久々! | @佐藤のメモ帳

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メモのように使っています。

やり方がよく分からねえ!
前は画像を添付したかったらメールでチマチマ送ってた
(画像添付用のアドが電話帳に入っとる)のに
アプリとかと一緒なノリで
「Amebaに画像やカメラ云々を許可しますか」
みたいなのが出たよ。
 
とりあえずうちの猫は相変わらずかわいい。
 
過去に菊千代も
同じ場所で同じようなポーズ取ってた。
 
そして関係ないけど(ちょっとあるけど)
先日スマホがぶっ壊れて相当パニくった。
久々に公衆電話使ったわ!
 
調べたらスマホのバッテリーは
3年くらいでヤバくなるから2年おき(早め)に
交換するプランがあるとか
壊れたらそのままお店に修理に出しても
中身まっさらにされて返されるから
絶対に普段からアプリやSDカード使って
バックアップ取っておくしかないとか
(民間データ修復もあるが確実ではなく賭け)
 
そこからさらに発展してGoogle Pixelはもう
「Googleフォトあるからそれでいいだろ」
SDカード入れることもできなくなってるとか…
もうわけが分からん。
いや分かるけど分かりたくないというか。
 
ガラケーの頃は
買ってから5〜7年間くらい当たり前に使ってたし
結構な惨事でもデータは取り出せたのに何なの…
出来ることと出来ないことが
一昔前と変わりすぎててついていけねえ…
店員さんから聞く話がいちいち衝撃的で
何だかぐったりしちゃった。
(店員さんはすごく良い人に当たって
 それが救いだった)
 
そしてスマホ疲れで
ガラケー(ガラホ)に戻した人、結構いるのね。
 
スマホからガラケーに戻した、私の3つの理由!
スマホ断ちして気づいたこと【みんなのスマホ】
https://mobareco.jp/a59066
 
『何もしない』ひとときを過ごそう|NHKラジオ
http://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/mnSnmre7I9.html
 
何か分かる気がする。

すぐ写真にできる「チェキ」が売れてたり

(スマホに対応してる進化版だけど)

あえてカセットテープで音楽を聞く人がいたり

大バズリってほどではないかもしれないけど

何かそういう便利さに対する"疲弊"

とも取れる動きがチラホラあるようで。

 

何でもそれに詰め込んでおけて

何でもそれ一台あれば済むって便利だけど

裏を返せばそれがないとビックリするほど

なんっにもできないんだよね。

 

あれば何かにつけて触るけど

逆になければ何をしていいかわからなくなる。

パンパンなようでスカスカの生活になる。

 

待つとか、書くとか、書き直すとか、

分からないことは勇気を出して人に聞くとか、

そんでお礼を言うとか、

映えなんか気にせず香りを嗅ぎ、味わうとか、

今考えても仕方ないことは一旦忘れて

眼の前のことに集中するとか、

そういう時間が実は結構大切で

それがスッポリ抜け落ちたような生活は

果たして豊かなのかなとか

そんなことを色々と考えたここ数日だった。

 

現在は違法とされている薬物も

元々は優れた鎮痛剤として重宝されていた、

という話を思い出したりもした。

危険性が認識され、その認識が広まり、

法の整備が進むまで20〜30年かかると。

 

"依存"も、手にしたその日にそうなったり

ある日を堺にそうなったりするわけじゃない。

少しずつ少しずつ割く時間が増えて最終的に

それなしの生活が想像もできない状態になる。

正常と異常の間にハッキリとした境界線はない。

 

自分が初めて携帯電話を持ったのが

2002年、10代の頃で

今のようにSNSはないものの

一応ニュースとかは読めていたから

誰でも簡単にネットを使えるようになって

20年以上経つことになる。

 

そうなる前と、後で、何が変わっただろうか。

人とモノとの付き合い方において

何がもたらされ、何が失われたか。

今手元にある便利な、異様に便利なモノと

適当な距離感をもって接しているだろうか。

そんなことを色々と考えたここ数日だった。

(2回目)

 

とりあえず放置していた腕時計に電池を入れて、

筆記用具・メモ帳くらいは持ち歩こうかな。