先日飛行機好きのビッキーと「飛行機の飛ぶ仕組み」を説明したビデオをオンラインで見ていたら、たまたまMargot Gerritsenというスタンフォードで教えている方のビデオをみつけました。
"Mathematics Gives You Wings"というタイトルに惹かれて観たところ、その内容が私が学部時代に学んでいたこととわかりしばし見入ってしまいました。
こんな風になりたかったんだよなー。
でも私には羽根がなかった!
数学がイマイチわからない。教科書の数式をものすごい時間をかけて導いても、なんだか納得できない。だから、全体像が見えてこない。そういうイライラとした焦りといつも格闘していました。
時間ばっかりかかるのに、わかるようにならない!と。

子育ての合間を縫って数学をやったり、教科書を眺めているうちにわかってきた数学の大切さ。でも試験を通るような勉強でなくて、もっと楽しいやり方があるはずとも思っているところです。
子供がどうしたら楽しく学べるだろう、と考えることの多いこの頃です。

Margotさんのビデオを幾つか見た中で彼女がいっています。私が自分なりに納得した風に書くので、正確な引用ではないですが、
「とかく、教科書などでは研究者が通り抜けた試行錯誤を全く書かずに、形のととのった完成形の結果のみを書いて"さあ、これを理解しよう"とあることが多い。でもその結果を導き出すのに、超有能な学者達がそれこそ何年も何十年もかけて研究したことという事実はすっかり忘れられてしまう。そして学生はその完成された数式を理解できないことに失望する。」
研究者達の試行錯誤、つまり歴史的なストーリーが学ぶことを助け、また楽しくしてくれるのではないか?そんな風に考えているところです。
そしてもう一つ彼女が言っていたこと。
「学術論文も上手く行ったことばかりを発表しますが、うまくいかなかったこと、こうしたら失敗したということも発表したらいいのにね。そうしたら同じ失敗を他の人はしなくて済むのに。」
その通りなのにそうではないですよね。

先日、修士論文から抜粋して幾つか論文を投稿しました(夫に助けてもらって)。
そのうちの一つが採用されて大喜びしましたが、別の一つはかなり厳しいレビューが付いて戻ってきました。こういう現実に接するとやっぱり縮こまってしまいますね。
でも、学ぶ楽しさはなくならない、と思います。
ゆっくりでいいから、ずっと学んで行こう、と思っています。

息子を寝かしつけながらうとうとして、夜中に起き出してシャワーを浴びる、そういう毎日です。
しんと静まりかえった居間で編み針を動かしながら、頭の中に色々な事が浮かんでは消えて。その間も絶え間なく針を動かしている。そんなことをしているうちに頭がすっきりと整理されたような気分になって落ち着く、そんな時間を私は求めて編み物をしているのかもしれない。

Cowl

マフラー、というか、輪っかになったcowlを編み始めました。
ただ延々と表編み(時々裏編み)で140センチ位編んでいく、その単調さに惹かれて。

先日知り合いの方から日本語の本をたくさん頂きました。
その中に見つけたのが角田光代さんの「八日目の蟬」。
読みたいな、とずっと思っていて、オンラインで買おうかなとカートにも入れたけどやっぱり買わなかった物がこうして手元に!嬉しくて一気に読みました。

誕生日に絵の具やカンバスをもらったアンジー。絵がすでに描いてあってそれを塗ればいいだけのカンバスをあげたら、ちょっと塗ったきりそのままになっています。
不思議に思っていましたが、先日真っ白のカンバスを「なんか描きなよ」と渡したら、15分くらいで一気に馬の絵をかきあげました。
下書きは鉛筆でいいの?とかいう私に「私の絵なんだから、私の好きなようにするの」だそう。
夫が教えようとして、いろいろ指示を出すのがいやで、塗ればいいだけのカンバスはやらないそうな。わたしが、乾いてから重ね塗りした方がいいんでないの?といっても全く無視。
でもちゃんと出来上がったカンバス。すごいな。
この頑固さ、宿題をやらせるのに一苦労なのですが、おかげで教育とは何なのか、どうあるべきなのか、そんなことを考えるきっかけにもなっています。

アンジーが描いたらもちろんテスとエミも。

キッチン

テスはキッチンを。


家族

エミは家族みんなを。

朝晩すっかり冷え込んで、今朝は暖房を入れたほどです。
日中は羽根の破れたトンボを息子と追いかけ、夕方は近所の子供達に髪の毛を遊ばれエルサにされ、夜はコオロギの鳴き声を聞きながら編み物に読書。
望んでいた生活が今ここにあるのかな。そんな風に思えるこの頃。
足りないと思っている物は、今この暮らしを得るための代償と思えばちっとも惜しくない。
そう納得したら、妙にすっきりしました。