考えごとのメモ:言葉について
ヘブライ語でモーセ五書(トーラー)のタイトルを続けて読むと「初めに荒野で呼ばれた名は言葉」。初めに=創世記荒野で呼ばれた=出エジプト記名=民数記言葉=申命記もしかしてだけど、ユダヤ人にとって、定冠詞つきの言葉といったら神の掟、律法と同じようなイメージだったのではない?(こうなると、金太のHNはぴったりってことになる。)ヨハネ福音書の冒頭…言葉は神と共におり、言葉は神であった。すべてのものは言葉を通じて創られた。言葉は命であり、命は光であった。このヨハネ福音書冒頭の詩は、そもそものところ、バプテストのヨハネの弟子たちの間で広まっていたものらしい。なので、この言葉は、イザヤ40章3節にあるように荒野で呼ばわったヨハネのことを表している。先にロゴスというものを人物に当てはめようとしたのはバプテストのヨハネの弟子たちなのだけど、「実はその言葉、光ってヨハネじゃないんですよ、イエスなんです」ということを書いたのがヨハネ福音書の冒頭。(これは田川訳の註に書かれていた。)新約聖書 訳と註 第五巻 ヨハネ福音書Amazon(アマゾン)6,380〜10,768円とりあえず、ロゴスが神の一人子で創造に関わったのだとか、三位一体を裏づけるのだというものではないのは確かだと思う。