前記事で戦後ゆっくりと毒(思想)を盛られてきた話を書きましたが
具体的にはどんな形で表れてきているのか?
この動画をご覧ください。
緊急車両が来ても知らん顔の日本人(|||_|||)
信じられませんo(;△;)o
これ東京だそうですが、私が東京にいたころは
こんな光景見たことなかった!!!
年々日本人が精神的に劣化していっているということです!
私が東京にいた頃のエピソードをいくつか書きます。
一つは、これは芝公園の端っこのあたりのとある交差点でしたが通勤途中に見た光景。
その交差点に差し掛かると信号が故障しており、まったく役に立っていませんでした。
・・・が、まったく混乱することなくある程度車が交差点を渡ると
自発的に止まって反対側の車を通してあげていました。(それに伴って歩行者も渡ることが出来た)
警察の誘導も何もなかったけど、ドライバーたちは互いに譲り合って
我先にという行動をする人は一人としていなかった。
なので信号故障にも拘わらず渋滞すら起こってませんでした。
これは都営浅草線の中のエピソード。
仕事帰りというか、ちょっと寄り道して遅い帰りだったのですが
私の降りる駅(西馬込駅)は終点で、五反田で大勢降りてしまうので電車内がガラガラに空いていました。
気がつくと私のいる車両に新聞紙が落ちていて
それが窓から入る風に煽られてふわりふわりと舞いながら車両内を後方から前方へ
前方から後方へと漂っていました。
最初は纏まっていたのが、だんだんバラけてきて幾つかに分かれ、かなり気になっていました。
私は拾うかどうしようか迷いながら、車両内を漂う新聞紙を見ていました。
同じ車両内には5~6人の人が座席に座っていて、拾うことは別に嫌でも何でもないのですが、
その車両内の人たちの目が気になっていて行動になかなか出すことが出来ませんでした。
つまり、恥ずかしかったわけですε=(///ω///)=33
拾った後もその場から去れませんから躊躇していたわけです。
で、終点についたときに新聞紙を拾うことにしました。
そして終点についたとき・・・私は勿論拾いましたが
その車両にいた人たちが真っ先にしたことは
皆がバラけた新聞紙を拾い電車を降りていくことでした。
私は一人でかき集めるつもりでいたのですが、その必要がなかった(*^o^*)
みんな同じようなことを悶々と考えていたんだな~と思って嬉しかったです。
そして、これは通勤時のことですが始発駅でも朝は結構混むんですよね。
西馬込駅から五反田駅までの間にギュウギュウになります。
そしてギュウギュウになって五反田駅につき、ドアが開いたとたん
ドアのところに立っていた女性が仰向けに倒れました。
(女性はドアに背中を向ける形で立っていたんですね)
「あっ!」と思った瞬間、素早く何本かの背広の腕が伸びて女性を助け起こし
誰もが何事もなかったかのように五反田の改札への階段を上がって行きました。
みんな知らん顔しながら、温かいな~と思いました。
これ10年ぐらい前のエピソードです。
今はどうなんでしょう?
上の動画観て悲しくなりました(ノ_・。)
私は東京でも大阪でも自転車の移動が多かったのですが(普通免許持ってない)
大阪では今や通勤も自転車。
東京では地図を見て電車で行くより自転車で言った方が早いかも~と思うところへは
休日など遠乗りしていました。(遠乗り用と買い物用の2台持ってた)
そして自転車から良く見かける光景は・・・私の感想では東京も大阪も大差ない。
道を歩く人がボンヤリ歩いていることが多かった。
多かったというか、今も毎日通勤時帰宅時見かけますが
今だと歩いてる人だけでなく自転車こいでる人も亡霊に見えるんです。
ぼんやりしてる。
周りの状況を見ていない。
自転車で特に多いのは狭い道から広い道へ出るときノンストップで飛びだす馬鹿。
走行中の乗用車の前を左から右に同じ方向に走りながら渡っていく馬鹿。
自分がスーパーマンか超人にでもなったつもりか?と思いながら冷めた目で見てます。
あれで車とぶつかったら運転者の不注意を責めるわけだけど
私が目撃してたら絶対に証言してやると、いつも思っています。
日本人は長年毒(物質主義・個人主義という名の利己主義)を盛られてきていますが
これらの毒は自分がよく考えたら消せる毒です。
思考することをやめたらドップリですが、物事の善悪・道理・自分と人との関わりなど
きちんと考えたら自分で抜け出すことできる毒なのです。
考えることをやめたとき
私たちはただ食べて呼吸するだけの魂が死んだままの生物になってしまうと思うのです。
生きたまま浮遊霊にならないでほしい。
具体的にはどんな形で表れてきているのか?
この動画をご覧ください。
緊急車両が来ても知らん顔の日本人(|||_|||)
信じられませんo(;△;)o
これ東京だそうですが、私が東京にいたころは
こんな光景見たことなかった!!!
年々日本人が精神的に劣化していっているということです!
私が東京にいた頃のエピソードをいくつか書きます。
一つは、これは芝公園の端っこのあたりのとある交差点でしたが通勤途中に見た光景。
その交差点に差し掛かると信号が故障しており、まったく役に立っていませんでした。
・・・が、まったく混乱することなくある程度車が交差点を渡ると
自発的に止まって反対側の車を通してあげていました。(それに伴って歩行者も渡ることが出来た)
警察の誘導も何もなかったけど、ドライバーたちは互いに譲り合って
我先にという行動をする人は一人としていなかった。
なので信号故障にも拘わらず渋滞すら起こってませんでした。
これは都営浅草線の中のエピソード。
仕事帰りというか、ちょっと寄り道して遅い帰りだったのですが
私の降りる駅(西馬込駅)は終点で、五反田で大勢降りてしまうので電車内がガラガラに空いていました。
気がつくと私のいる車両に新聞紙が落ちていて
それが窓から入る風に煽られてふわりふわりと舞いながら車両内を後方から前方へ
前方から後方へと漂っていました。
最初は纏まっていたのが、だんだんバラけてきて幾つかに分かれ、かなり気になっていました。
私は拾うかどうしようか迷いながら、車両内を漂う新聞紙を見ていました。
同じ車両内には5~6人の人が座席に座っていて、拾うことは別に嫌でも何でもないのですが、
その車両内の人たちの目が気になっていて行動になかなか出すことが出来ませんでした。
つまり、恥ずかしかったわけですε=(///ω///)=33
拾った後もその場から去れませんから躊躇していたわけです。
で、終点についたときに新聞紙を拾うことにしました。
そして終点についたとき・・・私は勿論拾いましたが
その車両にいた人たちが真っ先にしたことは
皆がバラけた新聞紙を拾い電車を降りていくことでした。
私は一人でかき集めるつもりでいたのですが、その必要がなかった(*^o^*)
みんな同じようなことを悶々と考えていたんだな~と思って嬉しかったです。
そして、これは通勤時のことですが始発駅でも朝は結構混むんですよね。
西馬込駅から五反田駅までの間にギュウギュウになります。
そしてギュウギュウになって五反田駅につき、ドアが開いたとたん
ドアのところに立っていた女性が仰向けに倒れました。
(女性はドアに背中を向ける形で立っていたんですね)
「あっ!」と思った瞬間、素早く何本かの背広の腕が伸びて女性を助け起こし
誰もが何事もなかったかのように五反田の改札への階段を上がって行きました。
みんな知らん顔しながら、温かいな~と思いました。
これ10年ぐらい前のエピソードです。
今はどうなんでしょう?
上の動画観て悲しくなりました(ノ_・。)
私は東京でも大阪でも自転車の移動が多かったのですが(普通免許持ってない)
大阪では今や通勤も自転車。
東京では地図を見て電車で行くより自転車で言った方が早いかも~と思うところへは
休日など遠乗りしていました。(遠乗り用と買い物用の2台持ってた)
そして自転車から良く見かける光景は・・・私の感想では東京も大阪も大差ない。
道を歩く人がボンヤリ歩いていることが多かった。
多かったというか、今も毎日通勤時帰宅時見かけますが
今だと歩いてる人だけでなく自転車こいでる人も亡霊に見えるんです。
ぼんやりしてる。
周りの状況を見ていない。
自転車で特に多いのは狭い道から広い道へ出るときノンストップで飛びだす馬鹿。
走行中の乗用車の前を左から右に同じ方向に走りながら渡っていく馬鹿。
自分がスーパーマンか超人にでもなったつもりか?と思いながら冷めた目で見てます。
あれで車とぶつかったら運転者の不注意を責めるわけだけど
私が目撃してたら絶対に証言してやると、いつも思っています。
日本人は長年毒(物質主義・個人主義という名の利己主義)を盛られてきていますが
これらの毒は自分がよく考えたら消せる毒です。
思考することをやめたらドップリですが、物事の善悪・道理・自分と人との関わりなど
きちんと考えたら自分で抜け出すことできる毒なのです。
考えることをやめたとき
私たちはただ食べて呼吸するだけの魂が死んだままの生物になってしまうと思うのです。
生きたまま浮遊霊にならないでほしい。