マスラボは中高一貫の生徒が多いのですが、最近は公立志望の子が増えてきました。

ふるやまんは塾の先生としては中学受験の最難関クラスを指導していることが経験年数としては多いのですが、自分自身の経歴としては、小中学校は地元の公立小学校、高校は大阪府内の学区トップ校、大学は旧帝大です(詳しくはホームページのプロフィールをみてね)ここまで書くと、ふるやまんはとても小さい頃から賢くて、よくできた生徒だというイメージをもつかもしれません。

 

高槻で塾をしていると公立志望の子は茨木高校がトップ校なんで目指したい!という声を聞くんですが、どれくらい勉強したらいいのかということをもっと具体的に教えたいなと思って記事にすることにしました。

 

指導者の立場としてではなく、ふるやまんがどのような学生生活を送っていたかをしってもらってあぁこういう生徒もいるんだなと思って欲しいと思います。

 

では、まずは小学校低学年編

 

ふるやまんは、両親が共働きでいつも家には誰もいなかったので、鍵っ子でした。

家に帰ってきても誰もいないので、小学校1年の頃は学童保育に預けられていました。

 

その当時はまっていたのは、図画工作と将棋でした。

絵を書くのは小さい頃から好きで結構大きい賞をもらいました。

将棋ははさみ将棋と回り将棋を毎日上級生と遊んでもらってました。

 

習い事は、エレクトーンとそろばんをしていました。

エレクトーンはピアノを習いにいったのですが、足も使えるこっちがいい!と言ったそうです(もちろん覚えていません)。

そろばんは週に3回もあって親にとってはいい習い事だっと思います。

でも全然真面目にしませんでした。だって、暗算でできる計算をなぜ玉を弾いてするのか理解できず、いわゆるやったふりで乗り切っていました。でも、良かったなと思うことは、九九が小1で覚えられたことです。

 

成績的には良くもなく悪くもなく、普通でした。体も小さく身の回りのことが全くできなかったので親には迷惑をかけていたと思います。

 

小学校2年生

転校しました。小学校1年生の記憶はほとんどないのですが2年生の記憶もあまりありません。家が新しくなって、クロという犬を飼い始めたのは覚えています。新しい環境でしたが問題なく馴染めてました。この頃はゾイドシリーズというプラモデルにはまっていて、一人で作ってしました。家に誰もいないので、キン肉マン消しゴムとかプラモデルとかで一人遊びしていました(これはこれで楽しい)

 

 

小学校3年生

一番の思い出はですね、サンタクロースが今までファミコンのソフトとかプラモデルとかやったのにサンタクロースから本が届きました。「理科事典」です。

これは結構ショックでした。なんで遊ぶものやないんやと思いました。でも仕方ないので理科事典を読んでいました。勉強はできませんでしたが(結構通知表にもがんばろうがあった)、手を動かしたりする工作が大好きでした。お父さんがエンジニアだったので、ミニ四駆を改造したりして楽しくやってました。

そろばん、エレクトーンは続けていて級も順調にあがっていきました。特にそろばんは良くできていて、そのそろばんの同学年の中ではできる方やったと思います。

 

僕が勉強ができる生徒になったのは小学校高学年だったと思います。そのきっかけは?どうしてできるようになったか?

それはまた次回に。