以前書いたように、このブログを始めるきっかけになったのはガルジョンマーだったわけですが、ガルジョンマーっていつ頃から造られていたんでしょうねぇ。

 今回はそんなお話。

 

 

 米国の靴ブランド「ジョンストン&マーフィー」(Johnston & Murpy)、通称「ジョンマー」の商標権は米国ジェネスコ社が所有しているわけですが、日本においてはジェネスコ社とのライセンス契約のもとリーガルコーポレーションがジョンマーブランドの靴を製造していた時期があり、これをガルジョンマーと呼んでいるわけですね。私が名付けたわけではなく、某大手掲示板サイトで敬意をもって「ガルジョンマー」と呼んでいた人たちに倣っております。リーガルとジェネスコ社とのライセンス契約が切れたのは2008年頃らしいのですが、そもそも最初はいつだったのでしょうか。

 

 ガルジョンマーの歴史について調べていくと、チヨダシューズ株式会社の話を避けて通れないことに気がつきます。(私はこちらや、こちらを参考にさせていただきました。)

 

 時は大正13年(1924年)、東京都墨田区に千代田機械製靴株式会社という、紳士靴の製造販売を手掛ける会社が設立されます。昭和20年(1945年)3月、同社は疎開のため新潟県加茂市に新潟工場を設立。東京の本社工場は戦災により全焼してしまったようです。

 昭和26年(1951年)、その千代田機械製靴が、現ジェネスコ社との間で外資導入および技術援助契約を締結。ある意味、これが全ての始まりだったようですね。

 その後千代田機械製靴は、昭和32年(1957年)に社名をチヨダシューズ株式会社に変更。昭和46年(1971年)には日本製靴株式会社(現リーガルコーポレーション株式会社)との共同出資により販売会社を設立。そして昭和58年(1983年)6月、チヨダシューズはジェネスコ社と「ジョンストン&マーフィー」ブランドの技術援助契約を締結、同年12月から製造・販売を開始したようです。これによって、リーガルの店でジョンマー(チヨダシューズ製)が販売される、という状況が生まれていたものと思われます。

 

 平成6年(1994年)にジェネスコ社との「ジョンストン&マーフィー」ブランドの技術援助契約を解約、との情報もあります。チヨダシューズとジェネスコ社との間では、ジョンマー製造のライセンス契約だけは続いており、技術援助だけを止めたということでしょうか。もしかすると、チヨダシューズは、この技術援助契約の終了により、ジェネスコ社の指示を受けることなく独自に設計したジョンマーを製造することが許されるようになった、ということかもしれません。だとしたら、本国米国のジョンマーの品質が低下する一方で、日本で高品質なジョンマーが製造されることになったターニングポイントは、ここだったのかもしれません。


 平成12年(2000年)には、チヨダシューズがリーガルコーポレーションの連結子会社となります。おそらくジェネスコ社とのライセンスはリーガルが引き継いだのでしょう。そうだとすると、厳密にいえば、これ以降のジョンマーのみをガルジョンマーと呼ぶべきで、これ以前のものはチヨダジョンマーとでも呼ぶべきなのでしょうね。

 

 ただ、チヨダシューズは、リーガルの子会社となった後も、リーガルの組織内で高品質なラインを造る役割を果たし続けているようです。例えば2014年3月期のリーガルコーポレーションの連結決算に関する報告書の中でも、チヨダシューズのことが「当社製品の中でも、高級ラインの紳士靴を中心に、ビジネスシューズの主力 である「リーガル」、「シェットランドフォックス」やアパレルとのコラボレー ション企画商品を製造しております」と紹介されています。

 そうだとすると、チヨダシューズ子会社化(2000年)以降に製造されたガルジョンマーも、引き続きチヨダシューズが造り続けていたと考えて良さそうです。そういう意味で、チヨダジョンマーと狭義のガルジョンマー(子会社化以降に製造されたもの)とを区別する必要性はあまりなさそうです。したがって、チヨダジョンマーも含めて「ガルジョンマー」と考えますと、ガルジョンマーが造られてたのは1983年~2008年の約25年間、ということになりましょうか。

 

 いやー、すっきりしました。ガルジョンマーが造り始められたのは「1983年」でした!

 

 …でも、2008年頃に終了したとされるジェネスコ社とのライセンス契約が、正確にはいつ終了したのか、とかは未だに私にはよくわかっていません。

 ガルジョンマーの各モデルがそれぞれいつごろ製造・販売されていたのか、とかも全然知りません。

 そのあたりのことをご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えて欲しいです。

 

 ガルジョンマー迷路は続く…。