この「読む動画」のお母さんはちょっとドジなお母さん。
でも、こんな可愛らしいお母さんも世の中にはいるんだなと我が身を振り返る。
私の母は多分、今ならDQN親と言ってもいいかも知れない。
腹の中で舌出してても、笑ってニコニコしてたら誰とでも仲良くなれると子供に教える親だった。
学校の定期などを使った「キセル」を生活の知恵なんぞと子供に吹き込む親だった。
居酒屋で出会った見知らぬ男性に娘のバイト先や家の所在を教えるような親だった。
一体私の母はどんな育ち方をしたんだろう?(母方は一応、武家の先祖なんだが…)
自分をよく鬼子母神に例えていた。
我が子の為なら何でもする・・・とか。
そのせいか、鬼子母神のこと何も知らなかったけど鬼子母神が嫌いだったw
幼少時は母の心無い言葉で地面に減り込むような思いで育っていた。
私は自分が人に愛されるわけがないと本気で思っていたし、自分のような子供は誰から嫌われても仕方ないんだと、本気で思っていた。
まだ訳の分からなかった頃は地面に減り込むだけで済んだけど『親だから正しいことを教えてくれるとは限らないんだ・・・。』と思うようになった頃には、だんだんと親を軽蔑するようになっていってた。
父には8歳で心の中の信頼を失くしていた。
母には多分、10歳ぐらいで『こりゃダメだ…。』になっていた。
そこから徐々に親を軽蔑するようになっていく。
しかし・・・軽蔑しながらも、愛されたいと望む自分が常にいた。
私は口が重いこともあってか、あまり両親と意思疎通が出来ていなかった。
姉や弟のように思ったことを何でも口にできる性分ではなく・・・思ったことを日本語に変換するのに苦労していた子供だったw
心の中には混沌とした「思い」はあるものの、それに合致する言葉を見つけるのに手間がかかった。
それはそのまま母をイライラさせるだけであったので、成長するに従い親には何も話さなくなっていった。
思春期の頃、よく思っていたのは
信じさせてよ!
愛させてよ!
だった。
厳密に言うと
愛したい、愛されたい
信じたい、信じられたい
だった。
そうした心の葛藤は、随分長く続いたと思う。
結婚したのちまで、ずっと引きずっていた。
でも、ある時気付いた。
この親だったから私は『自分で考える』ということが身についたんだ。
反面教師としてしか見られなかったけれど、私の生来の能天気ぶりを考えると、そういう反面教師が必要だったかもしれない。
本当に自分で考えるという事をしなかったし、言われたままを軽く「そっか。」と受け止めて、そのまま実行する子供だった。
あのまま何の疑問も持たずに育っていたら私もかなりのDQNだったろう。
何故か『あれ?おかしいぞ?』と思うことが出来たのは本当に幸運だったけど、それ以前の自分の何も考えないアッパラパーな様子を思い出すと、いろいろ考えさせてくれる親であった。
多分、私が成長するために必要なものを与えてくれた親だったと思う。
良いことも悪いこともひっくるめて、私の心の成長に必要なものを与えてくれていたのだと思う。
なので、ドジで可愛らしいお母さんは大変羨ましいけど(笑)、あの親無くして今の自分はないのだとも思える。
本当に私に必要なものを与えてくれていたのだと思うと感謝の思いが湧いてくる。
良いものだけを与えるのが親じゃないんだ。
「親ならばどうの」ってのも本当は『甘え』でしかないんだ。
自分はその中から何を拾うのか・・・それが大事なことなのだと思う。
私はこの親から健康な体と「考える」という力を貰った。