前回に両親を「クソミソ」と表現しましたが、間違ってはいない表現ではあるものの、このままには出来ない細かなことがあります。
私は弟を思うと特に両親を「クソミソのアホンダラ」に見る傾向がありますが、しかしその「クソミソのアホンダラ」は私の主に精神面の成長には必要な「クソミソのアホンダラ」だったと、現在は認識しております。
ずーーーっと以前に他のブログ(だったと思う)でも書いたと思うのだけど(いや・・・ここで書いたんかな?思い出せんw)子供の頃の私は自分で考えようとしない子でしたから、悩み事が発生する度に主に母に相談して、母が言ったことを鵜呑みにして実行して失敗する、これまたボンクラお子様だったんですね。
しかも無口だけども頭の中は能天気だったもので、なかなか懲りない。
ようやく母の言ってることは何かおかしいと思うようになったのが10才の頃。
とあることがあって子供心にやっと母の言ってることは、まず人としてとんでもない・・・と気づいたのです。
そう気づいたとき、これからは父母を当てにせず自分で考えて自分で結論を出さねばならないんだな・・・と思ったときの心細さを今でも覚えています。
でもそれって人として生きていく上で、自分の足で自分の力で生きていくための基本中の基本なんですよね。
それが分かったのは何十年か後なので、そうしたことが理解して飲み込めるまでは悩んだし親も責めました。
でもいろんなことが分かってくるとね、私の親の「クソミソのボンクラ」加減って私の成長には必要なものだったんだ・・・と思うわけです。
丁度程よい加減だったと言っていい。
我が子を病院送りにしたり、暴力的に支配したりするバカ親でなくて幸運だったとすら思う。
(父は殴るふりをして脅しましたが「殴ったら?」と私が睨んだら止まるほどにはブレーキもきいた)
理性ぶっとんでボコボコにする親も存在するなかで、そこまで狂ってはいなかった。
なので、私はこれでも両親に感謝してるんです。
ただ事実を装飾する気がないので親のことを語るときは、どうしても貶しているように聞こえてしまいます┐('~`;)┌