ!な自覚をもっていて、安易に「一緒にやりましょう!」なんて言えない立場なんだけど、来年いや、正式発表するのは再来年かな、design labo chicaに「コラボレーション」のお話を頂いた。
同じくらいのバランスか?と考えた時、明らかに今の私は力不足。背負ってるもの、持ってる力、それを存分に発揮する力・・・。
お話を頂いて「ステキですね!やりましょう!」なんて即返事したけど(笑)、あと一年、自分はどれだけ伸びられるか。今日家で仕事してて、途中お昼寝しちゃったけど、ほんと、怠けていられない(笑)
誰かの本で読んだけど、「目の覚めるようなコラボレーション」にしたい。


