思春期子育ての息苦しさから抜け出した私の「生」と「性」

思春期子育ての息苦しさから抜け出した私の「生」と「性」

こころの拠りどころ。
看護×心理×性教育を統合し、ココロとカラダが“自分らしさ”に戻るお手伝いをしています。


きっかけは、
本当に小さなことだったのかもしれません。

二年生に進級した日の帰り、
娘はぽつりと、こんなことを言いました。

「クラス替えがあって、
話してた友だちはみんな別のクラスになった。
話せる子がいない」

このとき私は、
この言葉が“始まりのサイン”になるとは、
思ってもいませんでした。


環境の変化に弱かった娘

今思えば、娘は
環境の変化にとても敏感な子でした。

人間関係が一度リセットされること、
新しい空気の中で自分の居場所を探すこと。

それは、娘にとって
想像以上に大きな負担だったのだと思います。


学校生活の中で積み重なった苦悩

娘は新しいクラスに
何とか馴染もうと頑張っていました。

けれど、
クラスはすでにグループ化され、
外から入る余地はほとんどありませんでした。

さらに、
グループ内でのいじめも起きていたようで、
学校生活はどんどん息苦しいものになっていきました。


少しずつ変わっていった日常

四月の終わり頃から、
娘の様子が変わり始めました。

・口数が減る
・笑わなくなる
・朝、起きられない

そして、
学校を休む日が増えていきました。

「行きたい気持ちはある。
でも、怖くて行けない」

そんな状態だったのだと思います。


不登校という現実

夏頃、スクールカウンセラーとも面談しましたが、
はっきりとした答えは見つかりませんでした。

療育センターの受診を勧められ、
正直、半信半疑でしたが受診することにしました。

娘自身は、
意外なほど抵抗なく検査を受けていました。

もしかしたら、
理由のわからない苦しさから
解放されたかったのかもしれません。


「やり直し」という選択

その後も状況は大きく変わらないまま、
進路をどうするかという時期を迎えました。

そんな中で知ったのが、
定時制高校の昼間部でした。

朝がつらい娘にとって、
昼から始まる授業は
「これならできるかもしれない」と思える選択でした。

私はこの頃、
自分の考えを押し付けることをやめ、
娘が決めるのを待つことにしました。


不登校の先にあったもの

募集締切ギリギリで受験を決め、
限られた時間の中で準備をし、
無事に合格することができました。

卒業式にも出席でき、
一つの区切りを迎えました。

 


 

悪くなるのは一瞬。
でも、回復にはとても長い時間がかかります。

それでも今は、
この時間が無駄ではなかったと、
少しずつ思えるようになりました。

この先も、
「やり直し」は何度でもできる。

これは、
環境の変化に苦しみ、
不登校を経験した娘と、
それを見守った母の記録です。