お久しぶりです。
就労支援へ通い初めて2ヶ月が経ちました。
新しい出会い。
社長は本当に【縁】を大切にする方です。
私のPTSDの事も理解してくれていて、こんな作業所ってどうなの?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、個人的にたまに食事に連れて行ってもらったり、買い物に連れて行ってもらったり、その際は全て社長がお金を出してくれます。
それは私だけではなく、私の親友も一緒に。
4/18、私は精神科の予約日でした。
薬をもらって、花を買って帰宅。
あの日から2年と5ヶ月…
位牌に向かって「ママね、最近やっとお前が死んだんだってわかってきたよ」と話しました。
あの日、あの時、あの姿を見た瞬間に「あ、ダメだ…死んでる…」って、もう二度と息子と話す事も出来ない現実を叩きつけられました。
でもその現実を受け入れられなかったし、受け入れたくなかった。
生きている事が苦しくて、息子と同じ場所で同じ方法で死のうとした。
だけど衝動的にしたので失敗に終わりました。
生きている意味などもう無くなりました。
なんで生きてなきゃいけないのか?
その時に私の親友は(彼女も自死遺族)こう言いました。
「生き地獄を生きることで供養する」と。
私は未だに何故息子が自ら命を絶ったのかわかりません。
息子はハーフで、高身長でイケメンで、心の優しい愛されキャラでした。
毎月18日は息子の事を深く想います。
勿論毎日思ってはいますが、月命日の日はより深く想うのです。
今月は泣きませんでした。
親友がカラオケに行きたいと言いました。
少し前の私なら多分行かなかったと思います。
でも何故だろう?行こう!って気持ちになりました。
そして彼女と隣の駅で待ち合わせる事に。
電車に乗って、次の駅に止まる寸前のこと…
まるで生き写しかのようなハーフの男子高校生が友人たちと立っていました。
彼らは私が降りた電車へと乗り込んだのですが、私はその男の子から目が離せませんでした。
声を掛けようかと一瞬悩みましたが、見知らぬおばさんから急に呼び止められると驚きますよね。
なので諦めるしかありませんでした。
というか、声を掛けたとて彼は息子ではありません。
彼には「ただいま」と帰る家があり、また「おかえり」と待っている人がいるのですから。
彼を乗せた電車が動き始めた途端に心臓が早鐘を打ち始めました。
会えた…
久しぶりに会えた…
息子は彼の姿を借りて私に会いに来てくれたんだと思いました。
楽しそうに笑っていました。
息子へ。
ママは生き地獄を生きていません。
次また会える時の為に、お前に話したい事をできるだけたくさん作りたいから生きてるんです。
お前が教えてくれたこと。
『自分に関わる全ての人を大切にする』
これはママは死ぬまで実行するからね。
会いに来てくれてありがとう。