簡単に自分の人生を
振り返ってみたいと思います
※私のプロフィールはこちらです。
スピードを重視するので、
つたない表現が多くなるかもしれませんが、
お付き合いいただければ嬉しいです
それでは、はじまりはじまり~
海と山と田んぼしかないような
日本のド田舎の港町に
次女として生まれました
ガイドブックで
紹介されているような観光地ですが
今はバブルの時代ほど
栄えていないと思います
ゴルフ場の近くに建てられた
当時のペンションなどが
数多く残っています
母は夜勤もこなす看護師
父の仕事は室内装飾関係だったと思います
父はいわゆるマスオさんで
母の実家に祖母と父
それから姉と私の5人で暮らしていました
父の実家は貧しかったそうです
父の両親は離婚し
母親代わりに
育ての親という人がいました
血はつながっていませんが
私のおばあちゃんであるその人と
お盆やお正月には
一緒に食事をしたことを覚えています
父の実の母は再婚したそうです
ある宗教団体に入信している家に
嫁いだそうで
何年か前に父に連れられて
共同墓地に初めて
お墓参りに行きました
大変綺麗な人だったそうです
姉を抱っこしている写真が
残っていますが
私が生まれる前に離婚しているので
私は抱っこされたことはないようです
母は体力仕事で家にいる時は
寝ていることが多く
子育ては放任主義
男っぽく
サバサバしています
実際父よりも収入が多かったです
父は真面目で神経質
井上陽水や谷村新司
矢沢永吉などの音楽が好きで
よく家の中でも歌っていたことを
覚えています
怒ると大きな声で怒鳴ることが
ありました
姉は超ゴーイングマイウェイ
周りのことなんか気にせず
自分のしたいようにする人でしたから
父が怒鳴っていても
全く気にせずにいました
一方私はといえば
2歳の頃祖父が病気で入院する際
始めて託児所に預けられた時
部屋の隅から動かなかったという
エピソードがあるくらい
大人しく控えめな人だったので
父の怒った声は恐怖でしか
なかったのです
子どもの頃はずっと
自分の親のことを
子どもへの接し方が
下手な人たちだなと
思っていました
そして
この家は
私の家ではない
ここは自分の居場所ではない
そう思っていました
なぜそう思うかと聞かれても
答えられないのです
しかも
こんなことを口に出すと
”不思議ちゃん”認定
されてしまうので
(実際されていましたが・・・
1番多いのは天然・・・
宇宙人は1回だけです・・・)
思っていても言わないように
していました
そしてこの
”なぜかわからないけどこう思う”
みたいな感覚は
大人になっても
続くことになります
つづく
次回はまめ子の最初のお友だちが
登場します
懐かしさを感じながら書きたいと
思います
まめ子
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