これ以降、私が五芒星の頂点として巡った神社を紹介していきますが、紹介する順番は五芒星を巡った順ではありません。 私が勝手に設定した「東京 五芒星神社めぐり」については「東京 五芒星神社めぐり(1)」からをご参照ください。
駒込 妙義神社
◎御祭神
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
◎相殿神(あいどのしん)
高御産霊神(タカミムスビノカミ)
神功皇后(ジングウコウゴウ)
応神天皇(オウジンテンノウ)
◎境内の末社
太田道灌霊社(オオタドウカンレイシャ)
御祭神 太田道灌公
妙義神社の大神様を終生の守護神として崇められていました。
今回 五芒星の頂点として参拝した神社の中では一番小規模な神社だと思います。けれども、お札購入の際に応対してくださった神主さんがとても気持ちの良い応対をしてくださったのと、辰の日にすごく素敵な御朱印と、勝守りをゲットできるのでまた是非行きたいと思いました。あと、非常に勝負運に強い神社様ということで、なにか人生の大事な局面で勝負にでるときに、是非ご祈祷お願いしたいと思いました。
近代的な鳥居と入り口
真新しい御社殿
※明らかに同じ敷地の摂社ですのでお参りしました。(識子さんの本を読んでないと意味がわからないかもしれないですが...)
また素敵な御朱印とお守りのことは公式サイトやとホトカミの「恵比寿さん」の投稿に詳細があります。(勝守りと絵馬の画像は公式サイトから、御朱印の画像はホトカミの「恵比寿さん」の投稿(https://myogi.tokyo/juyohin/omamori0-2
hotokami.jp/area/tokyo/Hkrmr/Hkrmrtk/Dykts/143893/98092/)よりおかりしました)
辰の日限定 御朱印
辰の日限定 勝守り
絵馬
御社殿はピッカピッカの新しいもので、ホームページを見ると氏子さんたちの協力で新築できたのかな? 地元の人々に愛されている神社だということがよくわかります。
そして公式ホームページを読むと実はとても古い1300年の歴史の由緒ある神社であることがわかります。赤坂日枝神社を勧進された太田道灌公との縁が深い神社なんですね。
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「新編武蔵風土起稿」※によると、最初に江戸城を築いた室町時代後期の武将 太田道灌は、文明3年(1471)5月、古河公方 足利成氏との戦に出陣する際、当社に参詣し、神馬、宝剣を寄進し戦勝を祈願しました。その時、近臣である樋口与三郎兼信と次のような連歌を詠んだと伝えられています。
雲はらふ この神垣※の風の音 (道灌)
草をも木をも 吹きしほり行 (兼信)
※「新編武蔵風土起稿」・・・文化・文政期、1810年から1830年にかけて編纂された武蔵国の地誌。
※神垣・・・神社を囲い神域と他を区別する垣。
道灌はこの戦に勝ち凱旋した際、当時の通貨である15貫文を社領として寄進しました。
その後、文明9年(1477)春、平塚城(現在の東京都北区上中里)を拠点とし関東管領上杉家に反旗を翻した豊島勘解由左衛門を討伐する際や(長尾景春の乱)、同11年(1479)春、室町幕府に造反した千葉孝胤を攻める際にも道灌は当社に必勝を祈願し、見事勝利を収めました。
当時、当社境内には稲荷山という小高い山があり、道灌は稲荷山に立ち豊島氏の平塚城を望みながら戦略を考えたのではと思われます。
この様なことから、当社は当時から「勝負の神様」「戦勝の宮(みや)」と呼ばれることとなり、人々よりあつい信仰を集めました。
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