短期間に、大小さまざまなトラブルが続いたが、
正直に言うと先日の眼底出血は、
結構精神的ダメージが大きかった。
もう、心も視界も不安定な毎日。
唯一の安らぎどころだった読書も辛くなってしまい、
家事以外の時間は目をつむり横になって
テレビやラジオを聴いている時間が長くなった。
”安定期”という言葉が憎い。
私の中での、安定期の妊婦さんのイメージは、
旦那さんと夫婦2人きりではしばらく最後になる旅行を楽しんだり、
友達とランチやディナーを楽しんだり、
マタニティヨガ教室に通ったり、
マタニティフォトを撮ったり、
私がこれらに興味が有るか無いかは別として、
とにかくみんな楽しそうだった。
現にこれまで、そんな友人たちと幾度となく接してきた。
皆、便秘になっちゃって、夫にキレちゃって、と少し愚痴をこぼしながらも、
とても幸せな、輝かしいオーラが、神々しいほどに満ちていた。
それだけじゃない。普段は常識的なその友人たちなのだが、
そのとき、独身だった私に向かって
「まめも1年後くらいには、こうなっているといいね(^_-)-☆」
「まめは自分の子供にどんな名前つけるの?
...え~なんでぇ?子供好きでしょ!?
私これで3人目だけど、子供は可愛いよ~(^^♪」
などと言ってきたもんだから、もうびっくり仰天だった。
つまり、妊婦さんの安定期というのは
少し自己中心的な言動に走ってしまうほど
それにすら全く気が付かなくなってしまうほど
幸せなのだ!
周りが見渡せなくなるくらい
とにかく幸せなのだ!
というのが、私の中でのイメージだった。
それなのに、いざ自分が妊婦になってみると天地ほどに全然違うではないか。
ハッピーどころか、
(今日大丈夫かな.....)
(お願いします!今日も赤ちゃん無事でいてください)
と毎日毎日怯えている。
人と比べるのは意味のない事とわかっていながらも
どうしても比べてしまっては、悲しい気持ちになってしまう。
どうして自分は.....と、なってしまう。
上記に挙げた友人たちとは現在、連絡を取っていない。
本当に友達の少ない私だが、
それでも信頼を寄せる友達はいる。
18歳で上京し、就職したときの会社の同期である。
寮生活で、一つ屋根の下、共に過ごし、ともに切磋琢磨しあった。
思い出は数えきれない。
友達というか、家族でもない、それらを超越した存在だ。
今はそれぞれ遠方に住んでいて会うことは難しいが、
何かと連絡を取り合っている。
とはいえ、お互い干渉しすぎるわけでもなく
連絡はしたいときに、言いたいことだけ。
LINEの返信も、返したいときに、適度に適当に
というスタイル。
このほど良い距離感が、きっとお互い心地が良いのかもしれない。笑
そんな彼女とだけは、精神的に不安定になった今も、唯一自分から相談に乗ってもらったり、不安な胸の内を明かしている。
本当にお世話になっている。
彼女はもうすでに2児の母である。お母さんとしては大先輩だ。
きっと、今の私に対して、先輩としてもっと助言したいこと、言っておきたいことは山ほどあるに違いない。
しかし彼女は決して多くを語ることはなく、
その時その時の私の経過や状況に合わせて
その時その時に必要な分だけの助言や情報を提示してくれる。
「今」をやり過ごすのに精いっぱいな私の心情を察してくれ、
引っ張るわけでもない、背中をたたいて鼓舞するわけでもない
寄り添いながらそっと導いてくれる、ありがたい存在だ。
目が見えなくなった時も、様子見なんかせず速攻で眼科に行って欲しいと言ってくれたのも彼女である。
その件でお礼のLINEをする際、ついつい私はこんなことをつぶやいた。
「私が妊娠してから、いっつもこんな暗い系の話ばっかりで申し訳ない。安定期なのに楽しいマタニティ話が全然できなくて、毎回悩み相談室みたいになっちゃって、ごめんね。」と。
すると、返事はざっとこのような内容だった。
「安定期に楽しいマタニティなんて、本当に一部の順調な妊婦さんしかいないよ。私もトラブル続きで本当に辛かった。本当はみんな色々抱えて、母親になるんだよ。」と。
私は、ハッとした。その「トラブル」の内容は、ここに記すことは出来ないが、今元気に母親をやっている彼女からは想像できないほどのものだったので、本当にびっくりした。相当辛かったに違いない。多くは語らないけれど、実は苦しんでいたことを、本当は言いたくなかったであろう事を、私にわざわざ話してくれたのだ。
『辛い思いをしているのは、あなただけじゃないよ』
と、私に伝えるために。
序盤で、過去の友人たちを「周りが見渡せない」と表現してしまったが、
これまで、周りが見えなくなってしまっていたのは私だった。
狭い範囲の世界でしか物事を見ていなかった。
たまたま見てきた順調だった人たちに勝手に”標準”みたいなのを置き、勝手に自分を悲観視する材料にしてしまっていたのだ。
でもよく考えれば、いわゆるマタニティハイのような人たちも、実は不安でいっぱいな時期があったのかもしれない。
涼しい顔をしていていても、余裕そうな顔をしていても、実は人知れず悩みを抱えている妊婦さんは沢山いるのかもしれない。
私が今まで見えていなかっただけで。
本当はみんな、いろいろある。
気づかせてくれた、大切な元戦友。本当に本当にありがとう。
LINEの最後は、こんな一文で締めくくられていた。
”今辛い思いしている分、きっといい子がうまれてくるよ。”
最後に優しさも忘れない、彼女の深い思いやりに、画面越しに涙が止まらなかった。
そして今までの色んな思いがまるで昇華されるかのように、たくさんたくさん、あふれて止まらなかった。